文/匿名
【明慧日本2014年4月14日】修煉の過程において、修煉者には世間で後天的に形成された様々な観念以外に、ある種の高次元から来ている要素も存在しています。この要素は主に人間の思想の根幹に存在し、とても頑固で、一部は非常に深い空間と関わりを持ち、一部は直接に主体の生命の源点から来ています。歴史の流れの中で、彼らは力を尽くして自分の次元の状態を保とうとしていますが、しかし彼らも成住壊滅から逃れることはできません。彼らは主体の生命と一緒に世間に来ており、人間社会での表れとしては主体の保護ですが、彼らの保護基準が大法の基準に符合するとは限りません。
常人社会の中で彼らは主体を保護するために常人の要素、正と負の二種類の要素を利用して、彼らの目的を達成しようとしています。例えば、彼らは善を利用し、悪を利用し、恐れを利用し、欲望を利用し、そして様々な人心を利用しています。その根本的な目的は自分を保護するためです。
修煉者における反映は修煉の目的の不純です。様々な利己的要素、頑固な執着、改め難い気性や性格などです。自分の利益を保護するために一切を犠牲にし、手段を問わず自分の利益を保護するために深く隠された自分達の利益を保護するために、それらは外部と団結して立ち向かいます。この種の要素は世間において主に二つの種類に分かれています。プラスの面としては、彼らは大法を保護し、大法弟子を保護する作用をしていますが、しかし、はっきりと見極めなければならないのは、この種の要素自体も大法の基準に符合しなければなりません。
修煉の過程において、修煉者は最終的には自我を完全に放下し、自分の全ての要素を大法に同化させなければなりません。マイナスの面として、それは自分の執着を保護し、自分に有利であれば放下し、自分の意に適すれば実行し、表では大法を保護しているように見えますが、実質は自分を保護しています。
皆が知っている通り、全ては正法の中で正され、誰もが逃れることは出来ません。私達の先天的要素、私達の先天的な一切がその中に含まれています。自我を見破り、自我を見通し、自我を空とみなし、無条件に大法に同化することこそ賢明な道です。