夏、殷、周上古三代の天命観について考察する(六)
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 【明慧日本2019年9月4日】もし、上古三代の天命観から一つの主題を取り上げるならば、それは天命と王権との関係ではないでしょうか。この関係を理解すれば、中国の古代の人々が如何にして王朝の興廃の原因、および政権の合法性を認識していたかが分かります。

 古代中国の人々から見れば、一つの王朝、夏、殷、周もそうですが、その王朝が創立される理由は何でしょうか? そして、その政権の合法性を決定するのは何でしょうか?

 『尚書(しょうしょ)』(※1)は中国の歴史上、初めて上古の歴史文献を編集したもので、私たちがこの問題を理解するには多くの史料を提供してくれました。例えば、『尚書・召浩(しょうこう)』の中に、「天より命を受け、夏朝が有り」、「天より命を受け、殷朝が有り」との言葉があります。

 『詩経・商頌』(※2)は殷と周の時代の宋国(※3)の詩です。殷朝の起源に言及した時、『商頌・玄鳥』では「天は玄鳥に命じ、下りて商(殷)を生む」と言い、『商頌・長髪』では「帝が契を誕生させ、商を立てる」と言いました。

 そして、殷と周の時代の青銅の祭器に鋳造した文字、つまり彝器(※4)の銘文を見れば、そこには「天より命を受ける」との言葉が何度も刻まれました。『毛公鼎』(※5)の銘文にも、高徳な文王と武王が現れ、天命を受け、殷を滅ぼし、周を建てたと言う意味の言葉があり、また『大孟鼎銘』(※6)にも、偉大な文王は天から命を授かり、重大な使命を受けたと言う意味の言葉があります。

 『尚書』の記録にしても、『詩経』の伝説や彝器の銘文にしても、すべて共通なことが強調されており、それはつまり、夏、殷、周の創立がいずれも「天より命を受けた」と言うことでした。言い換えれば、王権は天から与えられ、王朝の統治の合法性は天によって決定されると言うことです。

 殷朝を例にしてみましょう。史書の記載によれば、夏朝末期、伊尹 (いいん:夏末期から殷初期にかけての政治家)は夏の桀王(※7)がもう救えないと見て、殷の湯王(とうおう)に桀王を征伐して民衆を助けるようにと説得しました。しかし、湯王は最初の頃、その提案を受け入れませんでした。なぜならば、古代の人は誰でも君主の権利が神から授かり、君主が誤れば臣下として諫言していいのですが、天子に武力を使うことは、臣の義に反することで、決してやってはいけない事だと分かっていたからです。

 しかし、湯王は東方へ進行して、洛河に到着し、尭帝が設置した祭壇を拝んだ際に、ある事が起きました。『尚書・中候』の中には以下の内容が記されています。殷の湯王は祭祀用の玉璧を洛河に沈ませると、黄色い魚が飛び上がり、黒い鳥は魚について祭壇に止まり、そして、黒い玉に変わりました。その玉には、「玄色の精霊天乙(※8)は神から賜った護符を受け、あなたに夏の桀王を征伐するよう命じる。3年後、天下は統一する」との赤い文字が出ました。

 その後、天は湯王を勝利に導くため、镳宫と言う場所で、また彼に「あなたは夏の桀の王位を奪い取って変りなさい。桀の品徳が悪すぎるから、私はすでに彼の天命を絶ち切った。早く皆を率いて彼を討伐せよ。必ずあなたに勝利させる」と命じました(『墨子・非攻』)。結果、湯王は天の按排に従い、早くも夏の桀王を滅ぼし、殷王朝を創立しました。

 上古三代の人々から見れば、天は王権を与えてくださるだけではなく、懲罰によって王朝を滅亡させることもできると考えていたのです。

 夏王朝初期、有扈氏と言う部落は夏の禹王の息子・啓(けい:夏朝の第2代帝)が王位を受け継ぐのを反対しました。結果、彼らは啓に敗れました。どうして有扈氏は負けたのでしょうか? 『尚書・甘誓』には、「有扈氏は五行を威侮し、三正を怠棄したから、天によって討たれたのだ」との内容があり、つまり、天は有扈氏の国運を絶ち切り、彼らを処罰したのです。

 夏朝末期、夏の桀王は殷の湯王に滅ぼされ、夏が滅亡し、殷が興りました。かつて、あれほど強い夏王朝はどうして従属国に滅ぼされたのでしょうか? 『尚書・湯誓』の中には、「夏は罪が多く……天が罰する事に至る」と言う言葉があり、つまり、夏の桀王が罪深いから、天はそれを処罰しなければならないと言うことでした。

 殷王朝末期になると、殷が滅亡し、周が興りました。どうして堂々たる殷王朝は小さな国に滅ぼされたのでしょうか? 『尚書 泰誓』には、「殷は罪悪貫盈で、天はそれを誅す」との言葉があり、つまり、殷の紂王が悪行の限りを尽くしたため、天は彼を誅殺しなければならないという事でした。

 『国語・周語』(※9)の記載によると、周の幽王(ゆうおう:周朝の第12代の王)2年(前780)、泾河、渭河、洛河の地域で地震が起きました。太史(※10)の伯陽父は「周朝は間もなく滅ぶでしょう。天と地の気は本来の順序を失ってはいけません。もしその位置が錯乱していれば、民衆はきっと大混乱に陥るでしょう。陽の気は中に溜まり、外に出て来られず、陰の気は抑えられ、発散ができなければ、そうなると、地震が起きるでしょう。今、三本の川はすべて地震が起きました。それは陽の気が本来の位置に在らず、陰の気を抑制してしまったからです。陽の気は本来の位置を失って陰の位置にあれば、川の源は必ずふさがります。川の源がふさがれば、国は滅びます。川が溜りなく流れると、土地が潤って、万物が成長し、民は収穫が出来ますが、川の流れがふさがると、土地が枯れて、庶民の財が不足し、国は滅びます。昔、泾河、渭河、洛河が枯渇して夏王朝は滅びました。黄河が枯渇して殷朝は滅びました。今、周の国運は夏と殷の末期と同じで、しかも川の源はふさがっており、そうなれば川が枯渇し、山も崩壊するでしょう。国を建てるには、必ず山川に頼りますが、山が崩れ、川が枯渇すると、それは亡国の兆しです。このような国は10年も持たないでしょう。それは限界です。天に捨てられたら、この限界を超えられません」と言いました。結局、その年、泾河、洛河、渭河は共に枯渇し、岐山が崩壊しました。11年(前771)、幽王は殺され、周の都は東に移転されました。

 有扈氏から夏の桀王、更に殷の紂王まで、これらの政権はどうして次から次へと滅んでしまったのでしょうか? 共通の原因は天の懲罰に遭ったからです。一方、有扈氏に勝ち取った夏の啓王、そして、夏の桀王を滅した殷の湯王、殷の紂王を滅した周文王と周武王はあくまでも天の意思を執行しただけに過ぎません。

 つまり、興るのも天命によるもので、滅亡するのも天命によるものだという事です!

(続く)

 ※1中国の経書。五経の一つ。孔子の編という。上古歴代史官の文書をもとに、堯(ぎょう)・舜(しゅん)以下、夏(か)・商(殷(いん))・周3代の帝王の事蹟を100篇の書にまとめたという。史実のほか神話的伝承を含んでいるが、儒家はこれを天下統治の普遍的法則を示すものとして尊重した。

 ※2『詩経』は、中国最古の詩篇である。五経の一 孔子の編と伝えるが未詳。西周から春秋時代に及ぶ歌謡三〇五編を風(民謡)・雅(朝廷の音楽)・頌(しよう)(祖先の徳をたたえる詩)の三部門に分けて収録。

 ※3宋(そう、紀元前1100年ごろ-紀元前286年)は、中国大陸に周代、春秋時代、戦国時代に亘って存在した国である。

 ※4彝器(いき) 古代中国、殷周時代の祭祀(さいし)用の青銅器。祖先の宗廟(そうびょう)に常に供えた、釣鐘・鼎(かなえ)など。

 ※5毛公鼎(もうこうてい) 中国古銅器中最も長文の銘をもつ鼎

 ※6大孟鼎銘(だいうていめい) 西周康王时期の鼎 銘文中には、康王の言が多く記載されているため、王自身の思想や、周国建立以来の精神も理解でき、また殷国滅亡の様子も記載されている。

 ※7桀(けつ) 夏王朝の最後の王。残虐で酒色を好み、暴政を行い、殷の紂(ちゅう)王とともに悪王の代表とされる。殷の湯王に討伐された。

 ※8 天乙(てんいつ、紀元前1600年頃)は殷朝の初代王 天乙は夏の最後の桀を追放し、夏を滅ぼした。湯王のこと。

 ※9国語 こくご 「春秋左氏伝」に漏れた春秋時代の列国史。周語・魯(ろ)語・斉語・晋(しん)語・鄭(てい)語・楚(そ)語・呉語・越語の8か国の歴史よりなる。紀元前350年ごろ成立。

 ※10古代中国の官名。天文・暦法、また、国の法規や宮廷内の諸記録のことなどをつかさどった史官および暦官の長。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/8/8/390466.html)
 
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