夏、殷、周上古三代の天命観について考察する(十二)
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 【明慧日本2019年9月11日】ここまで来たら、私達はもう上古三代の天命観について、まとめることができるでしょう。

 夏、殷、周三代を通して、古人の天命観は絶えず変化を見せ、それぞれの特徴を備えるようになりましたが、しかし、天を祭ることを通して天が万物を育み、潤すことに対して感謝することにしても、中華民族を守ってくださるようにと天にお祈りすることにしても、あるいは天地を封禅して、自らが国を立て直した偉大なる功績を報告し、同時に天命を授かり、世を治めることを表明することにしても、大事を決定する前に吉凶禍福を占うことにしても、また、『尚書』の中に天命に関する大量の論述も、甲骨卜辞の中の「帝」の威力に対する強調も、彝器の銘文に何度も出て来た「天より命を受ける」と言う言葉も、それらの中にはすべて共通な視点が貫かれていました。この共通な視点から、「天とは何か、天と人間との関係がどうなっているか、人間がどのように天に対応すべきか、人間としてどう身を処するべきか、特に帝王としてどう行なうべきか、帝王の道とは何か……」について、我々は上古三代の人々の考え方を窺(うかが)うことができます。

 具体的に言えば、この共通な視点は以下の内容が含まれていると思います。

 1、天、神はこの上なく最高の存在である。

 2、天、神は万物を育み、潤すだけではなく、人間のすべてを支配している。自然界の風雨、雷と稲妻、水害と干ばつ、農作物の成長と収穫、さらに、王朝の栄えと衰え、人の富貴と貧賎、吉凶と禍福はすべて冥冥の中の「帝」、「天」によって按排されている。

 3、人間は天に対して感謝し、畏敬の念を持ち、天に祈り求め、天意と天命の按排に服従しなければならない。これをやり遂げることが出来れば、天からご加護をいただけるが、それに反して行なえば、天から懲罰を受けることになる。

 もしかすると、一部の人は「どうして古人は天と人間との関係に対する認識を天命観、あるいは天命思想と称するか」と質問するかもしれません。私の理解では、それは天命と言うのは、天と人間との関係の核心であると彼らが考えたからです。そのため、彼らはそれについての思考と探求は、すべてこの核心をめぐって展開しました。

 それでは、天命とは一体何でしょうか? いわゆる天命と言うのは天自身の命ではなく、天自身の命などと言えたものではなく、天命と言うのは天が造物に下さした命です。具体的に言えば、それは天が帝王に与えた民衆を教化し、国を管理する大きな使命です。だからこそ、上古三代の人々から見れば、天と人間との関係は、主に天と帝王、天命と王権との関係であったのです。そう言う意味では、上古三代の天命観の本質は、実は帝王が為す道で、議論の核心は帝王が如何にして天命を得て、如何にして天命を保ち、如何にして道徳を修め、如何にして民衆と付き合い、如何にして国政を行なう等のことでした。

 上古三代においては、夏桀、商紂のような天道に反して、ほしいままに悪事を働く暴君がいましたが、しかし、ほとんどの帝王は天を敬い、神を信じ、天に恭(うやうや)しく、民衆に慎重に対応しました。それは彼らの頭には天命観と言うものがあったからです。

 一方、中国共産党が政権を取ってからの中国を見ると、そのすべてが覆(くつがえ)されました。中国共産党は無神論、唯物論と進化論の忠実な信者として、彼らは天や神霊、天命、天意を信じず、しかも、それらをすべて「封建的な迷信」として打倒し、徹底的に粉砕しました。その上、中国共産党は傲慢で自惚れて、自分を天、神として見なし、天と闘い、人と闘い、中国の神州大地を血の海にし、中国に絶え間なく悪運をもたらしました。中華民族がこの歴史に別れを告げようとすれば、中国が真の民族復興を実現しようとすれば、中国共産党を解体しなければなりません。そして、同時に、敬虔な心を持って古人の天命観、そして、それが代表する伝統文化に回帰しなければなりません。

 「慎んで天命に従う」ことをして、初めて中華民族の未来があるのです!!

 (完)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/8/16/390462.html)
 
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