【明慧日本2020年10月7日】(中国=明慧記者)明慧ネットの統計資料によると、2020年7月から8月の間、11人の法輪功学習者が中国共産党(以下、中共)の迫害により死亡した。その中に、王鳳臣さんは刑務所で迫害により死亡。李玲さんは殴られて死亡。他の9人は生前に何度も連行され、実刑判決を受け、労働教養を強いられたことがあった。中に計14年間も拘禁され、長期にわたる拷問や重労働によって、心身とも大きなダメージを受けた学習者もいた。
長春市の姜全徳さんは、11年の冤罪を着せられ、トラの椅子、頭にビニール袋を被せられる。指先と乳首に竹の針を刺す、電気棒で電気ショックを与えられるなどの非人道的な拷問を受けた。右腕を骨折して障害を負い、全ての歯も強打で抜け落ち、8月25日午後10時頃、死亡した。66歳だった。姜さんの遺体には、拷問の痕跡がはっきりと見えた。
拷問の再現:頭にビニール袋を被せられる |
山東省蓬莱市龍山店鎮の李玲さんは、村の書記と民兵に激しく殴られて死亡した。李さんの歯は強打で抜けて、口も裂け、前左の肋骨の下に傷があった。全身が青紫色になり、悲惨で見ていられないほどであった。
大慶市林甸県の優秀な教師・王鳳臣さんは、懲役4年の実刑判決を宣告され、呼蘭刑務所の迫害により腫瘍の重い症状が現れた。大量の血を吐き呼吸困難になり、危篤状態に陥り2020年8月9日に死亡した。
河北省承徳市の辺群連さんは、累計14年の実刑判決を言い渡され、唐山市冀東刑務所で迫害され危篤状態に陥り、瀕死の状態になった。辺さんは8月9日に刑務所から自宅に戻されたが、わずか4日後の8月12日に死亡した。
黒竜江省牡丹江市海林の医師・王淑坤さんは、6月末に元の勤務先に呼び出され、暴力を振るわれ、数日後の7月2日に死亡した。享年66歳。
2020年7~8月、迫害により死亡した法輪功学習者の人数統計表
名前 | 性别 | 年齢 | 省、直轄市 | 市 | 区・県 | 職務 | 年 | 死亡月 | 拘禁致死 | 迫害経歴 |
王淑坤 | 女 | 66 | 黒龍江 | 牡丹江市 | 海林市 | 医師 | 2020 | 7 | 労働教養 | |
刘昌坤 | 男 | 吉林省 | 長春市 | 2020 | 7 | |||||
李玲 | 女 | 山東省 | 蓬莱市 | 2020 | 7 | 殴打死 | ||||
白亚清 | 女 | 60多 | 吉林省 | 長春市 | 警察 | 2020 | 7 | 労働教養 | ||
王凤臣 | 男 | 50多 | 黒龍江 | 大慶市 | 林甸県 | 教師 | 2020 | 8 | 呼欄刑務所 | 懲役4年 |
都兴贵 | 男 | 69 | 遼寧省 | 撫順市 | 2020 | 8 | 懲役2年6カ月 | |||
边群连 | 男 | 69 | 河北省 | 承德市 | 2020 | 8 |
2回判決 計14年 |
|||
张崇月 | 男 | 40 | 遼寧省 | 胡蘆島市 | 興城市 | 2020 | 8 | 懲役10年 | ||
郭玉莲 | 女 | 80 | 甘粛省 | 武威市 | 2020 | 8 |
3回判決 計11年 |
|||
姜全德 | 男 | 66 | 吉林省 | 長春市 | 農安県 | 2020 | 8 | 数回判決計11年 | ||
朱艳 | 女 | 57 | 吉林省 | 吉林市 | 龍潭区 | 2020 | 8 | 労働教養2回 |
1、 山東省の李玲さん 村の書記と民兵に殴られて死亡
山東省蓬莱市龍山店鎮大璋家村に住む李玲さんは6月28日、村の書記と民兵に連行され、山にある空屋で拷問を受けた末、7月13日に亡くなった。李さんの遺体があまりにも悲惨であるため、民兵らがずっと遺体を監視し、当日強制的に火葬させた。
6月28日午前、李さんは法輪功の資料を持って帰宅した所を通報され、村の書記と5、6人の民兵に連行され、30冊以上の法輪功のパンフレットが押収された。
李さんは資料の出所を言わず、不当な取り調べに応答しないため、2人の民兵に滅多打ちにされた。拷問を隠蔽するため、彼らは李さんを山にある空屋に拘束し、足で強く蹴ったりした。李さんは強打されお尻に大きな石が当たった、また、心臓のあたりを木の棒で殴られたため容態が急変した。また、李さんは室外で長時間雨にさらされていたこともあった。
7月13日、李さんは村の診療所に搬送されたが、すでに死亡と告知された。
1週間前、李さんの夫は除草剤を飲んで自殺をはかり、病院に搬送されたが助からず亡くなった。亡夫の服を取り出すため、李さんはいったん家に連れられ帰った時、息子を抱きしめて「お母さんは屈しなかったよ」と言った。その時、息子は母の唇に大きな傷があり、数本の歯が抜け落ちて、やつれた姿を目にした。その後、息子が強く要求したので彼は頭に布を被されたまま秘密の場所に連れて行かれた。一度だけ母親と面会できたが、それが最後となった。
2、黒竜江省の王淑坤さん 警官に激しく殴られて死亡
黒竜江省牡丹江市海林市の医師・王淑坤さんは、6月末に元の勤務先に呼び出され、暴力を振るわれた。数日後の7月2日に王さんは死亡した。享年66歳。
拷問のイメージ図:暴力を振るわれる |
王さんは海林鎮病院を定年退職した後、再雇用された内科医だった。2020年6月末、病院側の党委書記・韓艶は王さんに電話をし、嘘を言って王さんを病院に呼び出した。王さんは病院へ行ったが、海林市第一派出所の警官たちが待っていた。警官は王さんに「三書」を書かせ、夫の于小鵬さん(学習者ではない)も学習者であることを認めるように強制したが、王さんは拒絶した。それから、警官はその場で王さんを殴打し「三書」にサインを強要した。王さんは、体があざだらけで、膝を骨折し汗びっしょりとなり、数時間後に帰宅した。
心身ともに巨大なダメージを受けた王さんは、7月1日夕方から、めまいや気持ちが悪いなどの脳出血の症状が現れた。翌朝4時25分、王さんは脳幹出血の症状が出て、突然、亡くなった。
7月4日、王さんの遺体は海林市火葬場で火葬された。妻の棺の前で夫の于さんは「妻はひどい目にあって死亡した。妻はとても可哀想だ。彼らを許さない」と大泣きした。
王さんが亡くなった後、警官は王さんの夫に王さんのことを「ネットで言うな」と脅迫してきた。
3、長春市の白亜清さん 迫害死
拷問の再現:死人ベッド |
長春市の白亜清さん(60代女性)は法輪功を学んでいるという理由で迫害を受け、心身ともに苦しみをなめ尽くし、7月20日にこの世を去った。その前の7月13日、白さんは警官により留置場に連行されていた。
白さんはもともと長春市少年犯労働教養所の警官であった。2006年11月17日、白さんは長春市少年犯労働教養所の寮で連行され、労働教養1年を科され、黑嘴子労働教養所に拘禁された。教養所で、白さんは信念を堅持したため、10日間死人ベッドで縛られて引っ張られ、足に障害を負った。教養所から出ても、白さんは引っ張られた足がずっと痛かったという。
2017年7月13日、白さんの娘・韓氷さん(36歳、学習者)が連行され、懲役3年6カ月の実刑判決を宣告され、長春女子刑務所に移送された。韓さんが拘禁されていた期間中、1年余り面会を許されず、白さんは娘を救うために、精神面で迫害を受けていた。
今年4月4日、白さんは法輪功の資料を配った際、警官に連行され、家財を押収された。保釈金1千元(約1万6千円)をゆすり取られて解放されたが、家でも監視されていた。また、白さんの体調は明らかに悪くなり、労働教養期間中に拷問を受けた足は酷く引っ張られたため水が溜まり黒ずんでいた。
7月上旬、白さんはまた派出所の警官に連行されて、検察庁で尋問されたが、結果は出なかった。帰宅後、白さんは歩けなくなり、3日間も食事をとっていなかった。白さんは1人暮らしをしており、友達が白さんを訪れた時、ようやく白さんの状況が分かった。友達の助けのもとで、白さんはだんだんと良くなり、ご飯が食べられるようになり、歩けるようになった。
7月13日、白さんは再び警官により留置場に連行され、体調不良のために入所を拒否された。白さんは精神にダメージを受け、健康状況が悪化して、7月20日に亡くなった。
4、都興貴さん 冤罪晴れぬまま死亡
遼寧省撫順市の都興貴さん(69)は、20年来、何度も不当に労働教養を強いられ、洗脳班に強制連行された。2016年11月、都さんは2年6カ月の労働教養を科され、2018年12月28日に刑期を終えた。明慧ネット2020年8月12日の報道によると、順城裁判所はまた「刑務所外での執行通知」を伝え、都さんに対して嫌がらせを働いた。都さんは巨大な精神的なプレッシャーに耐えきれず、死亡した。
都さんは2歳の頃から重度の気管支炎を患い、発作の度に息ができなくなり、苦しんでいたが、法輪功を学んでから、病気が奇跡に回復した。都さんは法輪功から恩恵を受けたことを中共に騙された人々に伝え、より多くの人に法輪功の良さを理解してもらおうと考えた。その結果、長年来、中共による迫害を受けていた。
5、10年間迫害され続けた張祟月さん 死亡
遼寧省胡蘆島市興城の学習者・張祟月さんは、10年間の冤罪を経て、帰宅して僅か2年、妻、2人の娘と高齢の母親を残して8月7日に亡くなった。40歳の若さであった。
張さんは遼寧省胡蘆島市興城大寨郷郭家村の出身で、法輪功を学び、真・善・忍に基づいて自分に要求し、同郷の人々からも良い人だと認められていた。中共が法輪功を迫害して以来、張さんは警官らに繰り返し迫害され、一家は胡蘆島市綏中県で放浪生活を余儀なくされた。
2008年2月25日の早朝、綏中県国家安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官・李長華、劉忠和らが、張さんの自宅に侵入し、張さんを連行して家宅捜索を行なった。そして張さんの自宅から、パソコンやプリンターなどを押収した。3日後、警官はまた張さんの家に戻りドアの鍵を壊して侵入し、一家の私有財産を押収した。
2008年5月、張さんは懲役10年の実刑判決を宣告された。一家は大黒柱を失い、張さんの妻は末娘、長女、70代の多病な姑を連れて故郷に帰った。張さんの妻は体が小さくて力もなく、それでも農作業を1人でやっていた。10歳になったばかりの長女が稲刈りを手伝ったりして、一家の様子は痛ましかった。
張さんは盤錦刑務所で残酷に迫害されたため、身体は極度に衰弱して痩せ細り、めまいがし、上の血圧230mmHg、下の血圧140mmHgの症状が現れた。家族は仮釈放を強く求めていたが、盤錦刑務所は張さんの釈放を拒否した。
10年間の残忍な迫害を経て、2年後には心身共にひどく迫害された張さんは、無念な思いを晴らせないまま死亡した。
6、残酷に迫害された朱艶さんはこの世を去り 長男は迫害で心神喪失
朱艶さん |
吉林市の朱艶さんは、8月15日、無念な思いを晴らせないまま、57歳の若さでこの世を去った。臨終直前の朱さんは力を振り絞って「法輪大法は素晴らしい!」と唱えた。
朱さんは吉林市龍潭区甲罐窯鎮の住民であり、生まれつき善良で、謙虚でかつ公平で、どんな状況下でも寛容さを持って他人に接していた。朱さんは 1998年8月、法輪大法を学んで以来、大法の「真・善・忍」に同化するように努力し、自分に厳しく律していた。
さんは強制労働教養を二度受け、度々の不当な拘束、指名手配により放浪生活を余儀なくされた。幸せな4人家族だったが、迫害により朱さん夫婦は離婚し、2人の子供を世話する人がいなくなった。母親を救出するため、警官に殴られた朱さんの長男・曹陽さんは心神喪失になった。
7、甘粛省武威市の80代の郭玉蓮さん 迫害死
1月、甘粛省武威市の郭玉蓮さんは、凉州区裁判所で懲役1年の実刑判決(刑務所外の服役)を宣告され罰金2000元を科された。その後、絶えず司法局や鎮の司法所から嫌がらせや脅迫を受け、無実の罪を着せられたまま8月22日に亡くなった。享年80歳。
郭さんは武威市凉州区双城鎮徐信村に住んでいた。1998年、法輪功を学び始め、身心ともに恩恵を受けた。法輪功は1999年7月から中共に迫害されたため、郭さんも不当に拘束され、労働教養や判決等の迫害を受けた。
8、11年の冤罪の後、長春市の姜全徳さんは死亡
姜全徳さん |
姜全徳さんは農安県の国家食糧備畜倉庫の元管理人で、1997年に法輪功を学び始めた。法輪功を学ぶ前の姜さんは喫煙と飲酒に溺れ、飲み過ぎると家に帰って来ては、毎回のように家族と喧嘩した。また心臓病などの持病もあったが、法輪功に出会ってからは、タバコと酒をやめて持病も治り、以前よりも良心的に仕事に励み、上司と同僚たちに認められた。
1999年7月、中共が法輪功への弾圧を開始した後、姜さんは4回不当に拘禁され、労働教養を科され、懲役11年の実刑判決を宣告された。刑務所で、姜さんは虎の椅子に縛り付けられ、電気棒で電気ショックを与えられ、頭にビニール袋を被せられて窒息させられ、指と乳首に竹の針を刺されたほか、「大車輪を回す」、「縄縛り」、「豚足を振るう」などの拷問に苦しめられ、右腕を骨折して障害を負った。
姜さんは公主嶺刑務所で、死人ベッドに縛り付けられて動くこともできず、服をすべて脱がされ、高圧のスタンガン数本で同時に電気ショックを与えられた。姜さんの頭が腫れ上がり、腹部を直撃した時に、姜さんはショックでいきなり起き上がったほどだった。
今年7月15日、長春市農安県公安局と各派出所は共同で学習者を連行した。姜さんと妻の孫秀英さんは自宅で警官らに連行され、部屋から庭まで荒し回され、物がいっぱい散乱した。姜さんは皮と骨ばかり痩せこけていたにもかかわらず、妻と一緒に連行された。その後、姜さんは極度に衰弱していたため、家族により自宅に戻されて、ずっと栄養液で生命を維持していた。
妻の孫さんは現在もなお拘禁されている。姜さんの息子は農安県国保へ行き、父親の世話をするため母親の解放を求めたことがあるが、そこで「書類に署名しなければ釈放しない」と言われた。しかし、姜さんは「絶対に署名するな」と息子に言ったことがあったため、息子は署名しなかった。
8月25日午後10時頃、姜さんは死亡した。享年66歳。姜さんの遺体には、拷問の痕跡がはっきりと見える。
9、大慶市の中学校教師・王鳳臣さんは迫害死
50代の大慶市林甸県第一中学校の優秀な教師・王鳳臣さんは、呼蘭刑務所で迫害により腫瘍の重い症状が現れ、大量の血を吐いた。呼吸困難になり危篤状態に陥って、8月9日に死亡した。
王さんと妻の冷秀霞さんはともに大慶市林甸県第一中学校の教師で、「真・善・忍」に従って自分の心を修め、さらに良い人になるように努力した。より一層道徳の高い教師を目指し、真面目に授業を行ない、保護者からの謝礼を一切受け取らなかった。王さんは高校の地理の担当で、授業中は話す内容を工夫して、生徒を飽きさせなかった。そのため、毎年、大学受験のクラスの担当を任された。
しかし、1999年7.20、江沢民グループは法輪功迫害を引き起こした後、王さん夫婦は繰り返し迫害を受けた。2017年1月18日午後、王さんと冷さん夫婦は自宅に押し入った警官らにより連行され、家宅捜索を受けた。
2017年10月11日、林甸県裁判所は、王鳳臣さん、冷秀霞さん、艾教傑さん、李連生さんの4人に対して、不当な裁判を行なった。また、王さん夫婦に懲役4年の実刑判決を言い渡し、それぞれに3万元(およそ45万円)の罰金を科した。そして、2018年春、妻の冷さんは黒龍江女子刑務所に収容され、王さんは呼蘭刑務所に拘禁された。
王さんは呼蘭刑務所の迫害で、重度の腫瘍症状が現れた。呼蘭刑務所は家族に承諾書のサインをするように強いた。承諾書に「王鳳臣が刑務所内で死亡した場合、刑務所側は責任を負わず、検査後は刑務所に戻らなければならない」と書かれており、サインをしなければ検査はできないと刑務所側が言った。
王さんは8月9日朝5時ごろに、ハルビン農墾腫瘍病院で亡くなった。その時、妻の冷さんは黒竜江省女子刑務所で迫害を受けていた。
10、辺群連さん 唐山冀東刑務所で迫害され死亡
河北省承徳市の辺群連さんは、唐山市冀東刑務所で迫害され危篤状態に陥り、瀕死の状態になった。辺さんは8月9日に刑務所から自宅に戻されたが、わずか4日後の8月12日に死亡した。
辺群連さん |
辺さんは、二度の不当判決を下されたことがある。まず2005年、辺さんは連行され懲役8年の実刑判決を宣告された。そして2016年に再び連行され、懲役6年の実刑判決を宣告された。二度とも唐山冀東刑務所で迫害されている。
2005年、辺さんは、唐山冀東刑務所に拘禁され、4人の受刑者が交替して24時間体制で迫害を加えた。
2016年7月8日、辺さんなどの学習者は、承徳県で法輪功が迫害された事実を伝えていた際に連行され、留置場で靴の裏で顔を殴られ、罵られた。
2017年2月15日、承徳県法曹部門の関係者は弁護士の無罪弁護と学習者が伝えた事実を無視し、辺さんに懲役6年および罰金2万元を科した。
辺さんは再び唐山冀東刑務所に不当に拘禁された。2020年1月初旬に直腸がんと診断された。4月13日前後、辺さんは唐山市協和病院で手術を受けたが、刑務所は家族に看病させず、遠くから見ることしか許可しなかった。そして退院後、辺さんは刑務所に拘禁された。
8月9日、パトカーが先導した救急車には、管が胃に挿し込まれて骨と皮ばかり痩せ細った辺さんがいた。町内の住民委員会で、関係者らは引き渡しの手続きを済ませ、辺さんを家族に渡した。
辺さんは高熱で、実の弟さえ分からない状態だった。家族は静かに辺さんを家に連れて帰ったが、辺さんはすでに食事が喉を通らず、直腸癌が広がっていた。
家族とわずか4日過ごした後、辺さんは8月12日に亡くなった。