男女間の適切な行動の重要性について
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2020年10月9日】2020年8月4日の明慧ネットに掲載されていた「男女間の適切な行動の重要性について」という文章を読み、感慨深いものがありました。

 「儀礼」とは、神が男女に残した人間の次元で行動に従う原則です。今日の人々、大法弟子も含め、「儀礼」についてあまりはっきりわかっていないかもしれません。作者の文章を通して、私は儀礼のごく一部しか述べられていないように感じ、まだ満足できません。男女の関わり方についての「儀礼」の内容が全て述べられているのであれば、伝統や純粋さに立ち返るためにも、もっと意味があるのではないかと思います。

 中国の情欲に満ちた環境では、多くの人の概念が変異し、行動が無意識で、意識が曖昧で、同修の間の付き合いの中で、泣くに泣けず笑うに笑えないことが常に起こっています。

 私の周りの修煉者の中では、粗雑なことがしばしばありました、男女が何気なく話していたり、近づいて話していたり、何もかも一緒にして、ふざけたことを言ったり、痛いところを突いたり、女性の修煉者が男性の修煉者の服装を嘲笑っていたり、言ってはいけないことを言ったりなど、ここでよく遭遇している事例を話します。

 私の兄は古い大法弟子です。ある日、彼の家にある女性同修がやって来て、話をする時、よく涙を拭いていました。この光景を兄の妻が見かけたのです。兄の妻は修煉しておらず、同修が帰った後、義姉は兄に「なぜあの女が泣いてるの?」と聞くと、兄は、「彼女は流産したらしい、どうしたらいいか聞いてきた 」と言った。つまり、流産した同修は、どうすればいいかわからないから、法に基づいて兄と交流したいと思っていました。

 義姉は聞いたとたん、カッとなり、「彼女が流産してどうしてあなたに聞くの? あなたの赤ちゃんなの?」と言いました。兄が何度も何度も説明しても、義姉は信じませんでした。義姉は「女が男にこんなことまで言うってことは、あなたが何も関係ないと言っても、誰が信じるの?」と怒っていました。 兄ははっきり説明しないといけませんす。兄を助けるために、私は「これは修煉者が法に基づいて交流したもので、修煉者は純粋な人々ばかりなので、そんなことはありません 」と言いました。 義姉は信じなかったようで、数日夫婦の間はギクシャクしていました。

 このこと以降、義姉は兄に「これから、うちに女を連れてこないで」と警告しました。その後、私は兄に「こうなる前にどんな心があったの?  それに、修煉者同士の話は義姉に言わないほうがいいと思う。義姉は常人だから、修煉に関することが分かるかしら?」と話しました。女性同修がそのようなことに遭遇したときには、他の女性同修に声をかけるべきで、男性同修に声をかけるべきではないと思います。男性同修と2人だけで交流することは正常な状態ではなく、義姉が理解しないだけでなく、それを聞いた人も何かおかしいと感じて、周囲を不審に思わせるのではないでしょうか?  また、大法弟子のイメージにも影響を与え、大法に悪い影響を与えてしまいました。

 私自身もそのような出来事に遭遇したことがありますが、一度だけ女性同修から電話があり、「私です、出産しました…」と言われ、えっ! と少し戸惑い不審に思いました。なぜ私に話したのですか? まるで私には何か関係があるようです。その後、私は内に向かって探しました。過去に私は彼女と親密になりすぎて、欲情的な考えや汚れた心を持っていたのでなければ、彼女はこのような事は言わなかっただろうと思いました。男と女がコミュニケーションをとるとき、聞いてはいけないことは聞かないし、言ってはいけないことは言わない、男女を問わず、特にこのような些細なことでも、礼儀を重んじるべきで、人間の正常な状態に即したものでなければならないのです。

 また郊外に住んでいた修煉者が、2軒の平屋建てを持っていて、そのうちの1軒は空き家でした。あるとき、田舎から来た同修が都会に事の処理に行って、経済的な困難にあい、それを知った男性同修は、女性同修を2日間空き部屋に一時的に泊めてあげたそうです。偶然に、泊まったところに、修煉しない男性同修の妻がものを取るために、空き部屋に来ました。そこで女性同修を見て、自分の夫が浮気したと思い、女性同修に詳しく尋問し、自分の夫にも尋問して、大騒ぎになりました。実は、この男性同修は、事前に妻と話し合っておくべきだったのです、妻が同意してくれれば徳を積み、もし妻が同意しないなら無理強いしてはならず、修煉者は無為でなければなりません。、たとえ、男性同修の妻が知らない場合でも、他の人に知られたら、また疑われるでしょう、男性同修ははっきりと説明することが必要です。

 海外から帰国した同修が言っていましたが、海外のプログラムの中では「夫婦でない男女は車を共有しない」、「男女は同じテーブルを共有しない」、「男女は同席で食事をしない」、「2人きりにならない」、「何かをしなければならない時は第三者が立ち会う」と定められています。 最初はこれを聞いて驚いたのですが、本土の環境ではそのような意識はなく、男女のかかわりの中で、このような粗雑なことが多いようです。男女間の適切な行動について、習慣になっていない、話をする時は度を越えないように注意しなければなりません。

 「男女間の適切な行動の重要性について」という文章の中で、時代が変わっていますが、神が人類に定めた基準は変わっていません。その理屈は同じです。現代社会の聖人君子や、礼儀を守って自重する人でも、男女の間にはある程度の距離を保つことを重んじ、2人きりの付き合いに対して慎重に対応しています。2人きりの付き合いを勝手に行なうと、「非礼」になります。これは妥当だと思います。

 私たちは三界の中で修煉しているため、情欲に満ちている深刻な汚染の中で、私たちが注意しない場合は、情欲が現れ、危険で取り返しのつかないことになります。上記のような現象は多くはありませんが、悪い影響を与えるものであり、修煉者が注意しなければならないことです。修煉者のために少しでも参考になるように書きました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/10/5/413316.html)
 
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