常人は大法弟子の言動を見て大法を認識する
■ 印刷版
 

文/河南省の大法弟子

 【明慧日本2013年12月6日】この一年来の最も大きな収穫は、修煉を日常の仕事や勉強と融合させる習慣が身に付いたことで、まるで呼吸のように自然になりました。トラブルに遭遇した時、真っ先に法を思い出さなくても、その出来事が進行する中で問題の所在を突き止めることができ、多くのことは法の要求に沿って対処すればスムーズになり、時々「柳暗花明又一村」のような感覚を覚えることさえありました。対処の過程において法に沿って実行していけば、違う次元の法理が次々と目の前に現れてきます。

 数日前、義母は喜んで私にこんなことを言いました。彼女は私が以前勤めていた会社の社員団地で2人の隣人に出会いましたが、その人たちは直接私のことを知らず、家族(私の同僚)から私のことを聞いたそうで、義母と私との関係を知り、会話が楽しく弾んだそうです。彼女達が言うには、私は法輪功を修煉することで前途が影響されましたが、しかし社内では公認の良い人でした。義母も大法修煉者ですので、ついでに彼女達に真相を伝えました。義母が、「あなたがその会社から離れてからもう数年経ちますが、あなたの同僚の親戚達でさえあなたの事を覚えています。こうして見れば、当時のあなたは本当に言動が良かったのでしょうね」と言いました。

 去年、私は駐車する際に、隣の車と接触してしまいました。私の車の擦り傷はあまり目立ちませんが、しかし相手の車の傷は比較的大きかったのです。私は門衛に車主の電話番号を尋ね、電話で彼と相談し、最後に200元を賠償することで合意しました。この件が過ぎてだいぶ時間が経ちましたが、ある日、あるおばさんが私の父親にこんなことを言いました。「あなたは本当に良い息子を持っていますね。私の息子から聞きましたが、ほかの人は他人の車を擦ったなら、誰にも見られていなければとっくに逃げてしまうのですが、あなたの息子は2時間かけて相手を探したそうですね」。本来、私の父親は大法のことに関して支持も反対もしないのですが、この件を通じて大法修煉者の誠実と善良を認識できました。

 ある日、私は若者グループと一緒に出張に出かけました。旅が長いので、皆が集まって、友達の付き合いから各種の社会関係の持ち方までの雑談を始めました。私は彼らの話を聞き、その後彼ら各々の立場に立って自分の助言を言うと同時に、彼らに真、善、忍の原則に沿って物事を運んでいくよう勧めると、彼らは感動しました。そのうちの2人はトランプをするのを止め、私に近寄ってきて言いました。「今回の旅は何の収穫がなくても、あなたと会話ができて十分価値がありました」。旅の途中、彼らは競って私の荷物を運んでくれました。その後私は1人ずつに三退を勧め、まだ連絡が取れていない2人を除き、全員すぐに三退をしました。真相を分かりやすく説明すれば、時機が熟すれば事は自然に成就します。

 他人を思いやることを学ぶべきです。以前、私は他人を非難することが好きで、他人の良くないところを見たら必ず口から非難の言葉が飛び出ました。実際それは一種の潜在的な顕示心であり、自分が良くできることを顕示したり、或いはそれが自分の何かに影響を与えたか、自分に不便を齎したか、自分の気分を害したかなど、そこに「利己」が潜んでいます。その後私は考えを改めました。自分も良くできていないところがあって、時には知っていながら間違いを犯します。それなのに、なぜ自分にだけそんなに寛容なのでしょうか? この欠点は直さなければなりません。その後私は他人を思いやるよう心掛け、他人が良くできていない時、彼にはきっと何かの特殊な事情があったからこうなったと思ったり、彼も大変だと思うようになりました。時々、同修や家族の言動が自分の意に沿わないと感じる時、また文句を言い出しますが、それは自分がまだ情を完全に放下できていないからです。

 私は小さな資料点を設けています。同修たちはよく私に資料作りのお金を提供してくれます。実際、私1人で20数人の資料を負担できますが、しかし同修たちはどうしてもお金を置いて行くので、私は金銭の面で間違いを犯さないよう日々自分に気づかせています。設備を買う時、例えばコンピューターの場合、自分と大法の両方に必要であれば、私は自分のお金で購入します。私用で紙を使った場合、すぐに自分のお金で補填し、同修が提供してくれたお金を使わないようにしています。消耗材は私が割安で良い物を買い、無駄を減らし、500枚のチラシを作るのにコストは僅か40元足らずです。文字が綺麗で、色も鮮やかで、皆がその品質に満足しています。私は少し間が抜けていて、大法の資材を買っても資料点からお金を取るのを忘れ、そのまま自分のお金で処理してしまいます。同修によく言われるのは、「あなたから資料のお金を求められたことはありません。いつも自分のお金で買わないで下さいよ」。私は、「そんなにたくさん必要としません。まだ多くのお金が残っていますよ」と答えます。彼らの話では、私は2000元ちょっとで1年近くも持ちこたえました。以前の資料提供者はわりと少ない資料を提供しながら、もっと多くのお金を使ったそうです。私が思うには、その提供者は恐らく私と比べあまりコンピューター関連の製品に詳しくないために、もっと合理的で、経済的な案がなかったのだと思います。私は通常、資料点のお金を別途に会社の引き出しに入れて鍵をかけて保管し、自分のお金で先に物を買ってからそこから引き出すようにしています。

 また、私は断ることも学びました。多くの同修はある文章が良く、真相伝えに適していると思ったら、私に印刷するよう頼んできます。それが大紀元の文章だったり、ほかのもあります。最初の頃、私は断り辛く、その後、自分の面子ではなく大法のために考えるべきだと思い、明慧ネットで文章を確認し、それが明慧のものなら印刷し、そうでない場合は断るようにしています。また、同修は『神韻芸術団合唱団のコンサート』というDVDと、沢山のCDカバーを持ってきて、DVDを復刻してからそこに入れるように頼まれたことがあります。私は明慧ネットでそのコンサートのことを検索してみましたが、それについて言及した大法弟子が少なく、結局私は断ることにしました。数十枚のDVDの復刻は難しくないのですが、同じ精力を使うなら、神韻コンサートや『九評』を作って同修に配ってもらえば、もっと大きな衆生を救う効果が得られると思いました。

 以前の自分は、修煉において精進しなければ旧勢力に隙に乗じられ、病業や魔難に見舞われると思っていました。しかし、その後それは法をよく理解していないことで、しかも、そこに魔難を恐れる心が潜み、取り除くべきことに気づきました。人間は修煉すれば必ず魔難に遭い、魔難に遭った際は淡々とそれに向き合うべきです。自ら魔難を引き起こさず、回避するのも間違いです。それに、私たちは修煉者で、修煉するから魔難に遭い、それこそが私達にある人心を取り除くチャンスです。心性が高まれば魔難も乗り越えられます。今の私は魔難を恐れず、自分の取り除くべき心を探すことに重点を置いています。また、以前より魔難を小さく感じ、魔難を突破した時の向上の喜びも覚えるようになりました。

 今回書いたのは最近の出来事ですが、たいしたことはなく、ただ記憶を辿り、自分の進歩に喜びを感じ、自分の惰性と不足点も見えてきました。妥当でない箇所があれば同修のご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/30/283186.html)
 
関連文章