大法弟子も「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を唱えるべき
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年10月24日】以前は、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱えることは常人がやるべきことだとずっと思っていましたので、私自身はあまり唱えていませんでした。大法弟子も唱えるべきだと法理から悟ったものの、何の正念も持たずに、ただその言葉を口にしているだけで、自分はもう大法の素晴らしさも、真・善・忍の素晴らしさも分かっていると思い込んでいました。

 最近、なぜ常人はこの言葉を唱えるだけで病気が治るのか? そして自分はどうすれば、宇宙の特性である「真・善・忍」と同化することができるのか? について、真剣に考えました。師父は「法はピラミッドのような形をしているので、非常に簡単なものになります。最高の次元では三文字で概括できます。それが真・善・忍にほかなりません。しかし、各次元に現われてくると、きわめて複雑になります」[1]と説かれました。では、各次元ではどのような法理があるのでしょうか? 常に自分の言動を「真・善・忍」と照らし合わせながら、日常生活においてどこが出来ていないかを探していくと、段々と多くのことが分かるようになり、悟れば悟るほど大法の法理が無限大であることを感じます。

 夜眠れないときは、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱えるとすぐに眠れます。夫も同じように唱えて、自らの身体の変化を感じました。この言葉は本当に無限の威力を持っています。私たちが口にしているのは宇宙の最高の特性であり、それは人の言動だけはなく、心をも変えることができるのです。夫の身に何度も奇跡が現れ、「実は物質と精神は同一のものです」[1]という師父の説法を実際に体験することができました。

 私たちはまず「真」ができていなければなりません。真の修煉者こそ真の道を悟ることができます。私にとって「忍」が最も難しい部分です。よく些細なことで怒り出してしまうからです。しかし先日、「忍」の真意を推し量り、少し悟ることができました。

 夫と一緒に義母の家に向かった日の出来事でした。古くなった家をリフォームするため、家具などを片付けているとき、義母はベッドをどう処分するかでわめき始めたのです。普段から自分の子供たちも含め、あまり人に好かれておらず、その日は大工さんたちもいたので、私は自分の感情を抑え、「忍」を実証しなければならないと思い、何も言いませんでした。

 手伝いを終えて家に帰り、その日のことを振り返りました。心性は次元で分かれており、低ければ低いほど真・善・忍から遠ざかっています。その反面、忍耐力が強ければ強いほど、他人のことを受け入れることができ、宇宙の特性である真・善・忍とも近いのです。高次元の生命になるには、「忍」の方面において、常に自らを修めなければなりません。

 師父は「相手のことを憎むと、腹が立ったことになるではありませんか? それでは忍を守れなかったことになります。われわれは真・善・忍を重んじますが、そんなことをすれば善のかけらもなくなります」[1]と説かれました。「忍」が出来なければ、「善」も生まれないでしょう。「善」という漢字にみられる羊のように穏やかにならなければなりません。それにはまず、口から修めるべきです。師父は「仕事のときの口調、善の心、それに加えて、道理で人の心を変えることはできても、命令では永遠にできないのです!」[2]と説かれました。以前、『轉法輪』第四講の「心性を向上させる」を学んでも、どのようにして向上できるかが分かりませんでしたが、今は、法を暗記することを通じて理解しました。

 『轉法輪』の「業力の転化」を読んで、まず自らの業力を転化してから心性は向上できるということを悟りました。「心性を向上させる」の中の「問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません」[1]。それはつまり、完全に他人のために考えるようになれてこそ、真に大法の生命になれるということを私たちに教えています。私たちは一般の次元での圓満成就することを目的としているのではないので、更に大きな慈悲の心、寛大な包容力を持たなければなりません。常人社会のすべてのことは大したことではありません。私たちはすべての執着心を放下し、師父と共に天に帰るのです。

 注:
 [1]李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2]李洪志師父の著作:『精進要旨』「はっきりと目覚めよ」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/5/30/407033.html)
 
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