不治の病が治り周囲の人は驚いた(三)
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文/黒竜江省の大法弟子 馬忠波

 【明慧日本2015年2月4日】前の文へ

 三、神の奇跡は一つまた一つと

 1カ月ぶりに夫が私を迎えに来ました。私の生命は師父が大きな慈悲をもって与えてくださったっと分かっていたので、この法を修煉する決心を固めました。悪が荒れ狂っていた迫害の時期に、私はしっかり学法し、ひたすら師父が説かれた事に従って行いました。師父が私に自覚させ加護してくださったので、私は生死を放下して関を一つずつ乗り越えました。「生死を放下できればあなたは神になり、生死を放下できなければあなたはやはり人間です」(『米国法会での説法』「ニューヨーク法会での説法」)。そして、奇跡もまた私の身に表れ続けました。私は「理性」、「知恵」、「慈悲」において精いっぱい努力しました。当時、村で私はたった一人修煉しており、大勢の人がテレビのデマを信じていたので、私は自分自身の言行にとても注意し、理性がはっきりしていたので、くどくどとうるさくて理性的でない感じを人に与えたことはありませんでした。

 私は体が良くなったばかりの時、力仕事をするのに苦労しましたが、「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」(『轉法輪』)を思い出しました。できると思えば必ずやできると師父は説かれました。何度も超常を感じて驚きました。今までアルバイトをした事がなかった私は、れんが製造所、店、家政婦などの仕事をしました。私は周囲の環境で触れ合った人を大切にして、「真善忍」を厳しく自分に求め、特に私を害する人を大切にしたので、悪縁を善解したばかりでなく、ある人はそれで修煉の道に入ってきました。

 2000年、私の村の人が私を探しに北京へ行き、その後、1年間不当に労働教養を受けました。その時点で、村のほとんどの人が皆、私を罵り、村長はマイクを使って私を罵りましたが、あとですべて変わりました。修煉者の一挙一動を常人は全部見ていたからでした。修煉者が良い事をした後には人が入って来ました。入って来た時、同修はみな法を実証する事を第一に置き、私は同修と全体を成すために、しっかり真相を伝え、しっかりと行わなければなりませんでした。問題に遭った時は遠回りしないで、真相を伝えなければならないと、師父が説かれた事を私は覚えています。村長は大法に対して正念を持っていなかったので、私と同修によく悪い事をしました。一度、私が村長の家へ行き真相を伝えた時、村長はほどなく変わり、村長も人に真相を伝え、村長の妹に注意し、妹婿は病気で修煉の道に入り、体が良くなりました。多くが難病であったため、同修たちは心性の修煉を特別に重視したので、あら探しをしても修煉者たちの欠点は見つかりませんでした。村長は私たちに会った時、「私が彼らに修煉するよう勧めたのです」と言いました。私たちの村の大隊のほぼすべての幹部が党を脱退しました。

 大法は本当に不思議です。修煉すれば誰でも病気が治るので、ここではいくつかの事例を挙げます。

 ある40歳の人の親族は私の奇跡を聞くと、私の家に功を学びに来たのですが、その親族の家は外屯郷でした。その親族は左官の仕事をしており、けがをした後、あばら骨が突き出て、どうしても治りませんでした。私はその親族の家へ行きましたが、時間に限りがあったので、「はじめに、修煉者になるのが一番いいと思います」と、その親族に話し、その後で、その親族に煉功を教えました。私が去った後、その親族は抱輪を煉功しましたが、4つの動作のうち、3つを忘れてしまい、頭前抱輪しか覚えておらず、さらに2分間しか煉功できませんでした。3日目の時に、その親族は「あばら骨が、突き出たようにきりきりしたと思ったら、できものがぽとんと落ちた」感覚があり、その時、その親族のけがをしたところは快復して、痛くなくなりました。その親族は嬉しくて、すぐに仕事をしてみたところ、バケツを持ちあげて水を汲みに行っても少しも痛みを感じませんでした。「法輪功は、すごすぎる」とその親族は言いました。

 次に私が里帰りした時、「田おじさんの母親が危篤なので、料理を準備した後に、田おじさんの母親に教えられるかどうか見てもらえないか」と母親が私に言いました。私がすぐ見に行くと、お年寄りはスチームに跪き、4つの枕に腹ばいになって、息も絶え絶えで、全身のむくみがひどく、注射しても排尿がありませんでした。「あなたは法輪功を学んでください」と私がお年寄りに話すと、お年寄りはほどなく同意しました。私が手を取ってお年寄りに教え、煉功して8分経つとお年寄りは座っていられなくなりました。そこで私はお年寄りに師父の説法を2段落読んであげると、お年寄りは少し休む必要があるようなので、私はお年寄りの足を伸ばさせ体を横にして眠らせようとしましたが、「だめ、実は跪いてへばりつきながら寝て半年過ぎました」と、お年寄りは言いました。「あなたが自分を煉功者とみなせば何でもありません」と言うと、「そうしましょうか」ということで、私がお年寄りを抱えながら体を横にすると、本当に何でもありませんでした。翌日、私はまたお年寄りにしばらく煉功を教えました。3日目、私が部屋の中に入ると、おばあさんは手を使って自分の腹の皮をひねりながら、「見てください。私のお腹はすべて腫れが引いて、全身のむくみが消え、今は食べることができ、飲むことができ、歩く事ができるようになった」と、大声を上げました。母親が奇跡のように回復したのを知って、田おばさんは泣き出して、「あなたが早く来てくれたら母は苦しむ事はなかったですが、とにかく、この法輪大法は素晴らしいです。私たちの村はみんな法輪功を信じなければなりません」と、感激しました。それからは、おばあさんは飯炊き、ブタの飼育、家事がすべてできるようになりました。おばあさんを知っている村の人で、大法の素晴らしさと不思議な力に感心し敬服しない者はいませんでした。

 私が「4番目の姉」と呼んでいる人は、定年退職してからハルピンでセンターを作りました。一度、4番目のセンターで大腿骨頭壊死したある患者に会いました。その患者は病気で8年間、松葉づえをついて少しずつ歩いていました。姉はその患者のつらい様子を知り、その患者に私のことを話しました。その患者はすぐ姉とハルピンからタクシーに乗って私の所へ来ました。その患者は法輪功がどのように素晴らしいかを聞くと、すぐ私と功を学びました。その患者はまだ商売をこなさなければならなかったので、慌てて帰るしかなかったのですが、功を学ぶことは、すぐマスターできるものではないので、私はその患者に煉功DVDと『轉法輪』を1冊渡し、その患者に帰ってから自分でDVDの通りに煉功してもらいました。その患者と姉が出て行ってから、「こんなに遠いところから彼女たちは功を学びにやって来るなんて、このような縁はめったにないですが、帰ってから、もし煉功DVDの内容を掴めずマスターできなかったらどうなる?」と、私は思いました。私は責任を取らなければならないでしょう。私は乳を飲ませている子供を抱いて、寒い冬に汽車に乗ってハルピンまで行くと、その患者は私をみてとても喜びました。私はその患者の妹に「共に学んでください。姉さんにはできない動作だから、あなたがちゃんと世話をして彼女を手伝ってください」と言いました。その患者の妹も一緒に学びました。結果、次の日の朝、その患者の妹は自分が長年患っていたリューマチがいつの間にかなくなった事を発見して驚き、「大法は不思議だ」、「自分も煉功する」と言いました。翌日の午後、私は家に帰らなければならなかったのですが、妹と妹の家の子供は私の物を隠し、門も鍵をかけてしまい、私を帰らせない、と言いました。姉は8年間ついていた松葉づえを捨て、1人で2階から自宅の惣菜屋へ歩いてきたので、姉の夫は妹に知らせ、「大法は確かに不思議だ」と言い、必ず私を引き留めるよう、妹に知らせました。それから、妹と姉の家の何人もの人が修煉するようになり、家族全員が師父の慈悲深い済度とご恩に感謝しました。

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馬忠波さんと娘さん

 おじの嫁の2番目の姉の家に春波という子供がいます。春波は29歳の時、悪性の脳腫瘍にかかり、大脳と小脳の間の脳幹に腫瘍ができ、手術に5、6万元を使いましたが、手術後、顔面神経麻痺が現れ、頭がい骨と顔の骨格に重大な変形が現れ、右側のこめかみのつぼがくぼみ、脳と耳は指1本ほどの幅の縫い目で繋がっていました。頭蓋骨に重大な変形が起きたために、目玉が鼻柱に入ったため右目は眼帯をつけるしかないので、物を見ることができませんでした。食事は人に食べさせてもらい、服を着るのも、顔を洗うのも身の回りの世話をする人が必要でした。話は多くても3文字しか話せず、さらに、何を言っているのかはっきり聞き取れず、「3~5カ月しか生きられない」と医者は言いました。両親の子供は春波一人だけだったので、医者の「診断」を聞いて、両親は徹底的に絶望しました。両親は山の家、自宅の土地、さらには車、家にある値打ちのある物すべてをみんな売り払って金に換え、大おじと大叔母を頼って私のこの村に引っ越して来たのでした。春波の手術後、病院は入院させませんでした。病院は「治療の価値はない」と思ったからです。そして、この家を借りて住んでいた時、大おじと大叔母の家が工場を開いたので、両親は工場で働いて、家族全員の生活を維持しました。

 春波の両親がどうにもできない状態の時、大おじと大叔母は私を見つけ、「不治の病が治った事に心服しない人がいますが、私が信じます。なぜなら、私はこの目で見たからです。法輪功はこんなに素晴らしいのですが、春波が修煉できるかはわからず、春波の病気は重く、すでに治るすべもない事が私たちはわかっていたので、春波が良くなることを私たちは高望みせず、ただあと数日生きられたらと思うだけです」と言いました。「大法は万能なので、真心を持って習いたいのなら問題ありません」と私は春波の母親に言いました。春波の母親は喜び、かすかな望みを持って春波に煉功を教えるよう私に頼みました。最初、春波は全然立っていられなかったので、私は春波を壁にもたれさせ、他の2人の同修と一緒に手取り足取り春波に煉功を教えました。結果、春波は1日に一つの変化があり、2日目には眼帯を取り外して、目も元の場所に戻って物を見ることができるようになり、だんだんはっきりしてきて、会話も理解できるようになりました。5日目になるとひたすら飲んでいた薬を飲まなくなりました。煉功して十数日後には、生活できるようになっただけでなく、家事ができるようになりました。はじめは中国共産党のデマの毒害を受けていたために、法輪功に対して根本的に信じていなかった父母、おじいさん、おばなどすべての身内は、病院が死を宣告した危篤の病人が、法輪功を学んでたった数日ですぐこのような変化が起きたのを見て、みんな心から法輪功に心を許し、ある身内は法輪大法の修煉を始めました。

 このような例は枚挙にいとまがなく、おびただしい数がいます。あの時点で、私の実家と周りの部落では、法輪功を学ぶことがブームになっていました。ほとんどの人が法輪功を知っており、法輪大法の修煉者になり、恩恵を受けました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/12/20/9-284227.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/1/25/144586.html)
 
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