大法が私の人生を変えた
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本201295日】私は200191日~9日の法輪大法講習会に参加した弟子です。若い頃、私は宗教に興味がありました。人には前世と来世があるのか? 宇宙には果てがあるのか? 仏教や道教、キリスト教、カトリック教、チベットの密教など、いろいろな宗教に触れましたが、どれも私の疑問を解くことはできませんでした。法輪大法に出会って私の疑問は解消しました。その時あまりにも喜びすぎて、毎日仕事が終わったらすぐ家に直行して『転法輪』を読むことに夢中になりました。

 20018月、仕事が終わって家に帰る時タクシーに乗りました。車内には美しい音楽が流れており、内装もきれいでした。運転手と話をすると、運転手は法輪功を修煉していることがわかり、修煉の話を聞かせてもらいました。タクシーを降りるとき、台湾の法輪大法のウェブサイトを教えてもらい、すぐに煉功点と学法班を探すと、家からわずか10分ほどの距離に煉功点と学法組がありました。こうして私は大法に入り、11年修煉してきました。

 師父は「生命の過程はすべての人にとって歴史の史書のようです」(『二十年説法』)と説かれました。これまでの11年の修煉を振り返ってみると、どのことも昨日起きたばかりのようにはっきりと覚えています。私は次の三つのテーマについてみなさんと交流したいと思います。

 一、6歳の娘

 私は仕事で高い給料を得ていましたが、大法を修煉してから、家庭を重視して夫と息子の面倒を見ることを優先しました。

 6年前、娘が生まれる数日前に、私は部屋で学法していました。突然、あるものが左側から私のお腹に入ってきました。そして数え切れないほどのきれいな星が見えました。星は美しい輝きを放っていました。1分くらい見て、思わず「きれい!」と声を漏らすと、隣にいた修煉していない夫は何も見えないと言いました。私は大法弟子なので、これはたぶん娘の主元神がお腹に入ってきたのだろうと思いました。輝いている多くの星は娘の世界の衆生で、彼女を送ってきたのだろうと思いました。

 娘が生まれて12カ月経ったときに、不思議なことが起こりました。娘の毛布はいつも優しく敷かれていました。敷き方は私のやり方でも夫のやり方でもありませんでした。では、いったい誰が敷いたのでしょうか? 後に『オーストラリア法会での説法』を読んで、ほかの同修にも同じ経験があることがわかりました。これは神が敷いてくださったのです。

 娘はまだ1歳にならないとき、すでに話せるようになりました。23歳頃にはすでに『洪吟』と『洪吟二』が読めました。5歳ごろ『転法輪』と『洪吟二』が読めました。最近『精進要旨』と『精進要旨二』を読み終えました。

 娘はけっこう度胸があります。4歳ごろ、新唐人が主催する慈善パーティーで子供の皇后役を演じることを約束しました。この約束を果たすために、半年をかけて台湾の17都市を回りました。休んだことは1回もありませんでした。朝4時に起きて、56時間バスに乗って、お昼の公演に出て、夜また56時間のバスに乗って、深夜の23時に家に着くこともしばしばでした。それなのに、娘は1回も弱音を吐きませんでした。楽屋裏で出番を待っている間に、1人で黙々と練習していました。娘の夢は大人と一緒に舞台で「師を手伝って衆生を救う」ことなのです。

 二、漢服コンテストから漢服ファッションショーまで

 私はファッションデザイナーです。2007年の第1回漢服コンテストでは宣伝の仕事を担当しました。台湾では漢服はファッションとみなされていません。そのため、漢服を作ることができて、コンテストに参加してくれる人を探すことは難しかったのです。特に第1回漢服コンテストは初めてなので、経験がありませんでした。私達はこのような困難な環境で、修煉者の「真・善・忍」と情熱だけで、さまざまな人とコンタクトを取りました。漢服のプロからファッションデザイン校で教える教師まで、すべてコンタクトしました。漢服コンテストを説明しているときに、新唐人の紹介や神韻の紹介もしました。こうして60人の参加者を集めることが出来て、そのうちの28人が最終選考に入りました。

 2008年の第2回漢服コンテストでは、ファッションデザイン校で漢服のファッションショーを開きました。モデルは学生達から選びました。モデルが漢服を着て現れたとき、すべての学生達がモデルの上品さに驚いて、盛大な拍手を送りました。

 台湾での成功経験があるため、香港でもぜひ同じことをやりたいと招待されました。今はどのデザイン校でも現代風のメイクを教えます。現代風のメイクは純正の善と純正の美に背いています。漢服を宣伝するときに、私達は必ず510分間、純正の善と純正の美を実践している神韻芸術団を紹介しました。

 学校の漢服ファッションショーの評判がよかったため、台湾の新唐人が主催する「富ありて徳もある」慈善パーティーに招かれました。修煉を始める前、私は楽観的な人間でした。修煉を始めたあと、師を信じ法を信じ、法に従って行動し、私利私欲を放下すれば、師父は必ずすべてを導いてくださると信じています。実際にやってみると、20人ほどの容姿端麗な同修がすぐに集まり、以前社長だった同修が費用を出して漢服の衣装作りを援助してくれました。

 3カ月の特訓が終わり、モデルの同修達がステージに登場しました。漢服は人を心から癒す上品さを女性に与えるので、漢服を着ている同修達はまるで天女のように美しく、観客達に絶賛されました。

 3年目の漢服ファッションショーを準備しているときに、まだ4歳の娘にステージに上がってみないかと聞いてみたところ、娘はやりたいと答えました。漢服ファッションショーの終盤に、娘は明王朝の皇后の服を着てステージに登場しました。娘がステージに上がった瞬間、観客達は震撼して、娘はものすごい喝采を浴びました。娘の素敵な笑顔がすぐにステージの焦点になりました。観客達はよりきれいな写真を撮りたいと娘に近づいてきました。娘はその状況でも堂々と笑顔を浮かべながら、真相を伝え、神韻の紹介をしました。

 三、私の修煉に反対していた夫が同修になった

 修煉を始めたころ、夫は私の修煉に反対しました。その後、少しずつ反対しなくなり、やがて私が担当している大法のプロジェクトに少しずつ興味を示すようになりました。夫が変わっていく過程はまた、私の修煉の重要な関でもあり、乗り越えることは本当に大変でした。法は私達に高次元の理で自らを律することを要求しています。修煉者が常人とトラブルになったときは、必ず修煉者のほうが間違っています。ですから、夫と大法のことを話すときや日常生活のことを話すとき、理不尽な要求に対しても譲らなければなりません。理不尽と思う考え自体がまさに、私が放下しなければならない執着心です。心の深くまで入り込んだ執着心なので、放下することは本当に大変でした。

 よいこともあります。夫は大法を信じない人間から、大法が好いと信じる人間に変わりました。私の足りない点を見つけても、「大法は好い。君の修煉が足りないだけだ」と指摘し、大法を肯定してくれました。その後、大法のプロジェクトにも参加しました。夫は印刷のプロなので、大紀元の印刷機器の調子がよくないときに、何度も熱心に解決してくれました。そのおかげで、大紀元の印刷のプロジェクトに誘われました。これは台湾ではなく、アメリカのプロジェクトなので、台湾を離れてアメリカに行かなければなりません。夫はこれまでずっと台湾で頑張ってきた人ですから、言語も文化も台湾とまったく違うアメリカには行かないだろうと、すべての親戚も友人もそう思いました。ところが、夫は快く承諾してみんなを驚かせました。これは師父のご慈悲によるものです。師父は夫に修煉者と一緒にいる機会を与えてくださいました。

 こうして私の一家はアメリカに渡りました。

 一年前は、印刷チームの同修が正念を発しているときや学法をしていると、夫はどうしたらよいかわからず、口実を探してその場を離れていました。ところが一年経って、夫はみんなと一緒に足を組んで正念を発するようになったのです。

 11年前に私の修煉に反対した夫が、今は私と一緒に学法するようになりました。夫が真面目に法を朗読しているのを聞くたびに、私はいつも感動しています。すべては師父のご慈悲によるものです。多くの衆生が大法に入ることができない中で、師父は千載一遇の機会を夫に与えてくださいました。

 以前は、師を手伝うのは、弁護士や医者、大学の教授のような高学歴の人でなければ、とてもできないと思っていましたが、これは間違った認識です。私の専門はファッションデザインです。私は漢服コンテストと漢服のファッションショーを通して法を実証しました。アメリカに来ても、法を実証する雑誌や新聞でファッション記事を担当することができます。夫は印刷のプロなので、同じく自分の才能を生かして、法を実証するプロジェクトの力になれます。やりたい気持ちさえあれば、みんなと一体になれば、師父は必ずすべてを導いてくださるのです。

 師父に感謝いたします! ありがとうございました!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/8/27/262057.html)
 
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