【応募作品】34年の寝たきり生活 大法修煉により健康を取り戻す
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文/チチハルの大法弟子 逢時

 【明慧日本2012612日】私は70代の修煉者で、多難な人生を送ってきました。生まれた途端、危うく野犬の群れに連れていかれるところでした。そして、20代の時に交通事件に遭い34年間寝たきりになりました。人生には万病がつきまとい、さらに借金まみれで、何度も自殺しようとしましたが未遂に終わりました。私は法輪大法のお陰で今日まで生きて来る事ができました。

 死んだほうがまし、34年間の寝たきり生活

 70数年前の大晦日、母は庭の凍った地面で私を出産してしまい、すぐに野犬の群れに取り囲まれたそうです。そのとき私を救うために、親友の猟犬が駆けつけ、犬の群れと戦って命を落としたそうです。私は生き残りましたが、背中が凍りついた地面にくっつき、一層の皮がむけてしまい、3カ月後に新しい皮が生えてきたそうです。

 私は先天性の心臓病を患い、僧帽弁閉鎖不全症で、心臓中の血液が逆に流れ、そして心拍数が遅すぎて1分間に3040回ぐらいしかありませんでした。

 23歳の時、脳炎を患って、てんかんの後遺症が残り、一旦痙攣すると心臓病を併発していました。

 26歳のある日、自転車で走っていた際、セメント運搬中のトラックに跳ね飛ばされ、側溝に落ちて意識不明になった挙句、第三、四、五節の腰椎に血瘤ができ、第五、七節の頚椎を脱臼し、第九、十節の胸椎の骨が裂けたと診断されました。私は、北京、天津、ハルビン、江蘇常熟、上海華山などの有名病院に行って治療を受けましたが、効果はありませんでした。

 そのときから私は、半身不随となり自立生活ができず、小便を失禁、大便も大量の下剤を服用して維持してきました。頚椎を脱臼していたため嚥下障害となり、心身ともに辛く、1日が1年のように長く感じ、そして借金まみれで「死んだほうがましだ」と思う状況でした。私は「両親に迷惑をかけたくない」と思い、3回、自殺を図りましたが、未遂に終わりました。

 1994年、盲腸炎を患って腸が癒着し、手術のとき手術台で心臓が停止しましたが、強力な電撃を受けて生き返りましたが、左側の乳房から膿が出ました。

 そのほか、私は再生障害性貧血を患い、輸血により生命を維持していましたが、輸血によ甲、乙、C型肝炎を発症しました。

 その後、両親が1週間以内に次々と亡くなり、私は悲しさのあまりに泣きすぎて、両目が見えなくなりました。仕方なく、時間制看護(時間で費用計算)を受け、隣近所の人たちにお粥を作ってもらって生命を維持してきました。

 それまで、私も10数種類の気功を習い、また、気功師に家まで治療しに来てもらいましたが効果なく、気功による病気治療への希望もなくなりました。

 大法を得て、幸運にも生命は春に再生

 1997年末、いつも素晴らしい音楽が聞こえてきました。寝たきりだった私は、全力で起きてベッドの上に跪き、窓の外を眺めていました。夜になると通行人を待って「お姉さん、何をなさっていますか?」と尋ねました。すると、その女性は「法輪功の修煉者です」と返事してくれました。「新人をまだ募集していますか?」と私が尋ねると、彼女は「誰でも学ぶことができますよ」と答えました。

 お粥を持って来てくれた近所の人に、法輪功に関する本を頼み『法輪功』(改訂版)を借りてもらいました。ほとんど失明しそうになっていた私は、本を開いてみると読めることに気づき、書き写して、動作の絵も描きました。私はベッドの上で動作を学び、動作の口決を暗記し、こうして一晩中やっていました。すると翌朝、下腹部に何か強く回転しているを感じた私は、全身震えました。その後、吐いたり下痢したりしました。吐いたものはすべて血の塊であり、排便したものはすべて膿や血でした。

 毎日22個の薬丸を服用していましたが、その間、飲むのを忘れてしまい、その後二度と薬を飲みませんでした。2カ月が経過し、私は、生活上の処理が自分でできるようになり、階段を降りて同修の家に行って学法できるようになりました。

 大法修煉後の不思議な体験

 私は毎日夜に煉功しています。ある日、座禅を組んで入定した後、光によって構成された非常に背が高い人が右側にいて、私は腕白な子供で、その人の傍で遊んでいる光景が見えました。また、ある日の座禅中、私は窓から出て飛んで行き、かなり高い南天門が見え、仙女が蓮池の中で入浴しているのを見ました。すると突然、茶碗ほどの大きさの黄金色の釘がついている深紅の大きな門が開きました。大門に入ると、中のホールは広くて、地面、壁が全部金色で、東面の壁の方にたくさんの黄金色の仏像が並んでいました。仏像の前に黄金色の長い机があり、机の上に黄金色の燭台(しょくだい)があり、燭台に立っている赤い蝋燭(ろうそく)が燃えていました。隣には多くの和尚が座って経文を読んでいました。私は3回、そのホールの中に入ったことがあります。

 ある日、わが家に来た同修が法輪バッジを胸につけており、法輪バッジは、非常に強くて眩しい光を放出しました。わが家に来た同修の中、夢の中で出会ったことがある人がおり、身なりも全てそっくりで、その同修が「三花聚頂」の次元に達したのが私に見えました。

 『転法輪』を初めて読んでいた時、一つひとつの文字がすべて卍(まんじ)符で、卍符が鏡の枠に入り、放出した光は1尺以上でした。ある日、師父の説法ビデオを見ていた際、自分は目が悪いと思い、目を閉じて聴きました。しかし、目が非常に強い光で照らされました。外の車のライトだと思いましたが、目を開けて見ると、窓の上に、光によって構成された背が非常に高い人が蓮花座の上に座っており、頭天頂に至っていました。「目を開いて説法を聴こう」と師父に啓発して頂いたのだと思っています。

 迫害を受けて異郷を放浪

 19997月、大法への迫害が始まり、元の会社、派出所、市などの中共役人は、私に法輪大法を放棄する旨の保証書「三書」を書くよう強要しましたが、私は拒否しました。20001219日、同修数人と共に陳情のために上京しました。しかし、途中で不当に身柄を拘束され、チチハル第二刑務所に拘禁されました。2001628日、拘禁期間が満了となり釈放されました。家に帰った私は、学法と煉功を行ない、たった3日間で健康を取り戻しました。

 真相を知らない地元の人々へ

 ご存知の通り「出家人は法螺を吹かな」という言い方があります。つまり、修煉者は嘘をつかないということです。70歳を超えた私は、半生を寝たきりで過ごしましたが、事実を書くしかありません。法輪大法は宇宙大法で、李先生は人間を救うために人間社会に降りてこられた聖人です。地元の皆さん、中共の60数年の暴政・殺人歴史を認識し、共産党関連組織から脱退して、善良を選択してください。災難がやってくるとき、みなが無事でいられるよう祈願いたします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/6/7/256799.html)     更新日:2012年6月13日
 
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