「忍」ができると、とてもよい気持ち
文/中国の大法弟子
(明慧日本)私はサバサバした性格です。この性格は裏表がなく、付き合いやすいと思っているので、同じような性格の人と友達になることが多いのです。しかし、大法の修煉の中で、自分の性格は良いと思っているものの、必ずしも他人に平和をもたらすとは限らないことを体験しました。そして、私は大法に基づき、自分の内に深く探した結果、私の「真」の裏には、「善」と「忍」が足りないことに気づきました。そこで、私は懸命に自分の不足を正し、いっそうよく向上できるようにと頑張っています。
ある出来事に、私は啓発されました。私は「忍」を修めることができて、とてもよい気持ちを味わうことができました。
今年の1月末、私は大型携帯ショップに行き、「快楽在線」(登録した数人との通話が割引できるサービスのこと)に申し込もうと並びました。私の番になって、もうすぐ閉店の時間になり、窓口の実習生は慌ててやってくれました。実習生は何度も私の携帯の暗証番号を間違って入力したり、他の人の身分証明のコピーを私の資料に混ぜたりしましたが、私は落ち着いて、と彼女を慰めました。
その後、控えを見ると、また間違いが見つかりました。私は再び彼女に説明して、直すよう要求すると、彼女はもう直せない、直すなら、翌月にしかできないと言いました。私は仕方なく、業務担当者に穏やかな態度で問題を説明しました。担当者は私に「あなたは心が広いですね。私がこの問題を解決します」と言ってくれました。私は微笑みながら「私は法輪功修煉者です。どうぞ『真・善・忍』を覚えてください」と言うと、彼女は「分かりました」と返事しました。
この問題は、丸々2カ月かかりやっと解決しました。この間、私は善をもって「忍」を修めました。その後、担当者は私に「この問題であなたにとても迷惑をおかけしました。『申し訳ない』の一言では済まないと分かっています。しかし、この事を通じて、あなたと知り合えて、とても嬉しく思います。あなたの理解と支持を得られたことは私にとって最も大きい収穫です。本当に感謝します」というメールをくれました。
メールを読んだ後、私の心は温かく、とてもよい気持ちになりました。それは善の力がもたらしたのだと思います。「忍」は、広い心、慈悲の表れだと私は思っています。
2010年6月8日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/5/26/224314.html)
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