良い人の観念を変え、真の修煉者になる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2012617日】17年大法を修煉してきましたが、真に良い人とはどういうことか、よくわかりませんでした。しかし、やっとここ半年くらいで少し明晰に認識することができました。

 私が定年退職した後、両親と姑相次いで病気になりました。法を実証することをしなければならないのですが、私は大法弟子として、できる限り彼らの世話をしなければならないと考え、毎日疲れ果て、何事もうまくいかず、自分のどこに漏れがあるかわかりませんでした。

 父入院し、夜の介護欠かすことができなくなりしかも父が退院して1週間後には、母が腕を骨折してしまい、私はまた実家に通い始めました。母骨折が好転した後目の病気でまた入院しました。その後、脳貧血になり、めまいの症状も現れました。私は介護しながら食事の用意もしなければなりませんでした。やっと落ち着いたころ、母は再び転んで骨折してしまいました。20日間ほど寝る暇もなく昼間は家事をしながら介護しましたが、とても無理なので、看護人を雇って、私と交代でしようかと父に相談すると、父は「お母さんはの人に任せられないから、俺はここにいるお前は帰っていいよ」と言いました。

 80歳の父に自分の面倒をみさせるのはとうてい無理なので、私はやはり頑張って続けました。やっと母が退院して、夜は寝られるようになりましたが、頻繁に実家と自宅を行き来して無理をしたため、次第に私の方に問題が発生しました。朝尿が出なくなり、全身がむくみ歩く力もなくなりました。胃が痛くて、色々な物を吐き出しました。10キロくらい痩せて、体黄色なり、もともと若くて血色がよかった私はまるで年寄りのようになりました。それでも、周りの家族は見て見ぬふりをして相変わらず私を使いました。学法を通じて、自分の人心を知り、それらをなくしてから症状も良くなりました。実家の世話も少なくなったところで、私も少し一休みしようと思いました。しかし、ある日また母親から、目の病気が再発したので入院すると告げられました。どうしよう、また私ふらふらになると思いましたが、急に「私は大法弟子だなぜこれぐらいのことで妨害されなければならないのか」と気づき、邪悪に私の妨害をしてはならないと念を発しました。しばらくすると、母から電話で「医者から入院して手術をする必要はなく、薬だけで十分だ」と言われたと教えてくれました。 師父の『洪吟』「何を恐れる」のように、「念を正しくすれば悪はじぐに崩る」でした。

 ある日、姑が脳出血で意識不明になったと聞きました。姑の世話は私がしなくてもいいのですが、しかし私と同じところに住んでいるので、私は三つのことをどうやってするか悩みましたが、自分は大法弟子だと自覚して、私が三つのことをするすべての妨害を許さないと念じました。翌日、主人が電話で、姑が回復して動けるようになったと教えてくれました。姑は1カ月くらいで退院しました。半年のに、いろいろなことが発生したことは、すべて私の正念に対する試練だと悟りました。

 正念が足りないため、良い人になることと真の良い人の概念が分からないため、魔難も続いてきたのです。今年の正月、母再び脳血栓で入院しました。大法弟子として、私はなぜ妨害を排除できないのかと考えました。今度こそ、世話人を雇ってもらおうと決心して「また私に世話をさせたら、私もダメになる」と、はっきり言いました。父は譲歩しましたが、母はうるさくて、世話人24時間休めない状態になり、何人替えてもダメでした。そのため私と夫が朝3時に母のところに行き、世話人を休ませて、母の世話をしました。主人私のことを心配して、いつも自分だけよく行ってくれたのですが、私の体調はなかなかよくなりませんでした。9時に帰ると、一日中疲れて、居眠りしました。

 ある日正念を発する時に、私は急に、修煉の最初から真の良い人の概念を認識していないと分かりました。会社の同僚は、法輪功は良い人になるので、私が世話をするのも当たり前だと言ったことがあります。当時、昼の時間に工場の人たちは麻雀をして、私ともう1人の大法弟子が食事を支度や最後の片付けまでしました。大法弟子は良い人にならなければなりませんが、なぜこれらの怠け者の世話までしなければならないのでしょうか。もう8年くらい過ぎましたが、常人がやるべきことを肩代わりすることが、真の良い人ではないと、いまやっと分かりました。大法弟子が衆生を済度することを妨害しないのが真の良い人です。大法弟子が円満成就して、常人の中の借りを返すことも正しい念で、良い人になります。大法弟子は利益に執着しませんが、当然得るべきものを無償で人にあげることはないのです。争いのときに自分が一歩引き下がることは正しい念で、良い人なのです。もちろん、もっと向上すれば良い人の概念も高い次元の認識があると思います。

 やっと上記の法理を認識できたところで、母も落ち着きました。魔難はまだまだ完全になくなりませんが、大法弟子の念が動じないことが大事だと感じました。正念が不足すれば我々は難に遭い、逆に正念が強ければ、奇跡も起こるのです

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/5/25/258075.html)     更新日:2012年6月18日
 
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