文/大陸の大法弟子
【明慧日本2012年7月2日】先日、師父の『精進要旨』を学び、交流について新たな認識がありました。同修たちとの日頃の交流をする際は、より多く法を学び、心を修めて内に向けて探し、正念をよく発してともに向上し、真相を伝えるというプラスの作用を果たさなければなりません。
自分の例を挙げて話したいと思います。ある時期、私は煉功の回数が少なく、動功をいつも煉りませんでした。同修と交流した時、一部の同修たちも私と同じような状況で、彼らは静功も煉っていませんでした。多くの同修が私と同じような状態だとわかり、私1人だけが煉功を怠っているわけではないと一面では安心し、仲間を見つけたような感覚でした。しかし時間が経つにつれて、この状態は非常に良くないと気づいて、家族の同修と交流して、五式の功法を毎日堅持していきました。五式の煉功を続けることで、怠ける人心を修め、夜12時の発正念も改善できました。私が自分の成果を同修たちと交流すると、同修たちも五式の功法を全部煉ることは重要で、続けなければならないと話しました。ある年配の同修は「あなたのような若い同修も五式の功法を全部煉るのだから、私も頑張らないといけません」と話しました。
真相を伝えることにも同じ体験があります。交流する中で周りの同修があまり真相を伝えていないことが分かり、また仲間を見つけたような感覚で、安逸の心があり、このようなマイナス面の交流に足を引っ張られてしまいました。その後、同修とプラスの面での交流を行った後、確実に周りの同修たちも真相を伝えることに力を入れるようになりました。
現在、同修たちと交流するときは、師父の法に照らして、自分のよく行ってないところを見つけ、どのように師父の要求通りに心を修め、向上してきたか話します。どのように法の上で認識し、人心を修めて向上したかについて、よく行っている同修に修煉体験を話してもらいます。以前は自分の不足を言い出して、人心を暴露し、表面上は素直なように見えますが、実際は着実に自分を修めておらず、ほかの同修にまで影響を与えていました。交流の基点は、プラス面での交流であり、一方で大げさに言わず、自分を顕示してはいけません。「做すところ到るは是れ修なり」(『洪吟』「実修」)のように、法理に対しての「知識」と言葉だけでは、実際に修めているとは言えません。