迷いの中で 他の空間の妨害に気づき 排除する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年10月25日】大法弟子の多くは迷いの中で修め、多くの人は自分がわかっていることは少なく、他の空間の妨害にもあまり気づかず、しばしばぼんやりとした状態になることが多いのです。多くの人が急に大きな妨害や迫害に遭っても、どうしてそのような状況になるかがわかりません。大きな難は日ごろの行ないの積み重ねによるもので、往々にして迷いの中で気づかないだけです。しかし、自ら発正念を重視すれば、感知がだんだん鋭くなることが実感できます。

 私は時々ストレスを感じ、精神状態もポジティブではありません。しかし、心を静めて正念を発すると、空間場が清らかになり、すっきりして周りの人も優しくなるのです。毎日発正念の質を重視すれば、多くの煩わしいことが消え、何事もうまくいき、人とのトラブルも少なくなり、法理もはっきりして、全ての出来事は自分の心によるものだと認識できるようになります。

 さらに、異なる時間や場所の異なる場面で、異なる人や物事に遭遇すると、自分自身の空間場と考えや心境がだんだんと変化していきます。

 師父は「修煉者の考えが法から離れれば、邪悪は付け入ってきます。人間の目で見ると、人間とこの世の全ては立体的なのですが、実は人類空間の全ての物質は、花草樹木、人間や空気も含めて、皆その大きさの粒子(分子)で構成されています。この層の粒子の中において、人間の身体も含めて全てが貫通しています。人間自身は正念がなければ、宇宙において、三界において、全ての良くないものが人間の身体を絶えず流れ、さらにはそこに止まっていても、人間はそれを意識することができません。人間はこのように操られ、つまりこれらの粒子が繋がることができる情況下で人間を操っています」[1]と説かれました。

 修煉者は自分の心や思想を修めているのです。しかし、自分の心や念を重視せず、ひいては人心が強く、大法弟子であることすら忘れて、その人心を正そうとしなくなります。修煉者が長期に心性を守れなければ、大きな難となります。主元神の修煉は本人の主意識が強ければ強いほどよく、自分の体と思想は自分がコントロールしなければならず、他の生命と外来の信息に主宰されてはいけません。

 しかし、なにかの執着心が強すぎると、自分をコントロールできなくなります。ただ、自分ではこれが執着心だとはっきりと認識し、明確に取り除こうとする心が固ければ、うまく取り除くことができます。

 例を挙げると、ある時、同修の家で、妻の同修が私への不満を同修と交流していました。その不満は長く溜まっていたようです。私は彼女を見つめながら、自分の内心に向かって探しました。彼女の恨み深い顔を見て、私はどうしても善念が生じませんでした。しかし、自分に善がないのは間違っているとわかっているので、今日はしっかり自分を修め、善念と真の我を取り戻そうと決心しました。こうして内に向けて探しながら自分の人心と観念が何なのかを分析しているうちに、自分の問題に気づきました。実は人は大体弱者のみに同情する心理があります。一方で強い人はたとえひどい目に遭っても、ひたすら我慢せず、反抗します。反抗すればするほどかえって同情されなくなります。私は相手が良くしてくれれば、私も良くしてあげるという段階に長年留まっていました。良くしてもらえなければ、こっちから悪くしないだけで精一杯で、相手を内心から理解し、良くしようなどはもってのほかでした。

 ここまで思いついたとき、妻が涙を流しているのを見て、申し訳ない気持ちになりました。私の心が動いた瞬間、妻にも変化が現れ、優しくなったようです。しかし、この変化の過程は2時間余りかかりました。大変でしたが、これまで数年自分の問題に気づきませんでした。たった2時間で固い観念を無くすことができました。修煉者がまじめに修煉し、自分を変えようとすれば、向上が速いのです。

 考えてみれば、私たちが真でないとき、自分の純真と真誠を取り戻し、善でないとき主意識を強くして自分を導けば、慈悲を持つことができ、我慢したくないとき、恨み怒りを根本から無くし、悔しい気持ちを無くすことができ、私心が重いとき、真剣に相手の立場に立って考えられ、不機嫌な時に、考え方を変え、すべてを良いことだとみなし、心境を変えることができれば、きっとあってはならない問題は存在しなくなります。そのため、主意識が強いことは修煉して精進できるのです。心性の修煉を重んじるのは大法弟子にしかできず、いままでの小道での修煉や副元神の修煉とは全く異なっており、現在の複雑な環境において自分の心や思想を把握することこそ主元神の修煉なのです。

 環境の変化に伴って、修煉者の感じ方も変化しています。もし心性が安定していなければ、修煉者の思想は変わります。例えばある人が自分に対し善ではない、あるいは何か厄介なことに遭うと、内心はすぐに不愉快になります。ひいては何もないときにわけがわからずもやもやしたり、不安な気持ち、不吉な予感、または知らず知らずのうちに感覚が麻痺して冷淡になることは、真の修煉者ならばすぐに気づいて、正すことができます。こうすれば最大限に損失を無くすことができます。なぜなら、大法弟子の一念は宇宙の中の生命の所存にかかわっているかもしれません。

 無数の高層生命は、大法弟子が不公平な扱いの中でいかに人を救えるかを考え、大法の中で修めた無私と慈悲を見て、大法を認め、正法と大法弟子に魔難を与えることを止め、それによって救われるかもしれません。長い間、心の不安あるいは不吉な予感は、旧勢力が大法弟子を迫害しようとするときに按排した予兆であると認識し、これを強く否定します。心を静めて強い正念で自分の心の不安を安定と平和に変えれば、自分の空間場も安定と平和な雰囲気に変わります。

 宇宙のすべてはそれぞれ大法弟子に分担され、各自の天地を主宰しています。大法弟子が安定と平和で、強い慈悲の心境でいれば、自分が責任を持つ宇宙範囲がすべて正法の正神に主導されます。大法弟子は人を救い済度しているので、決して世の人々に迫害されるような事態にはなりません。

 つまり、もしすべての大法弟子が自分の思想に責任を持つことができれば、いかなる外来の信息、常人のことも大法弟子の慈悲で平和な心境を妨害できず、作用を果たせなくなります。反対に、もし自分の人心を環境の変化に任せて気づかなければ、大法弟子を迫害しようとする邪悪な生命は絶えず大法弟子の人心を強め、方向を見失わせ、旧勢力に按排された道を歩んでしまいます。理性的に自分のすべての念をコントロールすることで、すべての外来の妨害を排除すれば、最大限に妨害と損失を減らすことができます。

 境地が限られており、至らない点は同修たちの慈悲なるご指摘をお願い致します。

 合掌!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「米国フロリダ州法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/8/7/410127.html)
 
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