「情がなければ」についての悟り
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年10月13日】師父は「私は情がない時の状態を知っています。(師父は心臓の部位を指差しながら、笑って)衆生に対して慈悲深く、情とはまったく違う状態です。それは一種の広義的なものです。しかし、情についての感じ方ですが、それを余計なもののように感じ、煩わしく感じるのです。あなたの反感を買う話を聞いたり、見たくないものを見た時と同じように、排斥しようとするのです」[1]と説かれました。法を正す進捗は今の時空に達し、私個人として、大法修煉者は法を基準にすればある時点まで昇華できるのだと思います。修煉者はどうやって情から脱出し、どうやって人間の次元から抜けだし、法の基準に達することになるのでしょうか? やはり世間の一切を放下し、名利情を放下することです。根本的なことは情を放下できるかどうかということです。情を放下できて初めて慈悲を持ってこの世界を見ることができます。

 大法が世間に広まるに従って、法を正す時期の大法弟子は、師が法を正すことを手伝うことによって、絶えず体が浄化されていきます。私は修煉前の情欲に満ちた常人から、修煉を通して徐々に法の素晴らしさを実感しました。ある段階で煉功する時、全身が透明なガラスのような玄妙な境界を感じていました。そして私は、師父に絶えず心を清められ、法に絶えず浄化され、絶えず向上していることを実感しています。時々、別空間の自分の体が継続的に浄化され、徐々に抜け出してきたと感じています。その時、私は人間の本質に対して、完全に修煉の境界の状態を明らかに改善していると感じています。

 情の要素が少なくなり、心身ともに浄化されたので、師が法を正すことに手伝った効果もより良いものになりました。私達が、行っている大法のプロジェクトは、全体で協力し、向上して、また法に溶け込むことによって、さらに多くの衆生を救い済度することに大きな役割を果たしています。

 ある病気を患っている同修を助けた時のことです。ある同修が「私たちはこの迫害を認めない」と発生念している時、この同修の口から法輪が飛んでいるのを見ました。その法輪は病業の同修に飛んで行って、病業の同修の良くない物が一瞬に消えました。それを目の当たりにした時、私はしっかり向上し、浄化し、大法のプロジェクトをもっと真剣に進めなくてはと、私は悟りました。

 私は学法を通して、人類社会(三界内)のすべての物が情から出ていることが分かりました。そして、すべての各階層(以下、次元)にいる生命はその次元に、自分自身の使命と大義があります。人間の生命には、情や欲が溢れて、親、子供、妻、夫、親戚などなど、すべてのことは因縁関係でつながっています。この次元の生命をつなぎ留めるのは情と欲であり、この次元の謎を見通すことができなければ、この情から抜け出られなくなり、高次元の生命に達することはできません。

 人間の情を放下して、高次元の状態で物事を考えれば、旧宇宙の要素と低次元の生命の妨害を見分けることができ、旧勢力の按排も否定できます。ある日の朝、煉功の時間になっても、私はまだ起きられず、母は、「今日は煉功しないの?」と聞かれました。安逸心がある私は、もう少し寝たいと思いましたが、私は修煉者なので、どんな時でも安逸心を取り除かなければならないと思い直し、すぐに飛び起きて「もちろん煉功します」と言いました。その後、特別なことがなければ、毎朝必ず起きて煉功します。この機会を失えば二度と巡り合わないと思ったので、毎回師父が按排したこの万古の機縁を失わないようにと考えています。

 情から脱出した私はもっと法理を通じ、もっと自由自在だと感じます。ある日、師父から向上させる光のような功柱を賜りました。この功柱によって、私は宇宙で自由に漫遊することができます(その時、私の境界は銀河系を突破したばかりでした)。私の頭の中に「師父、私の天国を見せて下さい」という願いを抱くと、瞬時に多くの次元を超えて自分の天国に着きました。師父にお願いしたのは、私のかつての天国を見るだけなので、天国に一刻も留まらず、すぐ人間の空間に戻りました。

 師父は、「ここまで話して、私はこのことがどれほど厳粛なのかを考えています。これほど厳粛なのに、多くの人は厳粛に対処していません! 特に一部の古い弟子です。あなたの生活のすべてが修煉の中にあると考えたことがありますか? あなたの言動、あなたが行なったすべて、いずれも修煉の中にあり、あなたは分かっていますか?」[2]、師父はまた「人の行いを神は見張り、帳に留める」[3]、「常に心性を修め 圓満して妙なること窮まり無し」[4]と説かれました。

 大法弟子はしっかり法の基準に従って自分の一思一念を着実に修めて、徹底的に旧勢力のすべての按排を突破するべきです。低次元の人間の理屈を守るために、本当の自分を忘れてはいけません。皆さんは法に対して、大法弟子としての使命を厳粛に対処すれば、真に生命を尊重することができます。

 情を放下できなければ、修煉に対して、いろいろな面に影響があります。例えば、ある同修が多くの煉功点の集団学法に参加して、そして法理上の交流については非常に熱心です。しかし、この同修は自分が着実に修煉することについては、あまり話さずに表面上の法理について話しています。私が天目で見るとこの同修のほかにも似た人心があり、問題点が改善されないために、この同修は常に邪悪に迫害され、そして最近深刻な病業が現れました。

 同修たちは煉功点で交流する時、できるだけ人心を放下して、厳粛に真面目に交流すべきです。私達は師父から、いろいろな恩恵を賜りました。私たちは余計な妨害を避けるため、法に合わない要素を取り除くことを重視すべきです。問題が見つかったら、直ちに慈悲の心で指摘しあい、正念で法から離れる要素を正し、人心の妨害を取り除き、互いに錬磨し、法の基準に達し、大法弟子としての使命を果たします。

 ある日、煉功点で学法する時、私は天目で、師父はきれいな水が入っている大きな茶碗を私達にくださったのを見ました。別の空間の私たちは一緒にこの茶碗を頭上に持ち上げて、丁寧に保存しました。このことから私は、煉功点のすべての同修は、互いに浄化する役割を果たし、純粋な学法環境を守るべきだと悟りました。

 師が法を正す事を手伝っている間に、私は生命の昇華や心性の向上と次元の突破を体験しました。ある日、座禅の時、私の元神は瞬間に多くの次元を飛び越えて、また瞬間に人間に戻ってくるように感じ、それはとても玄妙でした。偉大なる師父、偉大な法は「生命の厖大さと複雑さは、いつまでも人類の永久の謎です」[5] の一部の意味を、私は体験しました。

 慈悲なる師父は弟子の以前の過ちを気にせず、この小さな存在である私に、佛法の偉大さを体験させてくださいました。私は必ず精進して着実に修煉し、偉大なる師父に従って本当の家に帰ります。師父を尊敬し、御恩に感謝します!

 個人の悟りですが、不適切なところがあれば、是非ご指摘をお願いいたします。合掌します。

 注:
  [1] 李洪志師父の経文『二〇一八年ワシントンDCでの説法』
  [2] 李洪志師父の経文『世界法輪大法デーの説法』
  [3] 李洪志師父の著作『洪吟 (四)』「人の行いを神は見張っている」
  [4] 李洪志師父の著作『洪吟』「真に修める」
  [5] 李洪志師父の著作『精進要旨』「穹」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/10/8/375497.html)
 
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