文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年11月22日】私はある電子レジの仕事を見つけました。入社してから数日後、私が法輪功を修煉していると社長が知って店長に伝えました。中国共産党(以下、中共)の大法に対する誹謗中傷のため誤解している店長は、プライベートで私に「選び抜いた挙句、なんと法輪功を学んでいるあなたを選んでしまったとは…」と言いました。
店長は私に、社長の言葉を話しました。私は「法輪功を学んでいることが、何か問題ですか? よい人になり、盗んだり奪ったりせず、悪い遊びにふけらず、もしどこかの職場で法輪功を修煉している人を雇ったら、それはその職場の人たちの福です!」と言いました。店長は何も言いませんでしたが、店長も大法に対してあまり理解していないことがわかりました。私は「必ずしっかりやって、本当の法輪功修煉者が一体どのようなものであるかを、社長と店長に見せなければならない」と思いました。
私は先ず社長に手紙を書きました。私が法輪功を学び、修煉で恩恵を受けた過程を簡単に述べ、社長が法輪功を正しく理解できることを希望し、社長が一人でいた時に手紙を渡しました。社長の私に対する態度は次第に大きく変わっていきました。
私はレジのこの業界について、全く接触したことが無かったので何も分かりませんでしたので、まじめに学びました。他のレジ係と比べると、私の年齢は比較的高かったのですが、大法の修煉の中で得られた知恵で、私は数日でマスターしました。同僚と仲良くし、損得を計算せず、顧客に対して辛抱強く、同僚間であなたのどこが正しいのかなどの話し合いをしました。私は言うべきことを話し、言うべきでないことはみだりに話しませんでした。実際簡単には答えられないような質問には、私は笑い飛ばしたりしました。
だんだんと同僚たちは、奇妙な目で私を見なくなりました。みな私が、もめごとを収めることができると分かると、みな私に、本当のことを進んで教えてくれるようになりました。私は善の心に基づいて善を勧めましたが、同僚たちが小さなことで争っているのを見ると、自分が大法を修煉しているので本当に辛かったのです。私の修煉環境はだんだんと良くなっていきました。ブランド品コーナーの電子レジは毎日客が少ないので、時間はゆったりしており、私は自分のレジカウンターに座って、法を学んだり「明慧週刊」を読んだり、さらには法を書き写したりすることができました。
ある日、私がレジカウンターで法を学んでいた時、店長と数人の営業マンが少し離れたところで雑談していました。店長が営業マンと何かを話しているときは、普段はほとんど耳に入らないのですが、その時は突然、店長が大法の師父のお名前を言ったのが耳に入りました。さらに外国へ逃げたなどのことを話しており、声は大きくはなかったのですが、私はとても耳障りに感じました。
真相を知らない人に業を作らせるわけにはいかず、私は本を置いて店長の前に行きました。「店長、知らないことについて、私は店長がみだりに話さない事を願っています。このようなことは店長にとっても良くないことです。私は店長とお話して、私が何であるかを店長も知っておくべきであり、私が話しているのはみな本当の話です。私は誠実に店長のことを思っており、店長が今後二度とみだりに話したりしないことを希望します」と言いました。
その時私が誠実に、店長のことを思って話したので、いつもは特に勢いのある店長が驚愕しました。店長の顔がすぐに赤くなり、粗暴に私を見て「何も言うつもりはありません。何も言うつもりはありませんよ」と何回も繰り返して言いました。他の数人は店長の様子を見て、みな繰り返しながら「そうですよ。知らないことを言ってはいけませんよ」と追随しました。みな申し訳なさそうに私を見ていました。ある店員がちょうど顧客に商品を紹介していましたが、私の話を聞き、みな立ち止まって私を見ていました。その視線は疑っているようにも見えましたが、しかしそれ以上に敬服しているのが分かりました。
私が再びレジカウンターに戻った時、商品を紹介していたその店員がそばにやって来て私に言いました。「お姉さん、私は今本当に、あなたの本を読んでみたいと思っています」。私の誠実さと正義がその店員を感動させたのだと、私には分かっていました。いつもはこんなに大勢の人の前で、店長に話をする度胸のある人は誰もおらず、さらに今日の店長は意外にも悪いことをした子供のように、自分の間違いを認めていました。
いつもどんな顧客に会っても、私はいつも笑顔で向き合い、トラブルを起こしたことはありません。他の店(私たちの店はブランドのチェーン店)ではいつも、顧客と営業マン、あるいはレジ係と争いごとが起こっていました。回答し解決できる問題は、私は必ずできる限り顧客のために解決し、遅らせたり顧客を当惑させたりすることや、顧客が聞き苦しい話をしても反論することはありません。
ある時、ある顧客が買い物が終わった後、700~800元を私のレジカウンターのところに置いて忘れていたと言いました。私たちも「見ていませんでした」と言うと、その顧客は焦り「ここに置いていた」と言い張り、店長はその顧客と言い争いを始めました。私は「お客様、興奮なさらないでください。お客様のお金がここに置かれていたかどうか、私にはわかりませんが、監視カメラなら調べられます。監視カメラを調べるには社長の部屋でしか出来ませんが、社長は今日は不在なので、明日の8時以降に私のところに来ていただき、私がお客様をお連れして監視カメラを調べ、もし本当にここに置かれていたならば、私が弁償いたします。そうすればお客様も安心されると思いますが、いかがでしょうか?」と言うと、その顧客は私の態度が穏やかなのを見て、安心した口調になり、翌日監視カメラを調べに来ることになりました。
その顧客が帰った後、店長は、「こういうお客には慣れている、何らかの理由でここにお金を置いたと言ったのでしょう」と言いました。私は「どちらにしても、まずは私の潔白を証明できますし、それに顧客の疑問を解決し、悪影響を及ぼすことはありません」と言いました。私は社長に電話して状況を説明しました。
そして翌日の8時過ぎ、顧客がやって来ました。私は顧客と話をしたり、笑ったりしながら社長の事務所に行き監視カメラを調べ始めました。監視カメラは、顧客がお金をカバンの中に入れて帰って行ったことを記録していました。その顧客は申し訳なさそうにしていました。顧客が帰る時、社長に「こちらの従業員の方は、態度もよく、また責任感があります。今の社会ではこのような人はめったにいません」としみじみと言いました。
私と顧客が下に降りる時、顧客はずっと私に感謝していました。私は顧客に大法の真相を伝えました。もともと町内会の党委員で、さらに党員でもありました。その顧客は、隣人の一人が大法を修煉しており人が良くてすでに「三退」している、と私に伝えました。その顧客は「法輪功を修煉する人は、本当にみなこんなにも素晴らしいのですね」と言いました。
私たちの店の正面扉の前には、いつも行商や物売りたちが果物類を売っており、店員たちは好んで利用しており、いつも試食したついでに店の数種類の果物を買っていました。ある時、同僚の孔さんが、店の数個の梅を盗み、戻ってきて私にくれ、私に食べるように言いました。私は孔さんが店のものを盗んだのを知っていました。私は孔さんに、孔さんの祖先の孔子が、盗泉の水(訳注:孔子が盗泉という所を通りかかった時、喉が渇いていたが、盗泉の名を嫌って水を飲まなかった)の話を伝えました。「古人も少しの得を求めて大損する道理を伝えており、行商や物売りがお金を稼ぐのは容易ではなく、私たちは以後二度と理由もなく他人の物を取ってはいけません」と孔さんに伝えました。
私と孔さんの関係はいつも良く、それから関係はさらに良くなり、他の同僚もだんだんと、面白がって他人の物を取らなくなりました。ある時、ある同僚が柿を買いたがり、その柿の売り子が、その同僚に一つ柿をあげ、その同僚に試食させました。その同僚は受け取るとすぐに振り向きました。私がちょうど入り口に立ってその同僚の方を見ていたので急いで柿を手放し、戻ってきて恥ずかしそうに私に「私は取っていません、彼が私に試食させたんです」と言いました。実際、私もただ入り口に立っていただけで、「私は何も言っていませんよ。どうぞ試食してくださいね」と言うと、みんなが笑いました。同僚たちも次第に勝手に人のものを取ることは、よくない行為だということが分かるようになりました。
私の環境はだんだんと良くなりました。毎年、法輪大法の真相カレンダーをみんないつも欲しがり、私のレジカウンターの前にもその年の真相カレンダーが一つ置いてあります。はっきり覚えているのですが、最初の年にレジカウンターの前に真相カレンダーを置いた時、私たちの上司(めったに店に来ない)が、カウンターの前で真相カレンダーを見て「これは誰が持ってきたのですか?」と聞きました。私は「私です」と言うと、上司は「ああ」と言って笑いながら「法輪功は素晴らしい、少し反党ですね」と言いました。そして私が何か言いだす前に、上司は「共産党はあまりにも悪い、反対するべきだ!」とつぶやきました。そして、笑いながら出て行きました。ある同修2人もついて行き、上司がこのように言ったのを聞いて、みな一緒に笑いました。
大法の中で培われた善良さと誠実さに、上司と同僚はみな私を信任しました。店は全部で二十数軒のチェーン店があり、若くて教養のある人が多いのですが、今の若者は実務的な人はあまり多くいません。さらにみなイライラしており、少額の利益に対して貪欲で、私の職場にいるのは年齢層が高いのですが、上司は私を信任しています。私はレジから始め、次に現金出納帳と請求書を引き継ぎ、さらに会社の従業員の手数料さえも引き継ぎました。その時は多くの現金の帳簿がなく、預金、預り金、会社の従業員の表彰金と罰金、多くの請求書のお金は、みな私一人の手を通り、私はまじめにすべてのお金をしっかりと記憶し、個別にしっかりと保管しました。
ある時、原因がわからない数百元が見つからず、利益心に駆られ邪見が生まれ、古い帳簿から少し補充したいと思いました。どちらにしても誰にもわからないことだからです。その念が起こると、私は自分の私心を恥ずかしく思い、自分は大法を修煉しているので、どうしてそのような良心にもとることができるでしょうか。またさらに上司はこんなにも私を信任しているのです。この時から、この悪い念を払いのけることにしました。それは自分の過失であり、自分が弁償しても、自分が損をしても、古い帳簿から補充するようなことはできません。そして自分のお金を出して埋め合わせると、かえって心は特別にすっきりと感じました。現代のこの物欲の強い社会で利益に直面しても、私が穏やかに優雅に生きることができるのは、大法のおかげでした。
ある時、私たちの町の610弁公室のメンバーが、私に会いたいと電話してきました。「2人だけで少しだけ話すことができれば帰っていただいていいです」と言いました。私は610弁公室のメンバーに会ってみることに決め、10分後に職場で会うことを約束しましたが、電話を置き、突然610弁公室のメンバーの話は信用できないと感じました。私は洗脳班と労働教養所に拘禁され、また610弁公室のメンバーたちの欺瞞の下、ペテンにひっかかってしまうかもしれないと思い、私は職場を離れようと決めました。職場の向かいのデパートでまず少し観察してから、610弁公室のメンバーの話が本当かどうかを見ることにしました。
やがて十数分後、1台のパトカーから4、5人が下りてきて、私たちの会社の入り口を探し始め、見つけると入って来ました。610弁公室のメンバーたちが再び嘘をついたのを見て、610弁公室のメンバーたちと会わないことにしました。メンバーたちは私に電話をかけ始めました。私は彼らに、「私はあなたたちが来るのを待ちましたが、あなたたちの話と違うのを見ました。なぜならあなたたちは何度も約束を破り、噓をついてきたので、私はあなたたちには会いません」と伝えました。
610のメンバーたちは、いろいろな店を探し回りました。ある店の店長はちょうど私と良い関係を築いていた同僚であり、その店長は特に理性的で頭の良い人で、610のメンバーたちを見て何かあったのだと知り、メンバーたちに知らせず、さらに他の店に電話をかけて、もし誰かが私を探しに来たらその人に何も話してはいけない、と通知しました。同僚が協力しないので610のメンバーは、途方に暮れたかのように帰っていきました。大法弟子が迫害に遭った時の同僚たちの正しい行動により、同僚たちも素晴らしい未来を築きました。
今日の社会では利益が一番大事であり、企業は競争するために、むしろあまりよくないやり方も採用してきており、しばらく私も困惑していました。さらに母親の体も私の世話が必要になり、私は辞職を決めました。社長や同僚もみな極力引き留めようとし、普段私とそこまで親しくない同僚までも、意外にも社長の妻に会い、何が何でも私を引き留めようとしました。その同僚と社長の妻は、私に関わる生活の中のいくつかの些細なことも話し合いました。私はあまり覚えていませんが、それはその同僚にとってとても重要なことでした。
その同僚は、ある時新聞配達の人が滑りやすい路面でオートバイで転び、それを見て私が躊躇なく助けに行ったと言い、また、ある弁当屋さんがしゃもじを忘れて、おかずが盛れず、取りに帰ったのでは間に合わないのでしゃもじを借りようとしましたが、店長は貸しませんでした。しかし、私が店長に頼んで弁当屋さんにしゃもじを貸したとも言いました。そして新聞配達の人も、弁当屋さんのことも知らないのに、私がいつも心から人々を助けていたとも話し、その同僚は話している途中、社長の妻の前で泣き出したそうです。
これは私が後で知ったことです。同僚たちの私に対する信任にとても感激しました。大法の中で培われた善により、私は知らないうちにすでに人の事を先に考える出発点に立っていたのです。私は人生で大法に出会えたことに、この上ない幸福を感じました。
私にも行ないが不足のところがありますが、法に則って必ずさらに、自分自身を向上させなければならないことを知っています。それらは、私が接触するすべての人と出来事に対して、よいことであることだと分かっています。私と接触する人々が善悪を区別し、大法に対する正しい認識を持てるように希望します。