文/中国広東省の大法弟子
【明慧ネット2013年9月8日】法輪大法は性命双修の功法で、心性を修めると同時に功も煉ります――心を修めるというのは、人間、それから人間以下の心を取り除き、あるいはそれらを変えることによって、自分の心を異なる次元の宇宙の基準に到達させて行くことです。一方、煉功は心性を修めるのに合わせて身体を改造することです。つまり、ミクロの世界では、他の空間の高エネルギー物質を人体の分子細胞に取って代え、炭水化物とその他の不良物質によって構成された肉体を金剛不滅の身体に転化させることです。これはきわめて複雑かつ困難な作業ではありますが、しかし、それはまたきわめて偉大なプロジェクトでもあります。法を正す師父のご加護がなければ、それはとてもできるものではありません。しかし、大法をしっかり守りさえすれば、大法の法理に基づいてさえ行動すれば、師父は必ず私達が任務をやり遂げられるよう手助けして下さるのです。
2006年、村で道路建設をしました。工事中には必ず土地の徴用や立ち退き裁判などの問題に直面します。そういう時に、任務を遂行するため、心性の高い人に任す必要がありました。村人代表、党と政府の幹部の三者合意で、彼らは私が法輪功を修煉していることを知っていましたが、誰もそのことを言わず、全員一致で私に責任を委ねることに決定しました。大法弟子である私は師父の手助けのもとで、真・善・忍を基準にし、衆生の期待に答え、順調にこの任務をやり遂げました。
工事中のある日、私は突然熱を出しました。翌日になって喉頭炎になり、22日間、声が出なくなりました。しかし、私は休まず、毎日現場に来るようにしました。郷の党書記は私の働きぶりに感心して、手に咽喉の漢方薬を持ってきて、「とても効き目があるよ」と言って、自ら私に薬を飲ませようとしました。私は手振りで「飲まないよ、これは関門です」と言いました。一部の人は、声も出ないにも拘わらず休まないのは、きっと大金を稼いでいるのではないか、と私のことを思っていたようですが、実は声が出ない以外に、私は何でも正常でした。信じなければ、普通の常人が同じように試してみれば分かりますが、絶対無理でしょう。
2004年、私達の資料点の同修は警察に不当連行されました。私はパソコンもネット検索も出来ず、明慧の情報が得られなくなり、師父の新しい経文も入手できなくなりました。この苦悩の状況は2年も続きました。法を正す進展に伴い、資料作りも全面的に行うようになりました。同修の助けのもとで、私は必ずネット検索をマスターすると決意しました。
当時、私は祠の建築チームの理事会代表で、祖先五代の祠を建築していました。私はパソコンを習い始めました。家には旧式のパソコン一台がありますが、自分はもう一台のノートパソコンを購入し、それを学びながら、煉功もしました。長老たちは私の努力、真面目さ、不平不満を言わない精神をとても賞賛してくれました。郷の長老は私が給料を貰わない上、祖先の祠に寄付をするのを見て、「法輪功は本当に素晴らしいものだ」と言いました。
私の主な精力はやはり修煉に注ぎました。私の歳で、1年半の間に、製図、ネット検索、プリント、DVDの書き込みを全てマスターし、自分でも不思議に思いました。普通の人は中々理解できないでしょう。それはすべて、師父が私に知恵をくださったのです。最初にネットにアクセスした時、安全に関する技術をよく身に着けておらず、何度も監視エリアに突入して妨害されました。しかし私は明慧ネットが必要で、師父の法が必要で、大法弟子が交流する文章を必要としています。邪悪は何度も私の携帯を壊し、パソコンのプログラムを破壊し、私に対して位置を測定し監視をしました。しかし、それはすべて私の意志を動揺させることができませんでした。
去年、村では学校を建設しようとしました。進め方としては、請負側が資金を出して、施工者に施工させ、「第三類」工事の扱いで村に費用を請求するというやり方でした。したがって、工事は複雑で、建設費は高めでした。公益事業で建設する場合、慣例によれば、参加者は少なからずリベートを貰っているそうですが、本当の所は分かりませんが、噂では、党の書記、郷の長、学校側の担当者がそれぞれ15万元のマージンを貰ったと言われています。しかし今回は公の基金ではなく、民間から募る基金なので、ちょっと取りづらいものでした。民衆から不満の声が高まり、請負側が工事の明朗な費用明細を欲しいと言い、幹部たちは訴訟をしようとし、技術者は材料の品質に問題があると指摘し、施工者は賄賂がないと主張する一方、下では意見者を脅迫して、党書記と郷長もそれぞれ疑心暗鬼を生じ、工事が半分完成した所で資金がなくなり、建設が止まってしまいました。郷では何度も会議を開き、何度も地方から資金調達をしましたが、すべて問題を解決することができませんでした。
党の書記も郷の長も私に案を求めました。私は彼らに法輪大法の法理に従い、心が正せば、万事がうまくいく、そのような状況がきっと現れると言いました。「粗暴で、怒りやすくて、利己的な心を直せば、必ず知恵が出る、つまり『智慧を増すことは万金に勝る』、名、利、情を取り除けば、仏陀が安寧を守って下さる」と説明しました。また、「正直に言えば、進化論、無神論、唯物弁証法と闘争哲学の教育のもとで、誰もが金儲けを第一としており、誰が本当に人のために物事をするのでしょうか? 中央から地方までの幹部はみんな同じではないですか? いくら親切な高官が来ても、結局お金次第じゃないですか? お金の多さと少なさの違いだけではないでしょうか」と彼らに言いました。
私は法輪功の修煉者です。村人全員が私を信用しています。真・善・忍の法理の指導の下、私はそれぞれの当事者と協調し、最後に実際にかかった費用によって決済することを決め、利益の部分では、施工側が公益事業とすることに決めました。この工事を完成させるのは、郷の長の責任であったため、彼は肩から重荷を下ろしたようにとても嬉しそうでした。みんなの前で、彼は党の書記に「あなたも法輪功を学ぶべきですよ!」と言いました。それに対して、党の書記は「もし私は書記を辞めたら、必ずそうします」と答えました。