文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年4月19日】私は中国の大法弟子で、今年62歳です。幼いころから多病の身体で、結婚して子供を授かった後、30歳で体調はさらに悪化しました。貧血、腰椎ヘルニア、メニエール病、脱毛、うつ状態、胃腸疾患、間質性肺炎、アレルギー性皮膚炎、冬は冷水に触れられず、夏は扇風機の風にも当たれませんでした。顔色は黄色っぽくて、体はやせ細り、性格は怒りっぽくて荒々しく、生きることにとても疲れており、苦しいと感じていました。
1997年、友人のAさんと再会しました。私の人生はそれで変わりました。トラックにはねられて脊椎を折り、医師から3年間の休養が必要と言われたAさんは、法輪功を修煉したおかげで、1カ月で完全に回復しました。
Aさんは私に『轉法輪』を紹介してくれました。私はたった数日で、本を読むだけでまだ煉功動作も習っていないうちに体が軽やかになり、気持ちも明るくなって、生きる希望が持てるようになりました。
修煉を始めてから、真相を伝えるために強制労働教養所に監禁されたことがあります。職場で差別をされたこともあり、実の母親と義母からも罵声と暴力を受けました。そんな中、私は、自分の恐れる心、メンツを重んじる心、恨む心があることに気づきました。修煉を通じて一つずつ除去して、誰に対しても愛と慈悲を持つ人になるようにと決心しました。
今日はいかに真・善・忍の原則に基づいて家族との関係を築いたかについて、私の経験を同修の皆さんと共有したいと思います。
1、 義母に優しく接する
修煉を始めたばかりのころ、義母からの皮肉、難癖に対して私は耐えていましたが、その時の対応は表面的なものにすぎず、心の中では怒りや不満がいっぱいありました。大学の学歴を持つ自分はどうして字も読めない義母に見下されなければならないのか、このような家庭に嫁いだのは間違ったと思いました。私は常人世界の理で考えており、そのころは悟性が良くありませんでした。
嫁姑の間が実の親子のようにうまくやっている女性を見ると、とても恥ずかしくなりました。「修煉者である私の行いは、法輪大法に恥をかかせているのではないのか」と自分の心を見つめ直してみました。私が買った服を義母が気に入らない時、私は「貧乏なくせに、どうしてこんなに不満が多いのか」と思っていました。また、義母が私の家のことにあれこれと口を出した時に、私は「大した能力がないのに、口だけは達者だ」と思いました。それらは怒りと恨む心です。長年、私は怒りと恨みを抱えて義母と付き合っていたのです。
自分の状態が大法の基準に達していないと気付いたので、内に向けて探し、心から改善しようと決心しました。師父のご加護に支えられ、それからは義母の非難や侮辱に動じないようになりました。義母に「あなたは強制労働収容所に入ったことのある犯罪者だ、家庭の恥だ」と罵倒された時、私は、「真・善・忍の原則に従って煉功することは間違いではない、法輪功は違法ではない、私が収容所に入れられたのは不当な迫害です」と説明しました。また、天安門焼身自殺事件は法輪功を陥れるための偽ニュースで、中国共産党こそ社会不安定の真の原因だと義母に伝えました。
私は、義母に対して憎しみを持たず、見下さず、お風呂の介助もしたりして、心から義母を大切にするようにしました。義母が年を取って物忘れが激しくなり、自分の息子である私の夫すら分からなくなる時もありましたが、いつも私のことは覚えており、私の名前を正しく呼びました。時には、私から教えられた「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を唱えることもできました。
夫が最も感動したのは、義母が物忘れがひどくなっても、「家に帰ったら嫁を手伝って家事をし、子供の面倒を見るように」と夫に言ったことと、夫が持ってきたケーキを「半分は〇〇ちゃん(私)に残して」と言ったことです。以前は、夫が家事をするのを見たら、いつも私を「怠け者」だと罵倒していた義母です。夫は「あなたは母から認められたんですね」と何度も感慨深く言いました。
義母は体が弱かったのですが、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と常に唱えていたおかげで、人生の最後の5年間はほとんど大きな病気にかからず、90歳で穏やかに亡くなりました。法輪大法が私を根本から変えて、善良で慈悲深く、愛情豊かで、他人の過ちを恨まない人に変えてくださったのです。
2、母に優しくする
母に優しくすることも、私にとってある時期、とても難しいことでした。子供の頃から、母が村人と喧嘩したせいで、私たち家族は祖父から孫まで三世代にわたって村人の侮辱を受けていました。私は母の負けず嫌いな性格が苦手でした。50歳に近づく今でも、母から罵倒されたり手を出されたりするので、母を恨んでいました。修煉しているうちに、母との間の因縁関係を理解して、自分の考えや感情を見つめ直しました。母が年を取ったので、私は積極的に帰省し母の世話をしましたが、感謝されるどころか、母に「死ね」と怒鳴られて追い出されたこともあります。母も以前、法輪大法を修煉したのですが、当局の迫害で刑務所にいた頃、「転向」させられました。病に苦しんだ時、私は母にもう一度修煉するように勧めましたが、母は拒否しただけでなく、風水や除霊をする人たちと一緒に何かをやっていました。母を止めている間に私は内に向けて探しました。怒り、闘争心、母を見下す心、自分の正しさを証明したい心が見つかり、改めようと決心しました。事後、母に電話をして話をしたら、なんと母は穏やかに、「過去のことは忘れましょう」と言ってくれました。師父は、「これらの出来事を通じて私に、執着心を取り除いて向上させてくださっている」と悟りました。
また、母が無駄遣いをするのがとても嫌だった私は、自分自身にまだ金銭に対する執着があるため、母が私の祖父と父親に侮辱の言葉を浴びせたことを、なかなか許せませんでした。それは、自分自身に侮辱されることへの恐れと、母に対する怒りがあるためです。母の傲慢、強気、自己中心、人を見下す態度が気に食わないのは、私自身にも母と同じ欠点を持っているからです。
実際、母は私の執着や欠点を映し出す「鏡」であり、師父はその鏡を通して私のさまざまな人心を映し出し、それを除去して向上するようにと指導してくださっているのです。
3、夫に優しくする
夫は仕事熱心で技術力も高いのですが、仕事が終わるとリラックスして遊びたがり、麻雀、サッカー、釣りをしたり、友達と飲み食いを楽しんでいました。修煉前は、夫にもっと私との時間を過ごしてほしい、私を慰めてほしい、家事や子育てを手伝ってほしいと願っていました。夫がそれを拒むと私は不機嫌になり、しばしば夫と衝突していました。さらに私が、夫のいわゆる「悪い生活習慣」を人に話したため、周りの人たちは皆、夫が賭け事を好み、家庭を大事にしない男だと思うようになってしまいました。
しかし、法輪功を修煉してからは健康になり、心も晴れやかになり、夫の足りないところを気にせず、夫と和やかに過ごすようになりました。1999年7月20日以降、私が不当に拘束され、強制労働教養所に入れられた時、夫はとても悲しみ、涙を流しました。夫は、自分が遊びに夢中になり、私と過ごした時間が少なかったことを後悔し、私が寂しいから修煉を始めたと思い込んで、自分を責めました。周囲から離婚を勧められても、夫は断固として離婚をせず、周りの冷たい視線や差別に勇敢に立ち向かいながら子供を育てました。多くの法輪功学習者は離婚されましたが、夫は私が最も困難な時期にそばにいてくれました。
ところが、夫に感謝して優しくするべきだと分かっていながら、簡単に実行できるわけではありませんでした。労働教養所の苦しい環境の中で、私は師父を裏切って修煉を止めてしまいました。
解放されて帰宅したのですが、修煉を再開したいと思っても、夫はそれを全く受け入れませんでした。私を罵ったり殴ったり、子供にも手を出したりして、家に帰らなくなりました。そのころの私は、夫の女性関係を疑って怒ったりもしました。また、警察官に対して夫が臆病で正義感がなく、私を守っていないと思って夫を見下しており、私はとても心性が落ちていたのでした。闘争心を除去していないため、修煉に何度もつまずきましたが、最近、やっと夫の怒りっぽい性格にも冷静に対応できるようになりました。
そのため夫も変わり始め、私の修煉に干渉しなくなりました。私が警察の嫌がらせに恐れずに立ち向かった時、夫は私を励ましてくれるようになったのです。