文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年10月5日】私は体験文章を書いた後、順調に明慧編集部に投稿されたため、とても気持ちよく感じていました。その後、大紀元のウェブサイトを閲覧しましたが、時間を見てみると、すでに夜中の2時になっており、すぐに3時30分の目覚まし時計を設定し、眠りにつきました。
目覚まし時計はすぐに鳴って、あまり寝ていないような気がして、ああ、頭がフラフラして、徹夜するとやはり気持ちが悪くなります。この状態でどうやって功を煉ろうかなと思いました。私は師父が法の中で、煉功で体力を回復することは睡眠よりもはるかに効果があることについて説かれたことを覚えていましたが、強い眠気が完全に脳を満たし、ほとんど制御できません。また5時50分に目覚まし時計を設定し、毛布をかぶって熟睡しました。目覚まし時計はすぐに鳴り、頭がまだ混乱している中、むりやり正念を発した後、仕事に行く時間に合わせて目覚まし時計を設定し、睡眠を補うために、横になってしまいました。横になった瞬間、心も体も不快を感じ、何度寝返りを打っても眠ることができませんでした。時間になったので仕事に行き、午前中、机の前に座ってぼーっとしていました。
昼食後、急いで家に帰り、足を組んで、12点の正念を補いました。私は「これから、睡眠を補うか、煉功を補うか?」と迷ったが、 追い詰められた睡魔に翻弄されていた朝を思い出し、迷わずに煉功することにしました。1時間ほどの「法輪樁法」を煉った後、スッキリとした気分になり、何とも言えない心地よさと元気が湧いてきました。
師父は「修煉とは神の道を歩むことであり、あらゆる人心は障碍なのです」 [1]、「修煉は緻密であり、一歩一歩隙間なく繋がっており、一刻、そして一歩たりとも妨害されてはいけません」 [1]と説かれました。
この経験から、私は修煉の厳粛さを深く実感しました。修煉の中でどの面に人心や概念があるのかというと、その部分に乱れが生じて、直ちに心を正し、修煉の状態を正さないと、滑落してしまう可能性があります。
これが修煉の仕組みであり、常人の状態を超えて現れることはありません。 常人と混同してしまうと、途端に妨害が押し寄せてくることがあります。自分を修煉者と考え、大法の要求を正確に実行することにより、早く妨害を取り除くことができます。
わずかな修煉体験なので、適当でないところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『再び棒喝』