文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年10月19日】私は1996年に法輪大法の修煉を始めた54歳の女性です。20年以上の修煉過程で、私には心性を向上できた喜びもあれば、残酷な迫害を受けた苦しみもありました。修煉においては、感性から理性へと昇華し、未熟な私が少しずつ成熟できました。決して平坦ではないこの修煉の道で、師父と大法に対する信念は一度も揺るぎませんでした。その過程で、師父は弟子を見守ってくださり、感謝の気持ちは言葉では言い表すことができません。
一、大法弟子の尊厳
1999年7.20、中国共産党(以下、中共)は法輪大法に対する迫害を発動し、無実の誹謗中傷で師父と大法を攻撃しました。翌日21日、私は北京へ陳情に行き、自分が大法を修煉してより良い人になり、心身ともに健康になった事実を伝えました。しかし、そのために私は迫害されました。数年の間に、私は何度も不当に家宅捜索を受け、3度の拘禁、4年間に2度、労働教養を強いられ、2006年の秋に、家に戻されました。
当時、私が派出所まで連行された時、他の同修の名前を言うようにと私を脅迫しました。それを拒否する私に対して、警官らは数々の拷問を施しました。8日9夜に亘って、私に食事も水も与えないほか、睡眠の剥奪、氷が入った水を頭から全身にかけた後、一晩中、窓を開けて冷たい風で私を苦しめました。それだけではなく、手錠で私の身体を吊し上げたり、線香で太ももを焼いたり、汚い水が入ったバケツに頭を押し付けたり、ビニル袋を頭に被せられて窒息しそうになりました。また、断食をして迫害に抗議する私に野蛮な灌食や、鼻に酢を入れるなどの迫害を受け、今でも体に当時の傷跡が多数残っています。このような残酷な拷問を受けても、押し付けられた「罪」を認めない私に対して、2年間の労働教養を科しました。
労働教養所で、私に大法の修煉を放棄する旨の「決裂書」を書くように命じましたが、私に拒否された女性の大隊長は狂ったように私の顔を平手打ちし、また革靴で私の足が黒くなるまで蹴り続けました。私が「殴られて死んでも書かない」と言うと、相手はすぐにへこたれて椅子に座り込み「分かった、これからはあなたに手を出さない」と言いました。
私が大法を放棄させる「転向」に妥協しないため、労働教養所側は私を重点的に迫害しました。私は40日間も隔離され、長時間立たされ、そして食事、睡眠、入浴の権利まで奪われました。毎日、警官や大法を放棄した元学習者らが私の所に派遣され、繰り返し私を洗脳し、侮辱や罵るほかに、刑期を延長すると脅しました。最後に、1人の警官は動揺せず私の頭を強く揺さぶりながら「お前の頭はなぜまだはっきりしているのか? 早く決裂しろ!」と叫びました。
当時、私には強い一念しかありませんでした。「邪悪な迫害にとって、私は最初で、また最後の人だ。決して他の同修を迫害させないのだ」。私は大法の修煉から得た理性と忍耐、そして人のために善良で、大法弟子を転向させようとする企みを中止させることが出来ました。その後、説得しに来た数人の元学習者たちが強迫されて書いた『決裂書』は無効であるとの声明を出しました。
ある時、警官が皆の前で大法と師父を誹謗中傷する本を読んでいました。毒を拡散させてはいけないと思い、私は隠していた鉛筆で「法輪大法は正法である」、「師父は潔白である」、「大法弟子は迫害を受けている」と書いて、警官の目の前に出しました。当時、私も報復を恐れて足が震えていましたが「大法弟子として大法を守るべきだ」という信念が私を支えました。以外にも、警官は恐怖を感じ、ヒステリーな声で私に「席に戻れ」と叫んだ後「今日はここまでだ」と言って、そのままやめました。その後、その本を読むことはありませんでした。
数日後、あきらめない警官は1台のテレビを持って来て、師父を誹謗中傷するビデオを流しました。私は、警官に「これはすべて嘘です」と放送を阻止しましたが、警官は私の話を聞かずに続けました。私は紙に正念を発する語句である「法は乾坤を正し、邪悪は全滅する」を書いて、同修たちと協力してテレビの下に貼っておきました。結局、テレビに故障が生じ、映像が出なくなりました。
このような事はまだたくさんありました。私は迫害自体を認めないので、強制労働には参加せず、番号を点呼する号令にも応じず、報告書も書かず、ラジオ体操にも参加せず、そして警官に挨拶もしませんでした。毎日、各地から同修が送られてきて労働教養を強いられますが、最初は私たちのような転向しない大法弟子とは接触させず、邪悟者・元学習者に洗脳させ、修煉を放棄する『決裂書』を書かせてから各小隊に送ります。互いに会話させませんが、食堂やトイレで会うと話すチャンスがあるので、自分たちが騙されたと分かり、声明を出して再び修煉の道に戻ります。ですから、警官らはそれを恐れて、長い間私たちの所に同修を送らなくなりました。
労働教養所では警官に挨拶するのが決まりですが、私は従いませんでした。ある警官に「私に挨拶することが出来ないのか?」と聞かれた時、私は「正直に言うと、あなたは良い人を迫害している、修煉者を迫害している、良い人ですか?」と淡々と答えました。ある日、私は3人の受刑者監視の下でトイレにいた時に、廊下で警官と会いました。その3人は一斉に大声で挨拶しましたが、私は何も言いませんでした。すると、その警官は逆に私に「○○、こんにちは」と私に挨拶してくれました。私は微笑むだけで返事をしませんでした。また、ある年の正月に受刑者は皆活動室に集められました。1人の警官が活動室の様子を見に来た時、全員が一斉に立ち上がり大声で挨拶をしましたが、私だけが黙っていました。警官はまっすぐ私の前に来て「○○、こんにちは」と挨拶しました。私は笑顔を見せましたが、いつもと同様に返事しませんでした。大法弟子は迫害されるべきではありません。法輪大法を修煉する人は最も良い人であり、人にも国にも百利があるが、一害もありません。法輪大法は正法であり、大法の修煉者は皆正のエネルギ場を有し、不正なすべてを抑えることが出来ると思いました。
もちろん、大法から離れると、法の力もなくなり、人心に左右されます。ですから、しっかり法を学ぶことは、旧勢力を認めず、人間の観念を取り除く最も重要なカギとなり、最も有効な方法にもなります。
二、家庭の中で自分を修め、大法を実証する
私が不法に監禁されている期間中、義弟は結婚して、女の子が生まれました。義弟の家は我が家の隣で、一つの大門を使う構造となっています。私が釈放された時には、義弟の娘が生まれて数カ月になっていました。赤ちゃんは皮膚病に罹り、頭や足の皮膚から膿が出て、どんな治療をしても治りませんでした。それと同時に、嫁さんは出産後の後遺症で、腰が痛くて家事すら出来ませんでした。私は嫁さんに法輪功の動作を教えました。しばらく煉功すると嫁さんの腰は完全に回復し、赤ちゃんの皮膚病も奇跡的に自然に治りました。まさに「一人が煉功すれば、一家全員が受益する」 [1]大法の素晴らしさと超常さを実証しました。
以前、姑は私のことがあまり好きではなく、いつも厳しい顔をしていました。例えば、娘たちと楽しそうに話している時、私が帰宅すると、姑はすぐに戸を閉めて笑顔も消えてしまいました。新年や節句の度にお金やプレゼントをあげても喜ばれず、何をしても気に入ってもらえなかったため、私は姑に対して怨む気持ちがありました。しかし、大法を修煉してから、私は師父が弟子のために、私たちの積み重ねた罪業の大半を受け取ってくださり、残りの部分を修煉して高めるために按排してくださったのだと分かりました。借りがあれば返すべきです。ですから、私は姑を大切にし、生活上でも姑のために考えるようになり、やさしく世話をしました。すると、姑の態度も大きく変わり、親友の前で私を褒めたり、年金まで私に預けたりしました。姑が70歳で亡くなった時、近所のお年寄りは「私は今まで人に嫉妬することがほとんどなかったが、あなたのような良い嫁がいることで、あなたの姑さんに嫉妬したよ」と言ってくれました。
私はいつもアパートの階段を掃除します。同じアパートの住民は「あなただけがいつも皆のために掃除してくれます。本当にいい人ですね」とか「あなたの家が幸せになったのは、あなたがいつも良い事をするからですね」と言います。そんな時、私は「大法の師父が私に『真・善・忍』に従い、徳を重んじて良い人になるようと教えてくださいました。私たちは縁があって近所になり、皆さんも『法輪大法は素晴らしい』を覚えることで、福に報われますよ」と伝えました。私が病気の義姉を見舞いに行った時、彼女は涙ながらに「母と妹が見舞いに来ても私は泣かなかったが、あなたに会うと、なぜか泣きたくなるわ」と言いました。私は義姉に「姉さん、人間として誰も病気がないわけではありません。少し苦しんでも、その時期が過ぎるとまたよくなります。姉さんはすでに『三退』をしましたので『法輪大法は素晴らしい』、『真・善・忍は素晴らしい』を唱えることで、無事に治り、福が訪れますよ」と慰めました。人々には明白な一面があり、大法に感謝することによって、命の希望につながるのです。
私の夫も大法の奇跡を体験しました。私が中共に迫害されただけではなく、夫にも各方面の圧力がありました。それらの重圧を背負って私を支えてきた夫も、大法の師父は守ってくださいました。ある時、夫は家で電動ノコギリで作業中、ズボンの裾が巻き込まれてしまい、足首の筋を2本切断しましたが、幸いにも骨までには達しませんでした。ちょうどその日、息子と遊びに来た姪が家にいました。息子がすぐに大声で「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じると同時に、姪と一緒にタオルで夫の傷口を締めてから病院に搬送しました。手術が無事終わってから私に知らせがきました。夫は当日の夜に退院し、痛み止め薬も飲まず、毎日「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を唱え続けました。常識的に、これほどの酷い傷は少なくても3カ月はかかると言われましたが、夫は29日で完全に回復し、大法の無辺な法力が実証されました。
修煉していない夫も少しずつ大法に同化されています。夫が出稼ぎに行った時、ある時、電柱に貼ってある『法輪大法は素晴らしい』のスローガンが風で剥がされそうになっているのを見て、テープでしっかり貼り直しました。また、住民がマンションの壁に貼ってあるスローガンを剥がして捨てたのを見て、手元にのりもテープもなかったので、周囲に貼ってあるシール性の広告紙を使い、スローガンの四隅を固定して新たに貼っておきました。これは夫が私の兄(同修)と食事する時に話したそうです。
夫は法輪大法を認めていますので、何度も大法に守られ、危険な状態から無事逃れることが出来ました。その度に、私は師父に感謝すべきだと夫に教えます。2015年、私は法輪功迫害の首魁・江沢民を実名で告訴しました。警官は何度も我が家に来て私を連行しようと企みましたが、夫は徹底的に阻止し、私を守ってくれました。そのため、夫は2度も公安局まで連行されました。私たち一家は師父のご加護と守りのおかげで、いろいろな危機から無事歩んできました。
三、仕事においても大法を実証し、全体を円融する
2007年から、私は家庭の出費を支えるためにテレフォンカードを販売するアルバイトを始めました。毎月600元(約9000円)しかない収入ですが、夫の負担を軽減し、仕事で接した人々に大法の真相を伝えることも出来ました。同時に、私は法輪功の資料を同修に配送したり、パソコンのない同修を手伝ってスマートフォンを購入した後、ソフトウェアをインストールしたりしました。2015年、全国各地で江沢民を告訴してから、地元の資料を作成する技術のある同修と配送する同修が次々と拘束され、監視されました。当時、警官が私を連行しようと何度も家に来ましたが、夫の抵抗で失敗しましたが、私のバイト先に行って嫌がらせをしました。やむを得ず仕事を辞めて、同修と一緒に資料を作り始めました。
当時、江沢民を告訴する大法弟子が大勢いましたが、告訴状の書き方が分からない人や告訴を恐れる人もいました。私はそんな同修たちを手伝い、自分の書いた告訴状の副本を回して参考にさせたり、同修の告訴状を修正して速達郵便で送ったりしてあげました。
同修たちの協力の下で、私は大法の資料やカレンダーを作成し、それを直接同修たちの手元に持って行って、皆で人々に大法の真相を伝える時に配りました。毎日朝から晩まで、水を飲む暇もないほど忙しく、夫が出稼ぎに出て私1人しか家にいなかったので、いつも簡単に調理して食べました。夏は部屋の中に閉じこもって資料を作り続け、とても暑くて大変でしたが、私の心はとても充実していました。ある時、急いて資料を作って、決まった量を予定した時間に同修の所に持って行こうと、資料を包んで背負い、階段を降りてアパートを出ると、大雨が降っていました。突然、心の中で何とも言えない苦しみを感じました。その時、私の耳に「あなたがしている事は、天が分かっている」と伝えてきました。その瞬間、思わず涙が流れてきました。「師父が私を励ましてくださっているのだ!」と悟りました。私がこの世に来たのは、自分を修めて、縁のある衆生を救い済度するためである。全ては師父がしてくださり、師父のご加持がなければ、今の私たちもありません。大法弟子になれることは私の最高の誇りです。
四、自分を修めると同時に、次世代を引っ張る
2017年の秋に息子が結婚し、翌年に娘孫が生まれました。嫁の両親は農家で、娘孫を見る時間がないため、定年退職していた私が子守りをすることになりました。当時、私は大法の法理ではなく、常人の立場で考えて手伝ってあげないと、息子夫婦に理解されないし、子守りをすると、修煉の時間がなくなるので、とても悩んでいました。冷静に考えてみると、これは私心ではありませんか? 同修たちも「嫁姑の関係は難しい」と言っていますが、本当にうまくいかなかったら、必ず修煉者である私に問題があり、トラブルが生じた時には、内に向けて探して自分を修め、どんな時にも他人を先に考えるべきだと覚悟しました。
しかし、現実になると、いつも心のバランスが取れず、疲労、苦痛、そして仕方がないという気持ちから抜け出すことが出来ませんでした。私は潔癖で、完璧を求めるために心身ともに疲れても、人には良く見せたい、よく言われたい心が強かったのです。表面的には大法を実証するためだと言いますが、実際には名利心が隠れていました。
金銭面において、今まで息子を大学に行かせ、卒業後は都会に家を買い、車を買い、そして結婚させたため、すべての貯金を使い切ってしまい、今はまた孫娘の子守りまで頼まれました。嫁の両親がお金も力もないことや、苦労して育てた息子が嫁を大切にすることなどにも、時々不満や嫉妬心がありました。師父がおっしゃられた通り「他人に良いことがあったら、その人のために喜ぶどころか、自分の心のバランスがとれなくなります」 [2]自分のための人心、好き嫌いな観念などを捨てることが出来れば、どこにいても大法は自在であると思います。
現在、孫娘は1歳半になり、時々師父の写真に叩頭したり、手を合わせたりします。息子夫婦もできるだけ家事をして、夜には自分たちが子守りをし、私の修煉を妨げないようにしています。実は、精進できない主な原因は安逸心によるもので、真の自分が自我を主宰できないからだと思います。今後、私はさらに自分を良く修め、法を正すこの限られた時間を大切にし、より多くの衆生を救うことで、師父が手配してくださる家に還る道をしっかり歩みます。
次元に限りがあり、正しくないところがあれば、ご指摘よろしくお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『オーストラリア法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』