人心を放下したら、たった5日の受験勉強でトップになった
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2020年10月21日】私は大法の青年弟子です。以下は、数年前に私が進学する過程で経験したことです。これらの事を皆さんと一緒に交流していきたいと思います。

 私が在籍している大学には、大学院に推薦する制度があります。大学院に進学することの保証を得れば、全国統一の大学院試験を受けずに大学院に行くことができます。3年生の2学期に、私は大学を卒業して就職するか、大学院に行くか、それとも推薦で大学院に行くかの選択を迫られていました。その時は、勉強するかしないか、どちらが自分の修煉に有利なのか分かりませんでした。師父がもし進学するように按排してくださるなら推薦を獲得し、進学しないように按排されるなら、推薦を獲得できないのではないかと考えました。推薦を獲得できないとなると、師父が勉強しなくてもよいように按排され、全国統一の院試を受けないことも考えられると思いました。

 本校では、4年生の前期の9月上旬に筆記試験を行ない、この筆記試験の結果と大学の3年間の通常の成績を合わせて順位をつけ、大学院への入学者数を決定しています。私の通常の成績を見ると、私のランキングは、推薦された大学院の範囲内です。つまり、筆記試験の順位が上がれば、基本的には推薦されます。そこで8月の初めから1カ月間、計画的に勉強して試験対策をとることにしました。

 しかし、7月に入って、Aさん(同修)から「最近忙しいですか?」と聞かれ、「いや、そんなに忙しくはないです」と答えると、「農村の同修がカレンダーを作っていますが、作るのを手伝って欲しいそうです。私は昼間仕事があるので、カレンダーを作るのに時間がかかり、夜の時間だけでは間に合わないので、作るのを手伝いに来てくれませんか?」と言われました。私はすぐに同意しました。それで、7月から8月末まで、Aさんのところで手伝いをすることにしました。

 その過程で、時折、「これでは試験対策が遅れるのではないか」という考えが出てきました。この考えが生じると、私はすぐにそれを否定しました。「これは邪な念だ、これは本当の自分ではない。すぐにそれを否定し、それを認めない。私が今やっていることは最も正しいことであり、人心を混ぜることはできない。純粋な心で大法の仕事をしなければならない」と、改めて考えました。試験の準備が遅れても、それがどうしたと言うのですか?  大法のことを遅らせるのは怖くないのですか?  このことは、そもそも「大法を第一」に置いたかどうかが問われる問題なのです。

 また、私は心の中でいろいろ考えました。表面的には大学院の進学に執着せず、師父の按排に従っているように見えますが、実際にはまだ大学院に進学することに執着しているのではないか? それとも進学しないよりは進学した方がいいのではないか? 大法のことをやっているので、試験の準備ができず、勉強する余裕がないのが本当だとしたら、それは師父が進学しないように按排してくださったからではないだろうか? なぜまだ執着するのか?  表面的には師父の按排に従っているように見えますが、心の中では手放せないでいるのです。しかし、そういうわけにはいかないと気づき、すべての人心を放下し、大法の仕事に専念することにしました。試験の問題については、試験が近づいてから考えることにしました。

 試験の日まで、あと5日になりました。私はAさんに「今週は大学院への進学試験があるから、その準備をしたいので、数日は来られません」と伝えました。学校に戻って、私は、ある思いが浮かびました。他の生徒は少なくとも1~2カ月は受験の準備をしているのに、私にはあと5日しかありません。しかも本も1ページすら読んでいないのです。だから、多分師父は進学しないことを按排されたのだと考えました。しかしその後、私は「この念は正しくない。まだ受験もしていないのに、人心で師父の按排を考えてはいけない。結果に取りつかれてはいけない。これから残りの5日間で準備をしよう。結果に執着せず、師父の按排に従おう」と思いました。

 たったの5日間で、計画的に受験対策をしたいと思っても、本すら読んでいない状態では間違いなく手遅れです。そこで過去に出題された問題集を見て、準備しておくべき重要な内容だと思うものをピックアップしてみました。試験当日、なんと5日間で集中して準備してきた知識のポイントがすべて出題され、5日間で学んだことがほぼすべて出題されました。全ての試験問題が、まるで私が5日間準備してきた知識から作られたようで、無駄のない試験問題が出題されました。

 数日後、試験の結果が出ましたが、筆記試験の点数はここ数年で大学全体の中で一番高く、専攻全体の中でもトップの順位で推薦を獲得することができたのです。

 この問題を振り返ってみると、私の進学への執着はあまりにも愚かでした。これらの執着は非常に有害であり、このようなことを考える余裕があれば、その時間は法に置くべきです。

 上記は個人的な悟りですので、適当でないところがあれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/10/14/413689.html)
 
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