文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年11月8日】私は妻と共に、1994年6月に河南省鄭州市で開催された李洪志師父による説法の講習会に参加しました。
ある日の午後、師父が法を説いていらっしゃる最中に、突然空が暗くなり、マイクの拡張器も故障しましたが、師父は立ち上がって大きな声で説法を続けられました。その時、突然、雹が降り始めました。開いている窓から入ってきたので、それを拾い上げてみると、親指くらいの大きさで、屋根にあたって大きな音を立てていました。会場がざわつき始めた時、師父は「皆さん、お静かに。私の話に集中しましょう」とおっしゃいました。しかし、急に停電したため、仕方なく師父は説法を中断されました。教壇の上の屋根から雨が入ってきてぽたぽたと床に落ち出し、師父は横に移動されて、立ったまま手印を結ばれました。その後、師父はペットボトルを持って空いている手でそのペットボトルに指を差されました。すると、女性の悲鳴が響き渡り、師父はボトルの蓋を閉められました。まるで何かをペットボトルの中に閉じ込められたようでした。
しばらくして雨が止み太陽も顔を出しました。全員が大きな拍手をしている中、私は何がどうなっているのか全く分かりませんでした(後で分かったのですが、師父は魔を退治されていたのです)。すると、師父は机の上で座禅されて再び手印を結ばれました。その後、説法を再開され「あなたたちの家も無事です。心配しなくても良いでしょう」とおっしゃいました。
講義が終わり外に出ると、水は腿あたりまで上がり辺り一面は洪水となって、私と妻は自転車を押しながら家に向かいました。自宅の前の建物の屋根が吹き飛ばされたり、塀が崩れたり、直径1メートル以上もある大きな木が倒れたり、倒れた電柱で横の配電室が潰されたりするなど、あちらこちらで被害が起きていました。しかし、自宅横の大きな木だけは何事もなかったかのように真っすぐ立っており、家の庭に臨時に建てた厨房も全く壊れておらず、皆不思議に思いました。
「50年余りの間に、鄭州市でこれほどの強風は経験したことがないよ。あちこちで被害が起きているのに、君たちの家だけは何ともなかったね」と近所の人に言われました。私と妻が一時的に住んでいる家は、比較的低いところに建てられており、雨が降る度に家が浸水していました。しかし、その日の暴風雨にもかかわらず、家の中は全く濡れていませんでした。「あなたたちの家も無事です」とおっしゃった師父のことを思い出した途端「師父が私たちを守ってくださっている」と悟りました。
師父が鄭州市で講習会を開かれている間、学習者全員に病気治療をされました。師父に言われたとおりに、床を強く踏みましたが皆バラバラだったので、もう一度揃えて床を踏みました。その時、師父の背後から、まるで稲妻のような光が放たれているのが見えました。その時は見間違えたかと不思議に思いましたが、後になって、それは師父が放たれた功能で、皆の体を調整されていたのだと分かりました。
ある日「誰か財布を落としていませんか? 札束と、金のネックレスと、腕時計がここにあるので、落とした人は取りに来るように」と師父が教壇の上で落とし物を見せられました。まさに師父が説かれたように、法輪功のある場所は浄土なのです。落とし物は、それぞれの持ち主のところに返り、悪智慧を働く人は誰1人いませんでした。
湖北省から来た2人の学習者が、講義前にレストランで食事をしていたとき、カバンを盗まれました。中には『轉法輪』1冊と、講習会に入るための入館証、そして、タオルや歯ブラシなどの生活用品が入っていました。入館証がないと中に入れないので、入り口の学習者に事情を説明しました。後から師父はこのことを知って、カバンを無くした場所に戻ってもう一度探すようにと2人の学習者に伝えられました。翌日、2人の学習者は再びそのレストランに入りました。すると、ある若者が『轉法輪』を読んでいるのが見えたので「あなたも法輪功を修煉しているのですか」と尋ねると、その若者は本をテーブルの上に置きました。本は風でページがめくれて、ちょうどそこにはバッグを無くした学習者の名前が書かれていたのです。「これは私の名前です。これは私の本です」とその学習者が言うと、若者は「君の本なら持って帰っていいよ」と言いました。「私のカバンは?」と聞くと、若者は横にあったカバンを指差しました。カバンを開けて中を確かめると、何も無くなっていなかったのです。
他にも不思議な出来事はたくさん起きました。
講習会の最終日、講義が終わってから多くの学習者たちが、退場されている師父と握手をしようと手を伸ばしていました。当時、私も何も考えずに手を伸ばしたのです。近くの学習者の女性が師父の手を掴むなり、離そうとしませんでしたが、師父は彼女の手を引いたままこちらに向かって来られたので、自然と手が離れました。そして師父と握手した瞬間「師父の手はなんて柔らかいのだ」と思い、心の底から喜びが沸き上がりました。その時に感じた神聖さは今でも覚えています。そのことは邪悪の砦(とりで)に拘禁されていた時も忘れませんでした。
師父が退場された後、気功協会の人が「他の気功師は宴会などを楽しむけれど、法輪功の師父だけは1人でカップラーメンを食べておられました」と言いました。その後、気功協会から師父に「衆生済度」の旗が送られました。
以前の妻は、頭痛や腎臓病、膀胱炎、痔など様々な病を抱えていましたが、師父の説法講習会に参加して、全てが治りました。この目で確かめた事実ですので、師父が治してくださったと固く信じています。修煉の道で勇猛邁進する決心もつきました。
修煉してしばらく経つと、天目が開いたのです。別空間の都市や建物、道路、山川、自然環境などが見えました。その空間の花は非常に鮮やかでとてもきれいで、そこで暮らす人々は古代の身なりをしているのも見えました。その後、ずっと私を悩ませていた胆嚢炎や腎臓病、肝脾腫大などの症状がなくなり、毎日、力が有り余っているようなりました。
1995年、家族と庭で家族写真を撮りました。その写真には小皿くらいの大きさの法輪が映っており、中の卍符も非常にはっきりと見えました。また、写真の中のぶどう棚の横にも、串のように並んだたくさんの法輪がはっきりと映っていました。同地区だけではなく、他の地区の同修もその写真を見るため、私の家を訪ねてきました。
法輪大法を修煉することで、中共に迫害され、留置場に拘禁されました。当時、私を転向させようとしていた4人の警官に囲まれて、非常に険悪な雰囲気が漂っていました。「ここをどこだと思っている?! ここは刑務所だ! 専制機関であり、強制的な手段を取っても許されるところだぞ! 国に言われたことを守らなければならない。国がやめろと言ったらさっさとやめるんだ! おまえには転向の書類を書いてもらう。書かなければ拷問するぞ!」と1人の警官に言われました。大法は私に2度目の生命を与えてくださいました。そして、私の心の中には真・善・忍と宇宙の大法があります。真理のため、大法のためなら、たとえこの命を失っても恐れることはない! と決心を固めた私は、「書かない!」と断り、「2日間で書け!」と言われても、「私は真・善・忍を修煉している。転向の書類などは書かない! 死など全く恐れていない!」と自分の覚悟を伝えました。
私の話しを聞いた警官は怒り、大法を誹謗中傷する書類を持って近づいて来ましたが、私は「読まないで! 読んでも聴かない」と、警官が口を開く前に言いました。留置場駐在の医者が「これを読んでも彼には効かないだろう」と言ったので、私は「ほら、医者も効かないと分かっている。だから読んでも聴かないよ」と答えました。しかし、私の話しで怒りを増した警官は大声で読み始めました。大法を誹謗中傷する言葉を聞いて「邪悪すぎる、許せない」と思い「もし、大法を改ざんして、別のものを作りだす者がいれば、その罪は限りなく重く、その生命が悪業を償うとき、一層一層の次元で滅し尽くされる苦痛は、永遠に尽きることがありません」 [1]と法を暗唱し始めました。すると、突然、その警官が倒れて動かなくなったのです。
その時、留置場の指導員が部屋に入ってきて「君は師父に会ったことがあるのか?」と尋ねたので「師父にお会いしたし、握手もした」と答えました。すると、その指導員は「拘禁部屋に戻りなさい」と言いました。その後、留置場に来た公安局の警官たちは全員去っていきました。そして、最も凶悪だった警官は突然態度が変わり、どのように弁護を頼むのか、また、どのように告訴するのかなど、丁寧に優しい口調で細かいところまで教えてくれたのです。
慈悲深い師父のご加護の下、そして、大法弟子の強力な正念により、大法に対する警官たちの悪い考えや企みなど、邪悪な要素が解体されました。
いかなる神聖で讃美な言葉を用いても、師父への感謝の気持ちを表すことはできません。唯一、勇猛邁進に実修し、そして、師父に言われた「三つのこと」をしっかり行うことで、少しでも師父の御恩に報えればと思います。
注:
[1]李洪志師父の著作:『精進要旨』「定論」