真に精進して、実修できていますか?
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文/長春の大法弟子

 【明慧日本2020年10月31日】私は6年前に法を得た30代の弟子です。慈悲なる師父の済度に感謝しています。同時に、三日坊主の修煉状態に対しての恥ずかしさもあります。これから、私の状況について交流し、また私と同じ状況に陥っている同修も、この文章を通じて内に向けて自分を探し、真に精進していくことができれば幸いに思います。

 少し前まで、ずっと師父と大法のことを考えている自分は、精進している方だと思い込んでいました。しかし最近になって、ようやく自分は表面上の変化や言動に留まり、実修していないことに気づいたのです。年の初めから「中共ウイルス」が蔓延し始め、次々とロックダウンしていくことに動揺しました。社会の形勢につられて、治安問題から生じた恐怖心、いろいろなニュースを見てきたことで生じた報復心理、それから、法を正す時期がもうすぐ終わるのかと思う焦燥感や切迫感など、様々な執着心が生じました。そして、毎日明慧ネットに載っているニュースと中国の報道と比べたり、夫と目前の社会形勢について話し合ったり、現在の状況がどのように発展していくのかを推測したり、話せば話すほど自分が物知りで、頭がいいと誇らしく思うようになりました。

 また、自分が知っていることを大げさに義母(同修)にも話しました。すると私の影響を受けて、義母も人心の妨害により、あれこれ推測し始めたり、現在の中国社会に文句を言ったり、人々が自己中心的で、頭も悪く、性格も最悪だと思うようになったりなど、私も義母も口を修めなくなり、それどころか、口から出任せに文句や不満など全ての愚痴をこぼし始め、自分たちが修煉者であることをすっかり忘れてしまっていたのです。

 つい最近のことです。義母の神経症(ヒステリー)が悪化し始めたため、しばらくの間、わが家で一緒に暮らすことにしました。昔、義母との仲が非常に悪く、自分のわがままも原因であるため、義母とは全く気が合いませんでした。修煉してからは、できる限り気を付けるようにし、自分を変える努力もしてきましたが、今回の「中共ウイルス」をきっかけに、隠されていた良くない人心や感情が全て表に出たのです。義母のためにという口実で、無理やり「法輪大法は素晴らしい!  真・善・忍は素晴らしい!」と唱えさせたり、義母が言いたくないと言っているのに強引に言わせたり、憑き物による妨害で体の状態が良くない時も、嘘をついていると思い込んで声を荒げたりなど、義母の欠点ばかりを数えあげ、傷つけ、修煉者として相手を気遣うような、慈悲の心は全くありませんでした。

 こうして義母は4日間滞在して、実家に帰りました。1人になり、義母が使っていた枕を見て、ふと悲しくなりました。意味もなく仮病を装う人はいません。常人の中の「善い人」とさえ呼べない自分の言動を思い出しただけで罪悪感が生じ、自分自身を責め、後悔せざるを得ませんでした。

 その晩、私は冷静に自分の修煉を振り返って、じっくり考えました。トラブルに遭っていないときは落ち着いており、法理も明白で自信もありましたが、いざ問題に遭うと、なかなか思うようにはできません。これまでの修煉を、全て無駄にしてきたのかもしれないと思うと泣きたくなります。「自分は、やはり駄目なのでしょうか?」と心の中で師父に問いかけました。師父と大法はこの上なく神聖かつ純粋なのに、このような私ではとても釣り合いません。自分をしっかりと制御していないだけでなく、かえって大法に泥を塗ってしまいました。

 その時、ふと「弟子よ、実修しなさい」という言葉が頭の中に浮かび、慈悲深い師父からの励ましであると悟り、感動で胸が熱くなりました。師父はまだ私を諦めていません。私に精進し、実修していくパワーを授けてくださり、元気が出てきました。思い返せば、何年も修煉してきましたが、ずっと常人の次元で彷徨い、「三つのこと」を行うにも、与えられた仕事のようにこなしているだけでした。

 明慧ネットで読んだ同修が書いた文章の中には、「皆さんは修煉者であり、これは皆さんの以前のこと、かつてのこと、またはあなたの表れを言っているのではなく、あなたの本質、あなたの生命の意義、あなたが背負った責任、あなたの歴史的使命を言っているのです。このようにしてはじめて、あなたは本当の大法弟子になります」[1]という師父の説法が載っていました。私は突然、自分たちの生命は内から外まで、すでに常人の身体(物質)ではなく、師父が変えてくださったことを悟りました。それでは、常人のことに執着する意味はあるのでしょうか?  常人の思考で、物事の良し悪しを量って良いのでしょうか?  常人の名誉や自己満足、情緒、幸せな日々など、もう重要なことではありません。自分の存在意義に気づき、大法を修煉することの神聖さを理解した瞬間、心が一気に楽になりました。師を助け、法を実証することは、私たちにとって至高の栄光なのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/4/23/404220.html)
 
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