【応募作品】師父が家族を救って下さった
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文/中国大法弟子 天

 【明慧日本2012612日】今年の513日は、師父が法輪大法を伝えだされて20周年の記念日になります。世界法輪大法デーをお祝いしたいと思います。師父に、家族全員が済度されたお礼と感謝の気持ちをお伝えします。また、まだ真相を知らない人達を偽りの虚言から救うため、私は家族が修煉を始めてからと真相を知ってから起きた奇跡的なお話をいくつか読者のみなさんにお話ししたいと思います。

 一銭も使わなかった人”一万元を支払った人”

 姑は子供の頃から仏を信じていました。97年、姑は65歳から法輪功の修煉を始めました。修煉をする前は、姑に言わせと「私は一生のあいだ畑仕事をしていました。そのため体のあちこちに病気があり、良いところがありません。毎年かならず12回は入院します。ご飯を食べないことあっても薬を欠かすことはありませんでしたしかし修煉を始めてから、姑は70歳近くなのに顔色がよく健康そのものです。

 姑は字読めません。師父の講法を聞きながら、同修に字の読み方を習いました、奇跡的なことに2カ月で『転法輪』を読めるようになりました。『転法輪』の中の字が光っていたそうです。しかし、同じ文字を他のところで見た時、読めませんでした。故郷の人達も、姑の心身の変化を見て修煉する人が増えていきました。煉功点ができて学法も始めました。

 19997.20、大法弟子への迫害が始ま610弁公室の責任者や派出所警官から、嫌がらせや電話攻撃を受け、姑は恐い思いをしました。逮捕・家財の没収・罰金・拘留・洗脳班への送致・会社からの除名等の迫害を姑は全て経験しました。それから、姑は一人暮らしを始め、学法や煉功をだんだんとしなくなり、修煉しない状態に陥っていきました。

 ある年の暮れ、私は姑を訪ねました。彼女は顔色が悪く、苦しそうに歩いていました。なんと背中に大きな膿腫ができていました。微熱が続いて全身が痛み、夜も横になれずに座って寝ていました。血圧も高く、心拍数も速かったです。背中を見ると大きな棗(なつめほどの膿腫がありました。茶碗ほど大きさのうっ血が溜まっていて、その状態がもう一週間も続いていました。主人と姉や妹達は病院へ行くようにと勧めましたが、姑が「お父さんが蚊に刺されおできが出来たとき、病院で手術を受けて1万元以上もかりました。私の場合はこんなにも大きいので、いくらお金がかるでしょうか?」と言いました。誰が説得をしても、絶対に病院には行かないと言い張りました。私「家でお正月を過ごして、一緒に学法、煉功をしましょう」と言うと、姑うなずきました。主人達も賛成しました。皆も姑が修煉していた時の健康状態を知っています。姑は中国共産党(中共)が恐くなって修煉をやめただけです。

 姑が家に来てから、家事の手伝いを一切させませんでした。朝は私と煉功をし、昼間は一人で学法し、夜は私と学法交流します。姑は自分が「真・善・忍」に沿って修煉をしなかったため、常人と同じようになり、そのため背中に膿腫ができたと悟りました。姑が家に来た初日に背中の痛みがなくなり、スースーという感じが残っていました。二日目に熱がなくなりました。三日目に膿が出始めました。一週間後には治りました。顔の色がくなり、普通に歩けるようになり、元気になりました。

 姑は法輪大法を修煉して、一銭もかからず腫瘍が完治しました。一方で、私の父は蚊に刺されただけで入院して1万元以上もかかりました。この天地の差を見比べて、家族全員が大法の素晴らしさを再認識しました。お正月家にお客さんが来ると、姑は「法輪功をまた始めたから元気になりました。中共の邪悪な宣伝を信じてはいけません。『法輪大法は素晴らしい!』という言葉を覚えて下さい」と皆に伝えていました。

 おじさん、運転に気つけて下さい!

 春先の雨雪交じりの日、自転車で中学に通っている息子がお昼に帰ってきました。「お母さん、今日僕は大きな試練を乗り越えたよ!」と言って入ってきました。息子を見ると全身が泥だらけでした。「転んだの?」と私が聞くと、息子は「車にぶつけられて、転んだんだ」と言いました。私が「大丈夫なの?」と聞くと、息子は「師父が見守って下さるから大丈夫!」と言いました。私は嬉しくて「大法小弟子、悟りが高いね!」と言いました。息子は嬉しそうに着替えに行きました。息子が着替えてから、出来事の経過を話してくれました。

 今朝の道は滑りやすく、僕気をつけながら自転車をこいでいました。学校の近くに着いたとき、トラックに後ろからぶつけられて、56メートル飛ばされました。僕は地面に座りこんけど、傷一つもありませんでした。服に泥水いっぱい付いて、自転車も道の真ん中に飛ばされました、その時、怖いという気持ちが全くありませんでした。心の中で「師父が見守って下さる。大丈夫」とだけ考えていました。運転手のおじさんは、運転席で大きな声で僕に向かって「目がついてないのか!」と言いました。僕は「おじさんが後ろからぶつけて来ましたよ!」と言いました。周りから人がどんどんと集まってきて、運転手のおじさんを責める人、お金を弁償しろと言う人、怪我をしているかもしれないから病院で検査を受けたほうがいいと言う人など、色々言う人がいました。おじさんは、ばつ悪そうにトラックから降りてきて、僕に「大丈夫か?」と聞いてきました。僕は「大丈夫です」と言いました。おじさんは10元のお金を差し出して、「お母さんに洗剤を買ってもらって、洋服を洗ってもらいなさい」と言いました。僕は「おじさんお金はいりません、今後、運転に気をつけて下さいね」と言いました。おじさんはバツが悪そうに頷きました。

 学校に着いて、同級生達事故の話を聞いて大騒ぎになりました。お金を貰わないのはバカだと言う人、お金が少なすぎると言う人、人が良すぎると言う人弁償金を貰わないといい人がバカをみると言う人、同級生によっては、「運転手に都合が良すぎるよ!思い知らせてやらなくちゃ!」とも言っていました。僕は「運転手さんもわざとぶつけて来たわけじゃないから」と言いました。皆納得いかない様子を見て僕は「神様が見守って下さって、感謝いたします! 今後、僕はきっと幸せになれます」と言ったら、皆が笑っていました。放課後、自転車を修理に持っていきました。修理屋のおじさんも「お金を貰わないのは損だ」と言ったけど、僕は全然後悔をしていません。これでよかったと思っています。

 私は息子の話を聞きながら、考えました。息子は8歳のときから修煉を始め、悟りがよく、他の空間を見ることが出来ます。修煉をするで私を随分助けてくれました。特に19997.20の迫害以後、師父を信じて、私真相伝えることを助けてくれました。真相を伝える言葉を書いた人民元を積極的に使ったり、学校で真相を伝えたりしています。

 この出来事で私と家族は、師父が説いた法は、全部本当のことだと更に実感いたしました。「借りがあれば、返さなければいけないのですから、修煉の途中で危険に出会うことはあります。しかし、そういうことが起こった時でも、あなたを恐怖に陥れ、あるいは本当の危険に遭遇させるようなことはありません。」(『転法輪』)私は師父が息子の命を助けてくださ、感謝の気持ちでいっいになりました。師父の写真の前でお香を供えました。

 道路に車が一台も通っていなかった

 1997年、家族全員法輪大法に出会いました。修煉を始めてから、家族全員が元気で仲良く暮らしていました。19997.20、大法と大法弟子への迫害以後、610弁公室の人と交番の警察は、何か理由をつけて私を脅かしに家に来たり、夫の会社へ迷惑をかけに来たり、電話での嫌がらせを受けました。夫は大法を実証するために家族が受けた逮捕・家財の没収・罰金を目撃しました。夫は息子と2人で留置場に私を見舞いに来たり、大法の本を守ってくれたり、私を迫害から逃がしてくれたり、私の会社の610弁公室の責任者と警官に、何度も迫害をやめるようにと訴えに行ったりしました。夫心身ともに、そして経済的にも沢山辛い思いしました。

 私は家にいる時、夫によく真相を伝える冊子の中の話をしたり、真相DVDを流したり、「神韻」のDVDを見せたりします。夫は新唐人テレビを見るのが特に好きです。少しずつ真相を理解するようになって、自ら進んで中共から脱党しました。私の修煉に対しても、最初の頃理解できず真相を伝えるのを手伝わなかったのですが、自分も真相を伝えるようになり、非合法に拘束されている同修救出協力するまでなりました。夫は心から師父と大法を信じています。大法のお守りを車にもつけています。

 ある日の夜、夫お酒を飲みすぎていたのにバイクに乗って帰って来ました。ソファーに倒れこんで、独り言で「今日はいいね。道路に車が一台も通っていなかった。法輪が道を照らしてくれて、俺は無事に帰ってきたぞ!」と言いました。その言葉を聞いて、私は体が熱くなり、涙が出ました。夫が帰って来た道は、市の繁華街の真ん中で、深夜でも車が走っています。家に帰って来るまで20かかります。「道路に車が一台も通っていなかったということはありえません。師父が見守って下さったから無事に帰って来られました。

 このような出来事は、何度もあります。毎年、お正月の4日にはいつも夫の中学校の先生の家で同級生達が集まります。夫は飲みすぎるのですが、バイクが壊れて押して帰って来たことが3年続けてありました。夫は最初の頃不思議がっていましたが、ある時、私が洗脳班に連れて行かれた時の話をしました。私は断食で抗議をし、「真・善・忍」に基づきい人になろうとするのは間違っていないから、「転向書」を書くことを固く拒否しました。その時の私は心臓が痛くて、心拍数も高く、脈拍100越えていました。出血もあり、歩くのも困難なほどでした。命の危険がありましたので、警察は責任を取らされたくないから、私を病気治療という理由で家に帰しました。しかし毎日学法煉功を続けていましたら、1カ月後には身体が回復しました。夫は家族が毎回難から逃れているのは、師父が見守って下さっていたからだと解かりました。私に「師父に見守られているんだね、命を助けてもらっ感謝をしないといけないね。君が煉功をしているから、家族全員が恩恵を受けているのだね」と言いました。夫が大法の素晴らしさを知ることができたのは、夫が大法を信じていたからだと思います。

 私の家族全員が法輪功の真相を知っています、中共の組織から離脱して、法輪大法を信じていたから、師父に見守られて、運命ることができました。私たちは幸せで平穏に暮らています。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/5/27/256845.html)     更新日:2012年6月13日
 
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