修煉の全体環境に溶け込む
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文/韓国釜山の大法弟子

 【明慧日本2018年10月18日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

  1、修煉を始めたきっかけ

  私は釜山在住で、中学校の教師をしています。小さい時から体が病弱で、学生時代には胃腸の不調を患い、全身に力が入らなくて、とても悩んでいました。親と一緒に寺院に行くことが多いため、自然と仏教に触れました。私が高校時代に母は重病を患って、よく仏様に助けを求めていたため、家族全員はもっと敬虔に仏教を信じるようになりました。その中で、私は仏教の一つの法門に入りました。大学に進学してから、母の面倒を見るために家にいることが多くて、だんだんと人と接触することから遠ざかり、仕事以外の時間を全部、仏教の法門の勉強に置きました。2012年8月、知人から法輪大法を紹介された私は、すぐに『轉法輪』を読んで、功法を教えるビデオも拝見し、法輪大法の修煉を始めました。

 初めて『轉法輪』を読んだ時、心に衝撃を受け、寝る時間も惜しんで2日間で一気に一通り読み終えました。仏教を勉強していた時に抱えていた様々な疑問が『轉法輪』を読んでいるうちに答えが見つかりました。興奮を抑えきれずに「こんなに天機を漏らす本が世の中にあるんだな」と思いました。数日間、興奮を抑えることできませんでした。すぐに師父が書かれたほかの本も買ってきて、全部読みました。それから、功法を教えるビデオを見ながら煉功の動作を覚えました。修煉を決心してから、一日も欠かさずに煉功をしっかり続けてきました。毎日仕事が終わって動功学法をし、それから寝て、早朝3時に起きて静功をやりました。

 私が修煉を始めてから、おのずと教え子たちが優しくなっていることに気づきました。私が叱らなくても、命令しなくても、生徒たちは私の言うことをよく聞き、真面目に勉強してトラブルも起こしたりしません。これを見て、師父が『轉法輪』で語られた「佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる」 [1]の言葉を思い出しました。生徒たちの状態は、鏡のように法輪大法が持つエネルギー場を映し出します。

 もし、私が忙しいからと言って学法を疎かにすると、生徒たちも行儀が悪くなり、周囲の環境も悪くなってしまいます。例えば、今まで静かに授業を聞いていた生徒が突然騒がしくなったり、私に不敬な態度をとったりして、普段と違う行動をするようになりました。それで、私は常人のように生徒たちを叱ってしまい、これは自分を修める良い機会なのだということに気づきませんでした。師父は「法を勉強しなければ、正念が足りません。法を勉強しなければ、表面での変化は遅く、社会で果たす邪を制する作用は弱くなります」 [2]とおっしゃっいました。そのようなことから、学法の大切さをあらためて実感し、どんなに忙しくても『轉法輪』と経文の勉強を疎かにしたことはありません。

 修煉を始めた当初から、法輪大法の素晴らしさは、それまで自分が信仰してきた仏教とは比べものにはならないと実感していましたが、ただ1人で静かに煉功と学法を続けているだけで、人々に大法の素晴らしさを伝えませんでした。衆生を救うことは自分の能力を超えていると思い、真相を伝えるとはどのようなものかも知りませんでした。

 これは1人で修煉していて、法理に基づいて物事を考えていなかったため、衆生を救う責任を回避し大法の恩恵だけを受けようとしたからです。これは、以前信じていた仏教で形成された考えが私を阻害し、邪魔していることだと、長い間気づきませんでした。

 2、集団煉功と学法に参加する

 5年間、他の同修と接触することなく1人で修煉を続けてきた私は、心の中に虚無感を感じ、次第に自分の修煉に大きな抜け穴があることに気付きました。

 後悔の念が募る中、ある日、法輪大法のサイトを読んでいると、それまで無視していた「明慧ネット」が突然目に飛び込んできました。そこから家の近くの煉功点情報を見つけて、担当者に電話をしました。彼らはとても親切に集団学法と修煉体験交流のことを紹介してくれました。

 2018年1月中旬、ようやく勇気を出して、トンネ区にある集団学法の拠点に行きました。最初、みんなと一緒に『轉法輪』を読んだ時、少し気まずい感じがしましたが、学法した後、みんなの交流を聞き、心性の向上の助けになると感じました。その時から、私はようやく全体の修煉環境に入りました。

 集団煉功に参加し、正確でない煉功動作を直して、1人での煉功では感じたことのないエネルギー場を感じました。冬場は寒かったのですが、寒さを感じず、手袋をしなくても良い時もありました。

 以前は極度な人見知りで、人の意見を気にしすぎていましたが、知らない人の前で煉功できるようになって、すごいなと思いました。法輪功を広めるために外で煉功するのは最も良い方法で、これは「自我を捨てて他者を思いやる。修煉者のすべきことだ」と、やっと悟りました。煉功をしていると、通りすがりの人に「こちらを見てくださいよ、これで真相が伝わりますように」といつも思っています。

 1人で修煉していた頃は、発正念には決まった時間と心で念ずる「訣」があることも知りませんでした。私は「5年以上も修煉してきたのに、本当に真・善・忍に沿った修煉をしていたのか、師父と大法を本当に信じていたのか」と自問しました。

 以前の仏教信仰で形成した健康を求めたい心、厄払いを求める心、安逸心などを5年間も放下していないことにも気づきました。

 同修たちと接触して「三つのこと」を行う意義を理解した時、私は非常に不安になりました。なぜかというと、発正念と衆生を救い済度することをしていないうちに法を正す時期が終わってしまうと、自分は円満成就できなくなるのではないかと心配したからです。これも一種の執着心だと後になって分かりました。過ぎた5年間に法を正す進展を知らず、無知で1人で行動していたことを悔しく思い、何度も涙を流しました。このまま後悔しても仕方がないので、これからできることを見つけて頑張らないといけないなと思いました。

 3、学校で真相を伝える

 同修の勧めで私が最初に試みたのは、アパートの郵便受けに法輪大法を紹介するチラシを入れることでした。そして、同修が「あなたは教師なので、生徒に真相を伝えることもできるのではないか」と言ってくれたので、26年間の教職経験がある私は、きっと授業の中で真相を上手く伝えられると思いました。

 1、教室で真相を伝える

 新学期が始まると私の担当するクラスが変わって、一部の生徒と二度と会えなくなる事態になっていました。特に卒業を迎える3年生に対して、2月に学校が始まってから真相を伝えられる期間は2週間しかありませんでした。

 そこで、私は2~3時間で法輪功の真相を伝えるプランを作りました。まず、命の尊さや人権など生徒が受け入れやすい話題から始めて、次にビデオを見せて法輪功迫害の実態を説明し、自然と法輪功を紹介し、最後に中国の伝統文化と4月に韓国で行われる神韻公演を紹介する。時間切れにならないように、事前にほかの教師の理解を得て、授業時間を借りました。このようにして、1日に6時間連続で授業をし続けることもありました。

 2週間の間、ビデオが突然再生できないなど、旧勢力からの妨害も経験しました。ノートパソコンに「あなたは私の法器です、衆生済度に力を貸してください」と話しかけたこともあります。教室に入る時から空間場を浄化するためにずっと発正念をしました。

 2、教師と生徒へ功法を教える

 学校が始まった2月からは、私は積極的に周りの人に法輪功を修煉していることを伝えました。校長先生から警備員まで、できる限りみんなに真相を伝えました。功法を習いたい人がいれば、その人の住まいの近くの煉功点を紹介してあげました。毎週火曜日の放課後、学校内のダンススタジオに6~7人の教師が集まり、私と一緒に煉功をします。また、私の生徒は「健康気功教室」というサークルも結成しました。月に一度活動して、一度に1時間半ほど、真・善・忍の法理を紹介し、迫害の実態を伝え、功法を教えました。

 3、「真・善・忍美術展」を通じて真相を伝える

 2018年7月23日から1週間、釜山市役所で「真・善・忍美術展」が開催されることになりました。7月20日から学校が夏休みに入りますので、当学校の生徒にとって、これは真相を知ってもらうためにはとても良い機会です。私は学校の美術の先生と相談して、全校の生徒に美術展を見た後の感想を書くことを夏休み中の課題として出しました。多くの生徒は家族や友達を誘って一緒に美術展に行きました。夏休みが終わって、生徒たちが提出した感想文を読んで、とても感動しました。特に現場の解説を聞いてから作品を鑑賞した生徒は、作品に対してもっと深い理解を示しました。法輪功を紹介したパンフレットを持ち帰って読む生徒もいれば、インターネットで検索して真相をもっと詳しく知った生徒もいて、法輪功を知らないが作品に書かれた煉功動作を真似て記念写真を撮った生徒もいました。

 美術展を鑑賞した後、生徒たちが持っている善良な本性は、感動するほど現れてきました。作品を通して真相を知った生徒たちは人権の話題を提起し、中国共産党を批判して、法輪功の修煉に興味を示しました。今まで彼らを幼稚な子供にしか思っていませんでしたが、実はそうではなくて、彼らは私の救いを待ち焦がれていた衆生です。6年間に出会った多くの生徒、いや、正確にいえば多くの衆生に真相を伝えずにそのまますれ違ったことを思うと、私は悔しくて涙をこぼしました。

 4、神韻公演の宣伝に参加

 2018年神韻公演の宣伝活動が公式に始まってから、毎週末に同修たちが集まり、午前中に学法をして、午後からはグループに分かれて釜山の繁華街でポスターを貼りました。私は運転を担当しました。運転はあまり得意ではないし道もよく知らないので、今まで行ったことのない場所に車を運転して行くのは大変でした。しかし師父の言葉を思い出して困難を恐れる心を少しずつ放下しました。古い学習者について黙々と各種の活動のやり方を習うだけですが、様々な宣伝活動を経験し、大法の仕事はただの仕事ではなく、おのずとその中に修煉があるという道理も理解しました。

 ポスターを貼る日、またはチケット販売拠点に行く日になると、朝から緊張を抑えきれずに震えていました。内に向けて探すと、大法の仕事をする時の心が純粋でないことが原因だと分かりました。客に断られたらどうしよう、他人にどう思われるかが気になる、メンツを重んじる心、などなど、多くの人心が混ざっていることに気づきました。そのような心を持って大法の仕事をすることが、衆生を救うことだとは言えず、ただの自己満足にすぎません。これも修煉の一環であり、多くの困難に遭ったのですが、私の意志が壊されることはありませんでした。

 学校の中で神韻を紹介する時、やはり断れたくない心がありました。興味を示してくれない人もいて、良い座席のチケットを購入した教師も何人かいました。神韻公演を鑑賞した後、ほとんどの教師が良い評価をしてくれました。私自身も初めて神韻公演を見て、師父の偉大な慈悲を感じることができ、涙を流して、さらに精進しなければならないと思いました。

 5、発正念の威力を実感

 神韻公演のプロモーション活動中に、ある日、ヘウンデ区にあるBMW代理店に行くことになりました。その日は雨が降って、勤務先の学校からヘウンデ区まで普通、車で40分以上かかります。ラッシュアワーにあい大雨が降って、遅刻するかと不安になりました。ナビの指示通りに高速道路に上がりました。しかし高速道路が車で埋め尽くされている光景を見て、頭の中が真っ白になりました。すぐに発正念をしました。トンネルを抜けた後、ふと気がつくと、前の車がいつの間にか全部消えて、前にトラック1台だけが走っていました。夢を見ているようで、発正念の威力を実感しました。

 6.大紀元の記者になって

 2018年1月、集団学法に参加した後、大紀元の仕事を手伝ってほしいと同修に声をかけられました。私は承諾して、すぐに文章翻訳から着手しました。4月からはジャーナリスト育成の研修に参加し、記事を書き始めました。日中は仕事をしているので、記事を書くことは夜にしました。1日が24時間では足りないと感じるほど、睡眠時間も惜しんでいました。時々夜中の2、3時まで記事を書いても、翌日は眠くもなく疲れもありません。大紀元の仕事に参加できる機会を大切に思っています。仕事の中で同修と競い合う心、嫉妬心、闘争心、顕示心などが現れました。しっかり学法し内に向けて探して、正しい念を持ち続けてこそ、始めて大紀元の仕事を良くこなせると思っています。

 法を正す進展に参加することは少し遅れましたが、これからは絶えず精進して、一歩一歩しっかりと「三つのこと」に励み、真の大法弟子になれるように頑張りたいと思います。

  注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』

 (2018年アジア法輪大法修煉体験交流会での発表原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/10/17/375877.html)
 
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