墓地に執着する同修は目覚めよ!
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文/武漢市の大法弟子

 【明慧日本2020年10月21日】昨日、外でAさん(修煉者)に会いました。彼女が言うには、Bさん(修煉者)は二つの墓地を買ったそうで、Bさんは一つを人に譲りたいのです。この墓地はとても安いので、Aさんは墓地を見に行きたいと言っていました。

 それを聞いて、私は本当に悲しくなり、Aさんに墓地を買わないでくださいと勧めました。Aさんは数人の修煉者が購入していたとも言っていました。私はAさんに「私達は大法修煉者であり、師父と大法を信じればきっと大丈夫です。今は法を正す最後の時期になっているため、急いで人を救い済度することしかしなく、師父について帰ろうと考えないで、なぜ墓地を買おうと考えるのですか? なぜこんなことに時間とお金をかけているのですか?  これは人間の念で修煉しようと思っており、しかも、人間の念と神の念の一念の差により、行なうべきことの損失をもたらすことになります」と言いました。修煉は遊びごとではありません。私は「お墓を買って棺桶を作ったことで命を落とした年配の修煉者は何人もいました」と話しました。

 師父は私達を救い済度するために、こんな偉大な佛法を捧げて、私達の家の玄関まで届け、私たちを地獄から救い出してくださいました。師父は「ある人はわたしに『先生、常人の中で良い人になればそれで十分でしょう。いったい誰が修煉して本当に成就できるのですか?』と言いました。これを聞いてわたしは本当に悲しくなりました! 彼には何も言いませんでした。どんな心性もありうるので、彼なりに悟れるだけ悟れば、それでもよしとしなければなりません。悟る者が得るのです」 [1] と説かれました。師父は私たちを救い済度するために多くの心血を注ぎ、「青糸斑白して人体傷す」[2] になられました。 しかし、私たちはこの万古の機会をどうして大切にしないのですか?

 墓地を買いに行くことは、師父に「常人の中で良い人になればそれで十分でしょう。いったい誰が修煉して本当に成就できるのですか?」[1] と話した人と同じように、さらに師父を悲しませるかもしれません。私たちは師父の慈悲深い救い済度に背くだけでなく、私たちが千万年にわたって、待ち望んでいることに背いてしまいました。私はAさんに「くれぐれも墓地を買ってはいけません。私達は法を師とし、人がやっているのを見て、自分も同じようにしてはいけません。一歩引いて、たとえ圓満成就できなくて、修煉の途中で体を失ったとしても、あなたの子供たちがその体を放っておくわけがないでしょう。余計なことを心配しないでください!」と話しました

 私達が残酷な迫害の中で今日まで歩んできたのは、本当に容易いことではありません。最後の最も肝心な時期に間違った道を歩んではいけません。

 私はこの文章を誰かに対して書いているのではなく、私たちが気をつけるべき、大切にすべきことを思い出させるために書いています。

 適当でないところがれば、ご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「還原」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/9/20/393567.html)
 
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