明慧法会|大法の中で黙々と同修のサポーターになる
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2013年1月29日】私は1994年9月に大法を得た古い弟子で、今年69歳です。明慧ネット法会の原稿募集を見て、自分の修煉はとても平凡で、書くことがないと思っていました。今日、『二〇一〇年ニューヨーク法会での説法』を読んで、ここ10数年来、同修の修煉と向上のために、私が黙々とみんなを助けて補ってきたことは、師が法を正すことを手伝うことにもなるのではないかと、突然気付き、修煉体験を書く運びとなりました。

 私が法を得た当初、煉功点で多くの同修の体に大きな変化が現れたり、功能が現れたりしましたが、自分にはほとんど何の変化も感覚もなく、自分の根基が良くないのではないかと思っていました。「私は根基が悪くて円満成就できなくても、円満成就できる同修たちを助け、例え、皆さんの踏み台になってもかまわない」と私は決心しました。周囲の同修の多くはあまり学校に行ったことがなく、非識字者もいますので、彼らを助けるために、私は時間を切り詰めて多く学法し、『法輪功』、『転法輪』、経文を暗記するように努力し、同修たちのために集団学法の環境を作りました。このようにして学法する中で、全体的に向上が早くなりました。

 1999年7.20、邪悪は天地を覆い隠すような勢いでやってきましたが、私の周囲の大多数の同修は師父と大法を固く信じて、迷うことはありませんでした。半数以上の同修は大法を守るために上京して、法を実証し、真相を伝え、人々を済度しました。同修たちはそれぞれ迫害に遭ったのですが、固い信念は変わりませんでした。

 その間に、私は地方の農村の同修に接触したことがありました。彼らは修煉を始めたのが比較的遅く、法理に対する理解はまだ浅かったのですが、大法と師父を信じる彼らの素朴な心に、私はとても感動させられました。彼らの置かれた立場はとても危険で、プレッシャーもとても大きく、私は聞くだけで恐怖心が起きましたが、彼らは何の迷いも恐れることもなく、毅然として大法を守って上京する道を選びました。なんと偉大な同修でしょう。その後、私は二度と彼らの消息を知ることはできませんが、彼らに対する敬服と感動は今なお私の心に残っています

 2000年、迫害を避けるために家を離れ、放浪生活を余儀なくされた私たち数人の同修が、一緒に資料拠点を設け、資料を作り、配る作業をみんなで分担しました。私はそのような才能をあまり持っていないので、買い物と食事係りを担当し、若い同修の子供の世話もしました。私がこれらのことをすることで、同修たちの負担を軽減でき、もっと多くの時間を学法に使うことができます。私は直接大法を実証していませんが、日常の雑用はやはり誰かがしなければならず、私は同修たちのサポーターになりたいと思いました。私たちはあまりお金を持っていません。とても質素な食生活をしていますが、私は料理の腕を奮って、できるだけ美味しく作ろうと心がけています。

 ここ数年、環境は比較的穏やかになったのですが、新しい問題が出てきます。一部の同修は迫害に遭ってから邪悟の状態に陥り、一部の同修は長期にわたり体調が優れません。彼らの多くは長年ずっと三つのことをして、修煉状態は悪くないといえますが、どうしてこのような問題が現れたのでしょうか? みんな戸惑っています。

 師父は『精進要旨』「道法」で「長きにわたって大法の中にいる衆生、特に弟子には、心性を向上させることにおいてずっと法に対して異なる次元での誤解があります。魔難がやってくるとき、本性の一面から認識することができず、完全に人間の一面から理解しているため、魔はこれを利用して尽きることのない妨害と破壊を行ない、学習者は長期にわたり魔難に陥っています。本当のところ、これは人間の一面の法に対する認識不足から起こったことで、人為的に皆さんの神の一面を抑制し、つまり皆さんが修めてできあがったその部分を抑制し、法を正すのを阻んでいるのです。修めてまだできあがっていない一面が、どうして主思想を抑制し、すでに法を得た一面を抑制することができるものでしょうか? 人為的に魔を助長し、それが法の隙につけ入っているのです。弟子として、魔難がやってくるときに、本当に平然として動ぜず、または異なる次元のあなたに対する異なった要求に符合するよう心を放下することができれば、充分に関を乗り越えます。それでも魔難が尽きることなく長引くのであれば、もし、心性または行動にその他の問題がないのであれば、きっと邪悪な魔が皆さんの放任している隙につけ入っているに違いありません。修煉者は、なんといっても常人ではないのですが、ならば、本性の一面は、なぜ法を正さないのでしょうか?」とおっしゃいました。

 実はすべての問題の根源は、私たちが表面のものを重視して、着実に修めていないことにあります。私は問題のある同修をできるだけ助けています。邪悟の同修に対して、私はいつももう一人の同修を誘って一緒に訪ねます。同行の同修が邪悟の同修に妨害されないように、私はその都度、注意を払っています。そういう同修に会う勇気があるのは、私がどれほど大胆であり、もしくはどれほどの技量があるというわけではなく、それは着実に学法した結果に過ぎないのです。邪悟に陥った同修に私は最大の慈悲心をもって対処し、彼らの悪いところをあまり重く見ません。今まで、私たち2、3人は、意外にも7、8人の邪悟に陥った同修にばったり会ったことが何回もありますが、心を正しく持って誠心誠意、彼らに対処して、毎回良い結果を収めることができました。

 私は内心から、同修たちのサポーターになりたいと思っています。自分は人より修煉がよくできていると思ったことは一度もなく、ただ同修たちを手伝いたいだけです。絶望状態に陥っている同修を見て、私は自分自身を同修の立場に置き、その苦しみを理解し、解決方法を探ろうとします。

 一例として、同修Aさんは長期にわたり拘禁され、出所して2年経っても、体も精神面もあまり良くない状態にありました。私がもう一人の同修と彼女の家に行った時、彼女は青白い顔をして、ぼんやりとベッドに横たわり、彼女の夫(同修)がそばで介護していました。Aさんはいつ呼吸が停止してもおかしくないような状態だったのです。私と同修はその時、きっと師父に加持されていたのでしょう。意外にもその時の虚像(Aさんが瀕死状態という虚像)に少しも動じることはありませんでした。私たちは冷静にAさんと交流しました。私たちは完全にAさんのためだけを考えていたので、大法は私たちに知恵を授けてくださったのでしょう。私たちはすぐにAさんの執着に気付きました。Aさん自身に自分の問題点を気付かせ、内に向けて探させるために、私たちは根気よく交流を続け、話し方にも注意しました。

 最初、Aさんはベッドにじっとしていて私たちの話を聞いているだけでしたが、次第に顔に赤みがさしてきて、ゆっくりと話せるようになり、最後にはベッドから起きて座れるようになりました。彼女は内心から自分の根本的な執着、修煉上の大きな漏れを見つけることができました。そして、ベッドから下りて歩くようになりました。私たちはずっと夜中まで交流して、早朝3時40分、彼女は夫と一緒に私たちの部屋に来て煉功しました。長い間ずっと煉功していなかった彼女は、なんと一気に5セットの功法をし終えました。これは本当に大法の不思議な力の現れです。

 長期にわたり良くない状態に陥る同修には、学法が少ないか、もしくは多く学法しても形式的になってしまって、法が心に入っていないという共通点があります。このような同修と一緒に学法する際は、以前の学法の形式ばかりを重視する習慣を変えてこそ、はじめて向上することができます。学法のスピードと量を重視せず、読みながら必ず頭の中に法を入れなければなりません。一心に読んでいるのか、それとも口先だけで読んでいるのか、聞けばすぐに分かります。私は毎週2つから4つの学法チームに参加しますが、1チームに2、3人しかいません。

 年配の同修Bさんは地方の農村からここに引っ越して来たばかりで、言葉もあまりよく通じません。識字数も少なく、数年来、修煉をとても怠った状態にありました。私たちは毎週、丸1日の時間をかけて、学法し、発正念をして、現在まで2年以上続けてきました。Bさんと法を読む時、もちろんスピードはとても遅いのですが、しかし2人とも大法を心の中に入れながら読んでいるので、とても良い効果を収めています。彼女は本当にとても素晴らしい同修だと私は気づきました。彼女はとても速く向上していて、私は本当に彼女のために嬉しく思っています。

 大きい事であれ小さい事であれ、私は同修たちの向上のために黙々として、サポーターに徹しています。これは私の使命かもしれません。『二〇一〇年ニューヨーク法会での説法』を読んで、私のしているサポートも、師が法を正すことを手伝うことであると分かりました。最後に「容法」(『洪吟』)を借りて皆さんと励まし合いたいと思います。「佛光は普く照らし 礼儀は圓明となる 共同に精進し 前程に光明たり」

 (明慧ネット第7回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/11/11/232315.html)
 
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