文/10人の北京の青年大法弟子
【明慧日本2020年11月21日】私たちは中国で1990年代に生まれ、かつては多くの若者たちと同じように、わがままで、どこでも競い合い、映画を見たりゲームをしたりするのが好きで、体面を気にして認めてもらおうとし、トレンドを追求しました。友達のことでケンカになることがあり、両親と喧嘩して怒ることもありました。
私たちも恋に落ち、将来に向けての計画を立て、私たちが望む生活のために努力奮闘することができ、計画できるすべてのものを計画することができました。しかし一つだけ、計画の中になかったものがあり、それは修煉でした。
2014年の夏、法輪大法は性格がまるで違っている私たちを結びつけました。それ以来、相互に付き合い、平凡で感動的な多くの修煉の物語をともに体験しました。
一、2014年 次々と修煉を始めた
私たちは北方の一流大学で勉強しており、共通の専攻の先生である王先生がいました。王先生の授業は活発で、授業が終わってからもさらに辛抱強く学生の質問に答え、いつも威張らず、ユーモアがあり、父兄や学生の贈り物もやんわり断りました。
ある時旧暦の12月23日、多くの同級生がみな家に帰ることができないとき、先生は学生に電話し「何をしているのですか? あなたたちは家に帰ることができないのですか、かわいそうに、私の家に来て鍋を食べなさい」と言いました。私たちは喜んで皆行き、その時の鍋はアツアツでした。
大学の中で、このような先生はまれであり、学生はみな王先生の周りに集まり先生の話を聞きたがりました。その後、先生は学生たちに文化大革命、天安門事件、偽りの天安門焼身自殺事件、さらに三退について話しました。ある同級生は先生と疎遠で、またある同級生は先生を受け入れ認めました。その中の数人は、中国で発生している多くの真相がわかり、三退しただけでなく、さらに先生の後を追って「読むことのできる法輪功の本はありますか?」と聞いたりもしました。この時に法輪功の本を読んでから、もう6年でした。
王先生と夫人は2人とも法輪功修煉者で、当時2年しか修煉していませんでした。その後に先生は私たちに「私は本当に感動し、大法のおかげで一緒に修煉できることに感謝しており、皆さんと一緒に向上し、一緒に精進することができます」と言いました。
一人一人は異なる環境で育ち、性格も異なり、修煉した後の問題も異なりました。
麦子は、男の子のような女の子で、先生が麦子に真相を伝えた時、麦子は「脱退するなら脱退します、何を恐れるのですか、実名で脱退します! でも、もし先生が私に悪いことをさせるのなら、私は絶対に悪いことをしに行きません。私は先生たちの本を読みたいのですが、読んでもいいですか?」と言いました。麦子は大法書籍を読んだ後「なんと、神は本当に存在していたのですね!」とショックを受けました。麦子は学び続けて、数カ月で5キロ以上やせ、体の病気がすべて消えました。
麦子は修煉する前、いつも憂い顔で、イライラしていました。麦子は能力があり、損をすることはなく、誰かが何か言った場合でも、10倍言い返すことができました。先生の近くにいる同級生を見下しており、人をいじめることが起こるのを許しませんでした。修煉した後、「たとえ自分に理があっても、他の人の感情を考慮する必要がある」ことを理解しました。再びトラブルに遭っても「すべてのことの発生はみな原因があり、修煉者は忍耐強くなければならず、高い基準で行なう必要がある」と心の中で思いました。このようにして、往々にして激しいトラブルも解決されました。麦子は「修煉は私をリラックスさせ、幸せに感じさせ、多くのことが気にならなくなりました」と言いました。
悠悠は幼いころから「ずる賢くなるように」家族に教育され、悠悠はいつも他の人が教えた「成功体験」を覚えることができました。どのようにすれば先生がもっと自分を好きになるか、どのようにすればさらに高い点数と順位を得られるか知っており、あらゆる面で遅れをとりませんでした。「世渡り上手な人」の指導の下、悠悠は早くから入党申請書を手渡し、しょっちゅう事務所に行って先生の仕事を手伝い、いつも先生の悩みを分かち合う行動主義者でした。しかしある日、悠悠は突然優曇華の花を見ました。
優曇華の花は、昔から伝説とみなされていたため、悠悠はまったく信じませんでしたが、すぐに悠悠は本当に先生の家で優曇華の花を目にしました。それは干しぶどうの上で育っており、虫眼鏡を通して中のおしべを見ることができ、白くて美しいとわかりました。その後に先生の家の木の上や、鉄柵、枯れ葉、石の上にみなこのようなたくさんの小さな花が咲いており、いくつかは今日(訳注:2020年5月)まで、6年前と同じように咲いています。
悠悠は何かが自分の心から消されたと感じ、かつて「現実」の世界だと思っていたものが、もはや現実ではなくなりました。悠悠は先生に「私は大法を学ぶことができますか?」と聞きました。先生は「それならあなたはよく考えなければならず、法を学ぶのは、大法を使って点数をあげたり、お金を稼いだりすることはできません」と言いました。悠悠はその時先生の話を聞いてとても悲しみ、自分が今までよく行なってこなかったと感じ、大法を学ぶ資格はまったくないと感じましたが、目に涙を浮かべながら「学びたいです」と言いました。悠悠は「今思うと、それは修煉を始める前の試練であり、心を確固として学び続けられるかどうかを見ていたのだと思います」と言いました。悠悠は法を学び始めたばかりの時、両足での坐禅を1時間近く行なうことができ、法理もすぐに理解しました。学校で、悠悠は何事にも争わなくなり、いつも善の心で他の人を助けました。不思議なことに、悠悠は先頭に立つことを追求しないで、かえってさらに先頭に立ちました。
悠悠のボーイフレンドの石頭は体が弱くて病気によくかかりました。年齢が若く、養生は一般の女性よりもさらに細心の注意を払わなければならず、ほとんど毎月悠悠がいつも石頭に付き添って1、2回病院に行き、点滴を打たなければなりませんでした。幼いころから薬を飲んでいたために、薬をたくさん持っていて、同級生の誰かがちょっとした病気になると、みんな石頭のところに薬をもらいに行きました。大法を学んだ後、二度と薬を飲まず、石頭は「もし大法を学んでいなければ、私は現在生きているか死んでいるかすらわからない」と感じました。
小夢はいつも王先生を避けており、先生がいつも臓器狩りのことについて話していると同級生から聞き、さらに神や佛がどうとか聞いており、小夢は恐れていました。ある時、小夢が問題を教わりに事務所に行き、事務所には王先生1人だけで、小夢はもともとできるだけ早く出ていきたいと思っていたのですが、先生は小夢を見ると、責任をもって小夢のために問題に解答しました。小夢は実際申し訳なくてすぐに帰れませんでした。ゆっくりと、先生は小夢に真相を伝え始めました。先入観があったため、小夢はまったく先生が話す内容に耳を傾けられず、心の中で早く誰かが来てくれるように祈りました。そうすれば出て行くことができたからでした。しかし長い間待っても、人が来る気配はなく、小夢の心はすっかり冷え切ってしまいました。こうなってしまったので、それなら、まじめに先生が何を話しているか聞いてみようと思いました。話の後半を聞き、かえって先生の話は道理にかなっていると感じました。
その後に機会があって再び修煉している数人の人に会い、みんな熱心に法を学んだ後の個人的な経験を小夢と共有しました。いくつかのことは小夢が聞いてもわかりませんでしたが、小夢は相手の誠実さが偽装ではないと感じることができ、これは他の人の身の上では感じたことがありませんでした。その後、小夢も修煉に入りました。
美しい小桃は比較的わがままで、ゲームをするのが好きでした。弟ができた後、小桃は両親の愛を弟に取られたと感じ、いつも両親に話しかけました。
修煉の後、小桃は心の底から両親の悩みに気づき、両親を思いやるようになり、率先して弟の世話をし、弟の学習を指導し、現在(訳注:2020年5月)弟はかえって小桃の話に一番耳を傾けています。ある時、小桃の母親が街で大声で小桃を叱りましたが、小桃は一言も言い返しませんでした。その後に母親が「容姿は変わらず、昔の反抗期の娘とは思えないくらい変わったと私は本当に思います」と言いました。小桃は寝ている時、不思議な香りをかぐことができ、坐禅の時、熱い流れを感じることができました
沫沫は敏感で、偏屈で、いくらか自尊心の低さがありました。有神論を信じていたので、ずっと自分が認めた基準の範囲内で「よい人」の評価に符合したことを行ない、利益の前でいつも一歩後退し、できるだけ誠実にすべての人に接しました。しかし沫沫の周囲には「成熟」した大人がおり、沫沫についてそのように考えておらず、大人たちは沫沫の行為と思想が奇妙だと思い、社会の中で生きるのに適しないと考え、そういった人付き合いの人生経験を沫沫に押し付け続け、優秀な単位を取得するために先生に贈り物をして、さらに多くの栄誉を獲得するために絶えず様々なサークルに出入りしました。このような矛盾の中、沫沫は苦しみを感じ、一方で自分の考えが間違っていないと感じ、もう一方ではまた自分の考えとは逆のことをしなければならないとも感じていました。
沫沫は人生について非常に混乱し、自分が何をすべきなのかわからず、この状況から抜け出そうとし、時には万事都合がよくなればいいのにと考えましたが、このようにすると地獄に落ちてしまうのではないかと恐れ、沫沫は地獄には行きたくありませんでした。沫沫は跡形もなく消えてしまいたいと思い、永遠に輪廻転生したくありませんでした。
大学のある日、沫沫の友人の小桃が厳かに沫沫に「知っていますか? 法輪功は素晴らしいです! 天安門広場の焼身自殺事件は嘘です!」と言いました。さらにある先生の家に行って先生が詳しく話すのを聞きましょうと沫沫を招待しました。沫沫は衝撃を受け、小桃の口からこんな話を聞けるなんてと思いましたが、考えてみると、小桃がこのように言うからには必ず理由があるはずだと思いました。そして幼いころ壁に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という言葉をいつも見ることができ、法輪功が何なのか沫沫にはわかりませんでしたが、真・善・忍は素晴らしいと言って、何が悪いのでしょうか? 沫沫は小桃と一緒に先生の家に行きました。
行った後になってわかったのですが、なんと沫沫を教えたことのある王先生でした。沫沫は少しほっとし、沫沫はずっと先生を恐れていましたが、王先生はいい人で、他の先生とは異なり、沫沫は王先生が好きになりました。先生の詳細な解答の下で、沫沫は以前人々が恐れていた法輪功は、なんと一種の修煉であり、法輪大法を修煉する人はみな命を大切にし、自殺をするはずがないことを理解しました。沫沫はまた人が人である理由を理解し、跡形もなく消える以外に、その他の方法で輪廻転生から抜け出せることがわかりました。沫沫は嬉しくなり、以前自分が堅守してきたことが認められ、帰属意識を持ちました。「本を一度読んでみなさい!」と先生は提案しました。そこで、沫沫もその日から、修煉の道のりを歩み始めました。
小音は偽りの天安門焼身自殺の動画を見て恐れ、それから法輪功を修煉する同級生から疎遠になりました。偶然にある日、王先生の家に行きました。先生はまったく威張らず、法輪功が迫害されている真相について小音に話し、共産党はこんなにも多くの天に背く悪事を働いており、驚くべきことでした。こんなにも邪悪な党が、どうして父兄に誇りと見られるのでしょうか? 優秀な生徒の基準になりえるのでしょうか? 心の中の正義感により小音は中共がしたことを嫌悪し、また入党するために少年先鋒隊の指導員に取り入る自分の周りにいるすべての同級生に価値がないと感じました。
小音は「多くの人が自分と同じで、無知な状態で強制的に入隊・入団させられた」と思いました。何の誓いをしたのか分からないし、毒された誓いが効くのかもわからず、本当に哀れでした。三退した後、小音は先生の家から出た後、心の中がはるかにきれいでよりリラックスしたように感じました。その後に小音は「入党申請書を書くのにいつも何回もミスをしたのは、すべてがみな按排されていたのだ」と思い出し、その後すぐに修煉を始めました。
小天はクールな男の子です。かつてある先生は「大学に行ったら、学部の教授と良好な関係を築き、班長を勝ち取らなければならず、このようにすることにより、奨学金を取得する可能性が高まり、個人的な利益を得る時、それを勝ち取らなければならず、機転を利かせろ」などと小天を教育しました。内心では時々このような行為を軽蔑することがありましたが、生活の中でいつもこのような経験で物事を行なうことを信条としていました。
王先生が話す真相を聞いてはじめて、小天は人は自分の良心のために生きるべきであることに気づき、おろかに後天的な観念の中で自分を見失ってはならないことに気づきました。先生はさらに小天に修煉に関する多くの本当の話をし「法輪功は真・善・忍に基づいて人に心性を修煉させ、生命の境地を向上させます」と言いました。このような話を聞いた時、小天は突然心が明るくなり、修煉への思いが湧きました。最初、小天は修煉の内涵がはっきりわからず、数珠をいくつか買ってきてかければ、佛を信じることができると思い、さらにこうしたことを後世に伝えたいと思いました。その後法輪功の書籍を読み、修煉は形式ではなく、大切なのは心を修めることだと気づきました。小天はとても穏やかで、どこでも物事を行なうとき人のことを考え、顔にはいつも笑みを浮かべ、誰でもみんな小天と話したがりました。
燕子は家に残された出稼ぎ労働者の子供でした。引きこもりで頑固な小天は、いつも自分自身を励ますために霊感的な番組に頼りましたが、霊感的な番組を見れば見るほど、名利に深入りし、個人の損得にばかりこだわりました。しかし幼いころから神を信じる家庭で育ったので、すべてを信じ、真相を聞いて理解した後、すぐに両手で合掌し中共組織を脱退しました。その時、小天は自分が黒く砕けたものから出たように感じ、即座に心身ともにリラックスして幸せに感じました。
その後に燕子は率先して大法書籍を読み、麦子と一緒に煉功し、多くの善良な同修と出会い、かつてないほどの信頼と安全を感じました。ゆっくりと修煉した後、小天は師父が説かれた「自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」[1]を学びました。自分が行なうべきことに責任をもってしっかり行なえばよく、卒業と仕事を見つけることに対しても戸惑いや不安を感じませんでした。
以前、私たちはただの同級生でしたが、修煉後、私たちはさらに温かい友情を感じました。私たちは毎朝教室に集まって煉功し、夜は法を学び坐禅し、体がさらに健康になっただけでなく、成績もさらによくなりました。自分自身を強調せず、どこでも他の人に謙虚なので、クラスの雰囲気も促進されました。
卒業する時、私たちの周りにいる半数以上の同級生はみな法輪功は素晴らしいことを理解していました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
(続く)