師父の言われることに従う
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2020年11月15日】私は地方の大法弟子で今年50歳余りになります。子供のころから病弱で、常に目眩や、吐気を感じて、胃の調子もあまりよくありませんでした。熱を出して薬を飲むことは日常茶飯事です。1999年の春、私は大法の修煉を始めました。修煉して間もなく、今までの疾患は薬を飲まずに、全て治癒し、身体はすっかり元気になりました。1999年元国家主席の江沢民が法輪功への残酷な弾圧を始めました。大法弟子に対して、不法な連行、家宅捜索、強制収容、刑罰、強制労働収容等を行ないました。私は恐れませんでした。私は心の中で「真・善・忍の理念に従い、良い人間になることは間違っていない、師父の言われる事だけに従い、師を固く信じ、法を固く信じて、最後まで修めたい」と言う一念だけを抱きました。

 二十数年来、師父が時々刻々に、この精進できない弟子を見守って下さったのです。私は身を持ってたくさんの不思議な体験をしたため、周りの家族や友人に大法の素晴らしさ、超常さを実証することが出来、真相を伝えることができました。その人たちは法輪大法に賛同して、中国共産党(以下、中共)の邪悪な本質を更にはっきりと認識することが出来て、相次いで、共産党、共青団、少先隊の組織から脱退しました。

 自分の修煉の道において、不思議な体験が多くありましたので、ここで二つの例を挙げて同修の皆さんと交流したいと思います。

 (一)

 2017年11月のある晩、私は下腹部が腫れて痛みを感じました。何気なく修煉していない夫と娘にこの話をしました。すると、娘は私を急いで病院へ連れて行き検査を受けさせました。検査の結果は子宮筋腫でした、腫瘍の大きいものは8、9センチ、ほかに3、4個小さい腫瘍もありました。医師は子宮の摘出手術をしなければ危険だと告げました。医師の表情は険しかったのですが、私はどうしても聞き入れませんでした。「ほかにも私よりずっと病状が深刻な同修がたくさんいるのに、それでも無事なので、私は大法の修煉者なので、これくらいのことは大したことではない、私は決して認めない、私には師父のご加護がある、如何なる危険も起きない」と思いました。

 夫は驚いて、身近な家族、7、8人を動員して私に手術を受けるように、私を説得に来させました。私は大法を修めて十数年、病院に入院してしまえばまだ大法弟子と言えるでしょうか? これは大法に泥を塗るような行為ではないでしょうか? この人たちは私にプレッシャーを与えているのではないか? と思うと涙が出てきました。彼らに「私は師父に見守られているので、安心してください。手術は受けないことに決めました」と話しました。医師も仕方なく、取りあえずいったん帰宅して、よく考えてから来院するようと指示したので、私は助けられました。 

 家に帰って、『轉法輪』の本を胸に抱えて、師父の写真に向かって「師父が私を地獄から救い上げて下さり、師父の苦心の済度にお礼を申し上げます。弟子は決して師父を失望させません。安心して下さい。出来の悪い私は必ず法に則ってよく修め、内に向けて探し、出来ていない部分を補います」と話しました。

 私は毎日、学法煉功発正念を続けて3年過ぎました。家事、体力仕事、私は今なんでもこなせます。

 自分が製粉工場を経営していることを利用して、取引先の人々に真実を伝え、三退を勧めて、心からの九文字「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を伝えながら、法輪大法の真実が書かれた資料を渡しています、日常生活上に支障はなにもありません、今では身体に如何なる違和感もありません。

 (二)

 2018年8月某日、私は家に一人で居て家の水のタンクに水を貯めていました、タンクの高さは3メートル程です。私は水位を確認しようと思い、梯子を上りました、下りる時に足を踏み外し、上から落ちました。セメントの地面に叩きつけられて、気を失いました。数分後、意識が戻り、上半身に張り裂けそうな激痛が走り、動けませんでした。突然「私は大法弟子であり、使命を帯びているので、如何なる邪悪な生命も私を迫害する資格はない、私は起きなければならない」という一念が頭をよぎりました。目を開けると、携帯電話が直ぐ近くに転がっているのを確認して、私は懸命にはいつくばって、携帯を拾い夫に電話をかけました。

 10分後、夫は駆けつけてきました。地面に腹ばいになっている私に「もう少し気を付ければそんなことも起きなかったのに、大丈夫?」と声をかけてくれた夫は少し動揺している様子でした。夫は私が大法を修煉し始めてから病院にも行かず、薬も飲まずに持病が治ったことを目にしているので、私は大丈夫と確信して、私を病院へ連れて行こうとはしませんでした。

 私の両足は曲げることが出来ない程腫れあがり、足の感覚を失い、立てませんでした。全身がまるで複雑骨折したかのように言葉では表せない痛みが走り、息ができませんでした。心の中で法を暗唱しました「関という関を全て闖えるべし  いたる処すべて是れ魔 百の苦一斉に降る 其の如何に活くかを看る 世上の苦に堪え得れば 世を出れば是れ佛陀」[1]。また師父が仰った「肉体の苦痛は最も耐えやすく、じっと我慢すれば、何とか耐え抜くことができます」[2]、「忍び難きは忍びうる。行い難きは行いうる」[2]の法を思い浮かべて、「どんな痛みでも耐えなければならない」と私は師父の言われる通りに行なう決心をしました。

 夜寝る時に、身体が横になると息ができないので、座ったまま仮眠をとりました。痛みを強く感じ、寝付けない時に師父の説法を聞きました。

 このように、毎日学法して、激しい痛みを耐えながら煉功と発正念をして、自分の空間場にある全てのよくない要素を取り除き、邪悪の黒い手と卑しい鬼及び共産邪霊を根絶し、旧勢力の妨害と迫害を否定して、師父の言われることだけに従いました。

 「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある」[2]の奇跡が私の身体に起きました。体重60キロの身体があんなに高い処からセメントの地面に叩きつけられても、どこも怪我をせず、ただ腫れや、痛みを感じて、あざが出来ただけでした。3日後には浮腫みが引いて、ゆっくり歩けるようになり、半月も経たないうちに、全てが正常になり元通りになりました。

 全ての関、全ての難は師父の保護と慈悲なる済度から切り離すことは出来ません。法を正すこの肝心な時期に、時間を大切にし、確実に修め、精進して、合格した大法弟子になってこそはじめて師父のご恩に報いることが出来るのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/10/15/413380.html)
 
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