文/若者大法弟子
【明慧日本2018年3月6日】僕は1999年に法を得た大法弟子です。幼い頃に法を得て、心身共に佛光を浴びながら成長してきました。しかし、1999年の「7.20」以降、長期に渡る迫害により極めて大きな恐怖心が生まれたため、インターネット依存症になってしまいました。しかし、大法の素晴らしさも知っているので、それ以来、半分は常人、半分は修煉者の状態で今日まで歩んで来ました。
それでも、「師父が必ず僕を救ってくれる。希望を捨てるな。いつか必ずネット依存から脱却することができる。大法だけが僕を本当の家まで導いてくれる」という一念をずっと抱いていました。
この願いを持ちながら精進したり、またすぐに、安逸を求め自分への要求を緩めて歓喜心が起ったり、また、意気消沈してインターネットや常人の娯楽に夢中になったりして、気持ちのアップダウンが非常に激しいものでした。衆生を救うことに参加したかと思いきや、家に帰った途端にインターネットを開いて目が離せなくなり、精進するのもうわべだけで、「真」ができていないと自分自身も思います。
常人のものに夢中になるのは色欲と情を取り除いていないからである
ずっと昔に、自分が「色」に捕らわれていることに気づいていました。体を鍛えるのも、ダイエットをするのも、そして、意気消沈になるのも、全て「色」が原因なのです。これまで、常人のネット小説や、映画・ドラマ、音楽などから離れられない原因は何かと真剣に考えたところ、答えは、「色」と「情」でした。個性のある主人公で、かつ、激しい動きの場面や暴力シーンのあるストーリーが僕の好みです。例えば、冷酷なヒーローや、スタイルのいいヒロイン、その上、銃の打ち合いのある小説や映画・ドラマが一番好きでした。しかし、良く考えてみれば上記のどれもが、長期的にインターネットと接触して変異してしまった常人の観念と思想なのです。同修が明慧法会で発表したように、まさに、腐敗物が同類に合致してしまったのです。
「今の人は利益に目がくらむばかりでなく、一部の人は悪事のかぎりを尽くし、お金のためならどんな悪事でもやりかねません。人を殺すとか、金で命を買うとか、同性愛、麻薬など何でもやります」[1]と師父は今日の社会現象を指摘されました。
長期的に常人と接すると、人殺しや、暴力、色欲、現代ではやっている行為などの悪いことを段々と「良い」と思うようになるのです。表向きは絶対に認めたくなくても、内心では「すごい!」と思ったり、「格好いい!」と思ったりするのです。師父の「ここは一理あると思っただけで、それが出てきて、あなたの功に加えられます」[1]という説法を勉強して目が覚めました。歓喜心などの執着心が原因で、ネット依存からなかなか脱却することができないのです。
ハッと目覚める
初めてネット上で知り合った友人に法輪功が迫害された真相を伝えました。その場では彼女は何も言いませんでしたが、それ以来、僕と話さなくなったのです。それ以前は、僕と仲が良く、お互いとても曖昧な関係でした。僕自身が「情」に捕らわれていたため、彼女を家族や友人よりも重要な位置においていました。彼女と何カ月もチャットで話していたため、学法が少なく、週に1、2回程度の時もありました。内に向けて探しても何も見つからず、時に「色欲」や「情」を見つけ出しても、「どうせ取り除くことができないから、これ以上考えても仕方ない」と開き直っていました。師父は、「色欲に執着するならば、悪い人にほかならず、口で経文を念じていても、品のない目で互いを見ていて、道から遠くかけ離れているのですが、これは邪悪な常人です」[2]と説かれました。
彼女と連絡を取らなくなってから、ふと「学法しなければならない。法を勉強しないと、もうこれ以上耐えられない」という念が出てきて、何とか毎日法を勉強するようになりました。しかし、かつて、仲の良かった相手が突然自分から遠ざかり、そして、お互いの関係まで勝手に断たれたという悲しみから抜け出せなかった僕は、かなり長い間、彼女に付きまといましたが結果は変わりませんでした。その後、偶然にも、彼女の生活が困難になったことを知った僕は、真相を伝えることを決心しました。この念が出た瞬間、情魔が一瞬にして消え去ったのを感じ、その時、涙が出てきました。彼女と自分はいかなる縁で出会ったとしても、彼女に真相を理解してもらわなければならないのです。
師父はこのように説かれました。「実は人間は受動的に情に執着しています。情に執着しているとき、情はあなたの考えに各種の執着を生じさせ、それによって各種の観念ひいては変異した観念がもたらされました。あなたは突然ある人のある動作または姿を好きになり、長い間あなたは執着してこれらのことを好みます。または、あなたはある人の態度、表れを好きになり、時間が長く経つと、観念が形成され、他でもなく相手のこの現れを気に入ってしまいます。徐々にこのものがますます強くなり、あなたの考えを司ってしまいます。あなたは何かを好きになり、それは一種の観念として形成されたとき、ますます強くなります。心の状態が変異していれば、この変異した考えは強められ、ますます変異してしまいます。ですから、同性愛は情の中の一種の変異したものであり、実はこれも一種の観念によって形成されたのです。ただそれが変異したものだけです」[3]
この段落の説法を読むと、まさに自分がネット依存症になった時の状態とそっくりなのです。実際には会えないのに、僕は一体彼女の何に惚れていたのでしょうか? 最初は自分と話す時の彼女の話し方が好みでした。それから、自分に優しくしてくれる彼女が良くて、彼女を好きになるべきだと思うようになり、いつの間にか夢中になるまで心を奪われ、時間が経過していくと共に変異した情に変わってしまったのです。ネット依存症も同じことです。この変異してしまった物質の塊が僕の思想まで支配し、例えつまらないと感じていてもインターネットを開いてしまうのです。
彼女は真相を聞いても何の反応も示しませんでした。法を得るためにやって来た衆生なのに、真相を伝えても相手の心を喚起することができないのは、きっと、自分の修煉に問題があり、次元が上がっていないからです。そして、僕は再び精進する決心をしました。自分が原因で大法に無限の希望を抱いている生命を失望させてはいけません。全く煉功しなかった僕は毎日五式の功法を煉るようにし、また、心を静めて法を勉強し、発正念も欠かさず行い、衆生を救うことにも全力で取り組み、常に内に向けて自分を探すように努力してきました。
執着を放下し、内心の陰から抜け出す
毎日「三つのこと」を行うことで、僕は徐々に心の陰から抜け出すことができました。初めの頃は、思想業力によりひどく落ち込み、仕事中においても彼女の事ばかり考えてしまい、憂鬱な状態になりながら、情魔に圧し潰されないように、ただただ耐えていくことしかできませんでした。内心では泣きながらも、「師父助けてください! 僕を助けてください!」と叫ぶことしかできず、何度も師父に助けを求めては、ようやく気持ちが少しだけ楽になりました。しかし、またすぐに苦しい思いになり、その度に「法輪大法は素晴らしい!」と唱えるしかできませんでした。こうして、しばらく経つと、暗かった気持ちが少しずつ明るくなっていき、また、毎日煉功と学法を続けることで、精進する意志も固まってきました。
その後、色欲心やネットをみたい時、嘘をついてしまう時や暴飲暴食などの状態が現れた時は、「今を楽して安逸に過ごせば、お前は満足するのか? 安逸になれば業力をつくってしまう。業力をつくれば自分の修煉の道に難を加えるのではないのか? 前はあれだけ褒めてくれてよくしてくれた彼女でも、結局は別人みたいに冷たくなったのではないのか? 法を得て何年も経ったけど、この一時の安逸のために、また、遠回りをするのか? それは絶対に駄目だ」という思いが頭の中に浮かび上がりました。あれこれ考えて、修煉して、また以前のように安逸と交換するような真似は絶対にしたくはないと思いました。すると、激しかった情がおさまり、人心も少しずつ消えていきました。
子供弟子から青年弟子に成長するまで、師父に頼りながらも遠回りすることになりかねません。法を正す時期において、この最後の時間の中で未だにネットに依存し、インターネットに夢中な青年弟子たちに心から忠告します。私の体験を通して考えてほしいのですが、この最後の大切な時期に、決して修煉を怠ってはいけません! 自分たちの言動に責任を持ち、しっかりと精進していきましょう!!
注:
[1] 李洪志師父の著作: 『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作: 『精進要旨』 「修める者の忌」
[3] 李洪志師父の著作: 『米国西部法会での説法』