英国ケンブリッジの大法弟子全体が神韻を広める中で向上した(一)
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文/イギリスの大法弟子

 【明慧日本2014年10月29日】(次の文へ

 尊敬する師父、こんにちは。同修の皆さん、こんにちは。

 今年のイギリスの神韻劇場の所在地は特殊なため、神韻を広める方式が例年とは違い、各地域の修煉者は担当区画を請け負い、自分の担当区画内で神韻を広めなければなりませんでした。私はケンブリッジ地区で神韻を広める協調人に任命されました。これは私にとって突破しなければならない物事があまりにも大きすぎ、それは私の一面が人を調整したいと思っておらず、協調の能力も欠いていたせいだったのですが、「これは修煉であり、師父はこの機会に私を鍛えようとしたばかりでなく、このような機会を通して私たちケンブリッジの修煉者に神韻を広める中で全体を向上させ昇華させ、さらに多くの衆生を救い済度させようとなされた」ということも分かってきました。神韻を広める中で多くの妨害と試練に遭いましたが、私たちケンブリッジの修煉者は師父と法を信じ、互いに支えあい、旧勢力の手配を否定し、強く神の道を歩み、共同で私たちの誓約を果たしました。

 以下、私たちケンブリッジの修煉者の神韻を広める中での心性の修煉と向上について報告します。

 一、修煉者全員が珠玉の協調人

 ケンブリッジ地区で神韻を広める協調人に任命されたと同時に、私は難しい問題に巻き込まれました。何カ月か前に、私はドイツのある文化協会のオファーを受けたので、中国の新年の期間中、5日間で7回の養生講座をすることになったのですが、目的はこうすることで中国伝統文化が好きな上流社会と縁を結び、上流社会の人々を救い済度することでした。それは、この文化協会が西洋の上流社会と互いに多く影響し合っていたからで、その上、かつてたった5人の成人の大法弟子、2人の大法小弟子と2000ユーロの立ち上げ基金だけという場合でも神韻芸術団の公演を数回行うことに成功したのでした。ですから私もこの機会に神韻を広める経験をケンブリッジの修煉者たちに学習させたかったのです。あいにく、私が出かけてスピーチする予定の時期と、協調してチラシを配り始める段階がちょうど重なってしまい、私が離れたら、この期間チラシを配る協調作業は誰がやるのでしょうか? 私は自分の考え方をケンブリッジの同修と交流し、ケンブリッジの同修は理解と支持を示してくれました。大変大きなメディアで文章を書く任務を受け持つある責任者は、チラシを配るための煩わしい協調作業を自ら引き受けてくれ、他の修煉者も皆手伝って意見を出し、いろいろ具体的なことについて協調の仕事をしました。特に修煉を始めてから時間が長くない、ある新しい修煉者は、長距離運転でチラシを配る修煉者を送り迎えする仕事を引き受けたばかりでなく、自らチラシも配り、同時に他の同修の配布する仕事を手配しようとしていました。その新しい修煉者はもともと体が弱くて病気に罹りやすく気が短い人間だったので、もし法輪大法を修煉しなければ、その新しい修煉者は絶対にこれらの事は出来なかっただろうということを、その新しい修煉者は話しました。

 二、ケンブリッジの同修の無私奉仕精神

 ケンブリッジから私たちが神韻を広める管轄区までは交通がとても不便で、もし列車に乗るか路線バスに乗って転々と往復すれば、往復するだけで1日約7~10時間をつぶすことになりますが、もし車を運転したら約4時間で済みました。ですから車を運転するという重責が、唯一車を運転できる新しい修煉者にかかり、知らず知らずの間にこの修煉者に大きなプレッシャーを与えましたが、同時に心性を向上させるチャンスをもこの修煉者に与えたのでした。ある時、修煉しない奥さんと2人の幼い子供が病気をしましたが、その日はちょうどみんながチラシを配りに行く日だと約束をしていたので、この修煉者は道義上後には引けずに皆を引き連れてチラシを配りに行きました。また一度、ちょうど車でチラシを配りに行く前の日に転げそうになり、肘とひざが腫れたので、「だめだ、明日はチラシを配れなくなった」と、その時この修煉者は思いました。ですが「この考えはおかしいので、この考えを排除するべきだ」とすぐに気が付き、そこで翌日いつものように車を出して資料を配布しました。当日は朝に雨が降っており、この修煉者は自分の車が故障したので、奥さんが子供を学校に送って行くのに使う車を運転して資料を配り、奥さんに子供を学校に送って行くための他の方法を考えて貰いました。大法の事柄はただ最も重要な事なので、大法がなければ今日の自分もないのだ、ということをこの修煉者は話しました。

 私たちが車を出せるチャンスは限られていたので、私たちはその都度車でチラシを配りに行くチャンスを利用して、一生懸命チラシを配らなければなりませんでした。時間を省くのと能率を上げるために、私たちは皆がスーツケースを持つか、あるいは大きなカバンを背負い、1日に配る資料を手分けして配り、街中を歩き回ったので、ある修煉者は足が痛くなり、ある修煉者の足には穴が開いてしまいましたが、これらは修煉者にとっては何の妨害とも感じませんでした。皆問題が起こると無条件に内に向けて探し、苦しみを楽しみと考えました。

 ある60歳を過ぎている年配の修煉者も、若い人と同じように大きな包みのチラシを背負ってあちこちを訪れて話し回り、1日街中を歩き回った結果、足に痛みを覚えましたが、ともかく気持ち良くチラシを配ったので、これで神韻を広め大勢の衆生を救い済度することに関与することができると思いました。これは大法弟子にとっての特別の光栄でしたが、このような機会はだんだん少なくなってきていました。子供が2人いる若夫婦にも、神韻のチラシを配り若夫婦に誓約を実行する機会があるようにするために、その年配の修煉者は若夫婦のために積極的に提案しました。神韻の協調の仕事をする中で、その年配の修煉者も多くの事に対して協調して応援したので、ケンブリッジの神韻を広める仕事を順調に効率よく行うことができました。

 さらに昔ケンブリッジに住んでいたある修煉者は、私たちの人手が足りず、上流社会と触れ合うには力不足なのを見ると、すぐに神韻宣伝の手伝いを自分から言い出してくれました。この修煉者が加わってくれたことで、私たちは所轄地域内で早く上流社会の扉を開くことができ、チケットの購入率を明らかに向上させました。他の修煉者はこの修煉者のために車およびメンテナンス費や給油費を無償で提供しました。

 ケンブリッジの衆生が神韻を見にバーミンガムまで来やすいように、ある修煉者は自ら出資してバスを借りてケンブリッジの観衆をバーミンガムまで運びました。

 このような事は数多くありました。一人一人の修煉者はみな努力して自我を捨て、黙々と不足を補い、全体を円融し、ケンブリッジの神韻を広める仕事を成功へと導きました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/9/13/297690.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/9/15/3268.html)
 
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