文/中国の大法弟子
【明慧日本2018年12月2日】昨日、ある同修が自宅に来て交流しました。しばらく話をしましたが、結局、互いに気まずい思いをして別れることになりました。これは初めてのことではありません。彼が帰ってから、私の頭の中は彼に対する不満でいっぱいでした。「私が魔難に遇った時、彼はさすがに酷いことはしなかったが、しかし、助けようともしなかった。彼はいつも穏やかなようにみえるが、私が口を開くと、彼はすぐに否定する。なのに、法に則って否定する理由を説明できず、三つのこともそれほどしっかり行っていない」などと思いました。その後の2日間、私は心が乱れ、落ち着いて朝の煉功をすることもできませんでした。
以前、この同修と交流した時もそうでした。そのため、彼とは話が合わない、彼との交流はむしろ迷惑だ、苦痛だと思いました。本来、私は同修の誰ともトラブルを起こさないようにとずっと決めていましたが、このような結果になってしまって、もう彼と会いたくない、もう家に来てほしくないと思いました。
師父は説かれています。「トラブルがなければ、心性を高める機会を与えられなければ、あなたは向上していけないものです。和気藹々としていてどうして修煉できるでしょうか?」[1]
同修と交流してとても不愉快になっていた時、ちょうど、家族もかんかんに怒って外から帰って来ました。トラブルに遇ったそうです。「これはタイミングが良過ぎないか? これは偶然ではないはずだ。これは私の心に狙いをつけてきている。私は真剣に内に向けて自分の問題を探さなければならない」と考えました。そこで、自分の闘争心、恨む心、軽蔑する心、嫉妬心、人の不足ばかりみる心などを見付け、さらに、色心や過去のことから全く抜け出していない問題にも気付きました。なるほど、以前のことがこんなにも多くの執着心と関連していていたのです。これらの人心を全て暴き出し、一掃しなければならないと思いました。
このように内に向けて探すと、同修は私を「妨害」しに来たのではなく、師父の按排により、私を向上させるために来てくれたのだとやっと分かりました。そして、「いつも自分を常人と混同し、時には常人にも及ばないことをして、内に向けて探しても深く探ることをせず、真の問題を見付けることができなかった。毎日法を学び、法を暗唱しているが、しかし、いつでもどこでも法に則って着実に修めていない。トラブルに遇っても人心を取り除かず、真に向上していなかった。さらに、トラブルから逃避しようとした」と自分の問題をたくさん見付けました。
師父は私のこの様子をご覧になり、私を助けようと、一回また一回と同修を按排してくださったのです。本当に師父に申し訳なく、同修の皆さんに申し訳ないと思いました。弟子の悟性が悪くて、師父にご心配をおかけしました。
師父は「本当の修煉は心を修煉しなければならないもので、心性が高まった時、心がはじめて清浄、無為に達することができます。心性が高まった時、はじめてわれわれ宇宙の特性に同化し、人間のあらゆる欲望や執着心、悪しきものを捨てることができ、はじめて自分自身の良くないものを放り出して浮かび上がってくることができます」[1]と説かれています。今日、師父のこの法に対して、またさらなる認識を得ることができました。
師父に感謝いたします。同修の皆さんに感謝します。不適切な所があれば、同修達の叱正と指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』