アルゼンチンの弟子 「真の大法弟子になる」
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文/アルゼンチンの大法弟子

明慧日本2020年10月20日】

 尊敬する師父、こんにちは。

 同修の皆さん、こんにちは。

 修煉の縁

  私はサンタフェ州南部の小さな町で育ち、今年、44歳です。子供の頃は自転車、凧、簡単なゲームに囲まれていたのですが、今はこれらのものはほぼ全部姿を消しました。このような質素な田舎の雰囲気の中で祖父母は私を育ててくれました。今日になってもその村の人は、約束を守ることを美徳にしています。

 18歳の時、音楽の勉強と仕事をするために約180キロ離れた町に行きました。音楽に人生を捧げると同時にアルコール依存症、夜遊び、ドラッグ依存なども伴ってやってきました。当時の私は非常に悩んでいて、心が空っぽになりモラルも低く、長年にわたりドラッグに深く依存していました。

 2009年末、幼馴染の友人が私に『轉法輪』を紹介してくれました。青いカバーに書かれた金色の文字が目に映った瞬間、「こんな本は見たことがない!」と驚いて、すぐに惹かれました。

 『轉法輪』を初めて読んだ時、この本は今までの人生で読んだすべての本と違うことに気づきました。しかし、最初の2回は『轉法輪』を読み終える事なく中断しました。3回目に、やっと『轉法輪』を最後まで読み終えて以来、今日に至るまで、ずっと学法を続けています。

 これは人間をより良くするための指針となる本だと感じました。以前、私も良い人になりたいと思っていましたが、だんだんその道からずれてしまいました。しかし、本の中の「修煉とは何か」という言葉が私の脳裏に刻まれました。師父は「しかし、一つ言っておきますが、本当に高い次元をめざして修煉したいのなら、必ず一つに専念しなければなりません。もう一つはっきり言っておかなければならないことは、今このように真に高い次元への功を伝えているのは、他に誰もいない、ということです。わたしが何をしてあげたのか、皆さんはそのうちきっとお分かりになると思いますが、あなたの悟性があまり低くないことを希望します。多くの人が高い次元へ修煉しようと思い立ちますが、今この修煉法が目の前に置かれていながら、あなたはまだ気づいていないかも知れません。師を求めてあちらこちらへと出かけ、いくらお金を使っても、探し当てられないものを、いま目の前に届けてあげましたのに、まだ分からないかも知れません! これは悟るか悟らないかの問題で、つまり、済度できるかできないかの問題なのです。」[1]と説かれています。

 弟の誘いを受けてメンドーサ州に行くことになり、その旅行期間に、大法修煉者になりたいかどうかの決断をしたいと思いました。その結果、私は法輪大法の弟子になることを決意しました。

 帰ってきてまず起こったのは、まる一日の嘔吐と下痢です。とても弱ってベッドに横たわっていました。家族が私を病院に連れて行こうとした時、これは師父が私の体を浄化して下さっていると悟ったので、断りました。数日後に健康になりました。師父、ありがとうございます!  体調が回復して最初にしたのは同修と連絡を取る試みでした。

 数カ月後、集団煉功に参加しようと決心し、やっと2010年のある日曜日に煉功点に行きました。第三功法を練った時、頭から風船のようなものが出てきたのを感じると、その日から奇跡が起きて、二度と麻薬を使わなくなりました。何年も前から1日も麻薬と離れられなかった私がですよ! 師父は薬物依存症を消して、私に修煉の道を与えて下さったと思いました。

 師父は「われわれは、皆さんが執着心を起こしたり、自分の身体を壊したりしないように、上をめざして修煉するよう教えています。われわれの煉功場は他のいかなる功法の練功場よりも素晴らしく、われわれの場は、そこへ行って煉功さえすれば、病気治療よりずっと効き目があります。わたしの法身がまわりを囲んで坐り、煉功場の上空には覆いがあり、その上に大きな法輪があって、『大法身』が覆いの上から煉功場を見守っています。その場は、並大抵の場ではなく、普通の練功の場とは違い、修煉の場なのです」[1]と説かれています。

 根本的な執着心に気づく

 1)情

 2012年、神韻公演がブエノスアイレスにやってきたので、初めてスーツを買って神韻を観に行きました。素晴らしい公演は私を魅了し、心に深く響きました。ブエノスアイレスは多くの同修がいるので、ここは自分の修煉にとても良い環境だと思い、私はブエノスアイレスに引っ越しました。数人の同修と同じアパートに住んで、毎日、客間で一緒に学法をしました。

 やがて同修がレストランを開業して、私を誘いました。以前、飲食業で数年働いたことがあり、どれだけ疲れるかを知っていたので、誘いを断りました。後日、それは私の修煉に対する一種の試練だと思い、私は苦しさを飲み込んで、そのレストランの手伝いをしました。

 私は自分の店を作る能力を持っていますが、その計画を中止してレストランを手伝いました。雇われる身になった以上、頭を下げてプライドを捨て、出勤退勤時間を守らなければならないことを意味しますが、それは私の好きなことではありません。しかし、私はこの道を選びました。一つの試練に合格したと思い、内心では嬉しかったのです。オーナーから同僚まで全員が大法弟子なので、この仕事は自分の修煉に直結していると分かり、このような職場環境は恵まれていると思いました。

 2017年、ウルグアイで夏休みを過ごすアルゼンチンの人々に神韻を宣伝するため、隣国ウルグアイに行きました。だんだんと辛さと内心の違和感に包まれて、口数も減りましたが、その理由がきちんと分かっていませんでした。同修と交流する時に、「ここで過ごした1分間はまるで6カ月のように長い」と思わず呟きました。それまでの7年間、私は1人ではなく、いつも同修と一緒に暮らしていました。内心の辛さの原因は情であると初めて気づきました。

 ウルグアイに1人で行ってこそ、自分が抱えている情に気づくことができたのです。そこでは仕事と修煉に没頭する毎日でしたが、私に冗談を言ったり笑ってくれたりする仲間は1人もいません。アルゼンチンにいた頃は、同修との間の絆は私を良い気分にさせ、心理的な満足感を与えてくれました。ウルグアイに行ったおかげで内心の孤独感と寂しさを発見することができ、それは自分の中に存在している強い執着心だと気づきました。

 師父は「修煉は、錬磨の中でこそしなければなりません。常人の持っている七情六欲を放棄することができるかどうか、それらに対して淡々としていられるかどうかが問題です。どうしてもそれらのものに執着するのであれば、修煉を成就することはできません。すべてのことには因縁関係があります。人間はどうして人間でありうるのでしょうか? それは人間には情があり、人間は情のために生きているからです。肉親同士の情、男女の情、親の情、感情、友情など、何をするにしても情が重んじられ、情を切り離しては何ごともできません。やる気があるかどうか、気分が良いかどうか、愛しているのかそれとも憎んでいるのか、とにかく人類社会のすべてのことが情から出ています。この情を断ち切らなければ、修煉することはできません。情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです。もっとも、これをいっぺんに断ち切るのは容易なことではありません。修煉は長い道のりで、徐々に自分の執着心を切り捨てていく過程です。とはいえ、自分自身を厳しく律しなければなりません」[1]と説かれています。

 2)自分を実証したい心

 自分自身を実証したい心は、特に良いことをする時に現れてきます。ある同修が何回も私に「自分自身を実証している」と指摘してくれました。最初は本能的に弁解しますが、彼女の言ったことは正しいと分かっていました。

 そこから私は内に向けて探すと、「自分自身を実証したい」という執着心の源は嫉妬心にあると悟りました。また、自分は自己中心的な人間だとも気づきました。自己中心が強い時、相手の気持ちに耳を貸さずに自分の考えを押し付けて、相手を傷つけたこともありました。それから、相手を優先的に考えることをずっと念頭に置いて、だんだんと他人を思いやることができる人間になって、自分自身を実証したいという自己中心の悪い物質も取り除かれました。

 3)臆病と色欲心

 修煉する前、私はプライドが高く、自分には恐れるものがないと自負しておりし、とても強い性格の持ち主でした。法理に対する理解を深めていく中で、第三者の立場から自分の性格を新たに評価すると、強い外見の背後に存在する臆病な自分が見えてきました。臆病を隠すための見かけ上のプライド、メンツを重んじる心、自我を守るための計算などにも気づきました。

 自分が抱えているすべての執着心の中に、色欲の心が際立って修煉を妨げています。その心に駆使されて体と五感に対する刺激に深く溺れ、長い間抜け出せなかったため、自分には大法弟子になる資格ないと思い、修煉を諦めようとも考えました。内心にこれら悪い物質が充満しているため、その時に行われた真相を伝える活動にも邪魔になったことがあり、それは私の修煉において忘れてはいけない汚点となりました。

 周りの同修と地元の佛学会の方々の気遣いと励ましに心から感謝しています。彼らのおかげで私は修煉を止めなかったし、真相を伝える活動に参加できたことで、修煉を続けようとする私の意志を磨いてくれました。

 ある日、師父の写真の前にひざまずいて、色欲・情的な物質を除去することを助けてくださいと懇願しました。次元を高めて自分を浄化するためには、学法が唯一の方法だと悟りました。数年の間、欲情はまだ完全に除去しておらず、しばしば色欲の心に関する試練に遭遇しましたが、それでも以前の欲情の奥底に陥った状況とは全く違いました。確かに向上したと実感していますが、欲情を完全に消去するにもっと精進しなければならないと思いました。

 結び

 2019年、同修と佛学会に励まされたおかげで、3回目のビザ申請で、無事に渡米のビザを取得しました。嬉しいだけでなく、ビザ取得にまつわる修煉体験も心に永遠に止めて忘れられないと思います。ビザを取得したことで法会に参加して師父にお会いすることができ、パレードに参加することもでき、5000人近い同修と人文字に並ぶことができました。それは私の修煉にとってまた大きな励みになりました。

 最後になりますが、もう一度師父に感謝いたします。同修の皆さんに感謝いたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (2019年アルゼンチン法輪大法修煉体験交流会の発表原稿)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/10/7/394288.html)
 
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