【応募作品】 「あなたのような弟子を育成した李大師に、敬服します」(二)
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文/吉林市の大法弟子

 【明慧日本201268日】

 水田と道路の物語

 私は1998年から大法を修煉してまもなく3が経ちました。その年、我が区域の土地は再調整され、元々あった我が家の広くて平らな1級の土地は他人に配分され、我が家が得た土地は全部2級の小さ荒地で、2ムーの土地は50あまりに分けられ、トラクターが使用できませんでした。私はブルドーザーを借りて1日がかりで50あまりの小さい土地を10数個の耕作しやすい広い土地にしました。その後、地域の10数戸の農民は挨拶もなく、整地した我が家の土地に、幅3メートル、長さ30メートル以上の道路を作りました。

 当時、まだ健在だった父はこの事を知り、腹を立てました。「お前は法輪功修煉者だが、ここまで虐められて黙っていて良いのか。村の幹部のところに行って訴えよう」と父に言われました。私は父をなだめてから現場を見に行きました。工事中だった彼らは、申し訳ないと思ったのでしょう、率先して私と話す人は誰もいませんでした。これは心性の試練だと分かっていたので、私は笑いながら彼らに挨拶しました。その中の青年は「あなたの同意を得ないで勝手にこの道路を作ってしまい申し訳ない。食料や土地の交換など、どちらでもいいが選んでください。我々は皆に割り当てるから」と言いました。「いいえ。食料も土地も要りません。近道ができて、そのうえ丈夫な道を走ることができれば何よりもいいことです」と私は返答しました。

 皆は私に再度感謝しました。私はチャンスを利用して彼らに法輪大法の素晴らしさを伝えました。

 師父が「自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」(『転法輪』第七講)おっしゃった通り1998年、我が家の2級の水田に、春に植えた稲の苗が急速に成長したのを、村の多くの人は現地に行って目撃しました。秋になって、ずっしりと重い黄金色の稲穂が黄金色の絨毯のように水田を覆いました。収穫した後、精算すると、2400斤/ムーで、普通よりかなり良い出来でした。しかもそれから毎年高い生産が続きました。村民はみんな「これは奇跡だ、不思議だ」と考えました。同じ耕作で、同じ労力なのに、我が家の水稲の生産は皆よりかなり高いのです! これは全て大法の賜物であり、心性を高めた修煉者へのご褒美であり、大法の素晴らしさの一つの現れでしょう。

 19997.20以降、市、区、卿の610弁公室、政法委、公安などの役人は何らかの罪名を私につけて迫害を加えようと私の村へ来て、各戸から情報を収集しました。村民や村の幹部らは皆、実例を挙げて私が法輪大法を修煉してから良い人にな、特に土地を譲り道路整備に協力したことを当局に伝えました。役人たちは「あなたは確かに法輪功を通してより良い人間になりましたね。村のみんなはあなたを称賛して、あなたの悪い話をした人は誰もいませんでした。我々も上に報告しました。法輪功がそれほど良いなら、家でやってください。我々はあなたの人柄に敬服し、更にあなたの師父があなたのような誠実な弟子を育てたことに敬服します。共産党は法輪功に絶対負ける。あなたたちは遅かれ早かれ名誉を回復するでしょう」と言いました。

 私はごく普通の農民に過ぎず、ただ普段の仕事の中で、対人関係や物事に対処する態度において、いつも大法の真善忍に照らして自己を律し、他人に寛容になり、全ての人に対して善良な態度で接しています。個人の利益が損なわれた時に、大法の忍の心を持ってトラブルを解決します。私がここまでできたのは私個人が偉いわけではなく、大法の導きです。大法が私を変えました。私は千万人の大法弟子の中の1人に過ぎません。もし中共や江沢民政治利益集団が法輪功を弾圧しなければ、これらの千万人の大法弟子はきっと中国に平和をもたらし、社会の中道路で物を拾う人もおらず、夜はを閉めなくても安全でしょう。

 法輪大法が伝え出されて20周年に際して、この文章を書きました。

 完)

 (明慧ネット「法輪大法が伝え出されて20周年記念」応募作品)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/6/1/257729.html)     更新日:2012年6月9日
 
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