すべてを投げ出して 坐禅の痛みを乗り越える
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年10月17日】本当に恥ずかしいことですが、坐禅するときの痛みの恐怖は、十数年前から私を悩ませています。修煉を始めてから今日に至るまで、気持ちよく坐禅できたのは数回だけで、残りはほとんど足が痛くて、30分か40分しか坐禅できなかったのです。

 ある日、私は決心しました。「今日は必ず最後まで坐禅します!」

 煉功音楽を流し、第五式の功法を煉り始めました。最初の10分で足がしびれ始め、20分後にはすでにかなりしびれていました。30分と経たないうちに足が痛くなってきました。そして業力がいつものように私を麻痺させ始めました。「我慢できないなら我慢しなくていいよ、今度、もっと頑張ればいい」。この意念は自分から生じたものではないことはわかっているので、私は「いや、今日は必ず最後まで坐禅します」と毅然と言いました!

 40分後には、業力が足を攻め始め、痛みの中でできることは、目を開けて秒ごとに時間を数えることだけでした。私は大法弟子であり、今日は煉功音楽の最後まで忍耐しなければならないと思いました。考え事をしているうちに、急にある考えが頭に浮かんできました。「今日はとても良く出来ましたよ。足を降ろしましょう。このままでは痛みで死ぬかもしれないですよ」。この時、私は痛みで汗をかいていました。今までずっと煉功の途中で足を降ろしていましたが、今日はどうしても煉功音楽の最後まで堅持しようと思いました。そして「死んでも足を降ろしません。すべてを投げ出してもやり遂げる!」と固く言いました。

 私は心の中で『論語』を暗唱するようになりました。痛いという考えを捨て、自分を少しでも楽にしようとしましたが、死ぬほど痛みました。私は直ちに「私は大法弟子であり、坐禅の痛みで死ぬことはなく、死んでいくのは業力です」と思いました。不思議なことに、痛みは少し和らぎました。 私は心の中で『論語』を暗唱し続けました。あと7、8分の時間ですが、この時、業力は「足を降ろして、お願いだから、降ろしてください」と絶えず哀願していました。私の下着が濡れ、太ももが痙攣し、ふくらはぎが震え、腰をまっすぐにできず、息ができないほどの痛みがありました。私は「ハアハア」と荒い息を吐きながら業力に伝えました。「今日はすべてを投げ出してお前と戦って、お前を滅ぼしてやる」。このようにして、私は何度も何度も『論語』を唱えているうちに、音楽が終わるまで我慢できました。煉功を終えたあと、自分はどうやって足を降ろしたのかもわからなかったのです。やっとホッとしました。「私はまだ生きている、業力は確実に死んでいる」と感嘆しました。

 次の2日目と3日目も同じように全てを投げだして、煉功音楽の最後まで堅持できました。4日目は非常に痛みを伴いましたが、最初の3日間よりも和らいでいました。しかし40分以上からはまた痛みを伴いました。私は心の中で、何度も何度も『論語』を暗唱し、目を閉じて坐禅をすることができませんでした。それから半月以上も経ちました。今心が乱れ始めるのは50分からで、そのときはまた『論語』を暗唱するようにしました。

 今思えば、私は本当に悟りが鈍いのです。もっと早めにすべてを投げ出してやっていれば、とっくにこの関を乗り越えていたでしょう。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/5/30/310196.html)
 
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