煉功を強化し、遺伝性糖尿病から迅速に回復
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文/アメリカの大法弟子 

 【明慧日本2020年11月24日】私は今年53歳です。幸運にも1996年に法輪大法を得て、2010年8月に渡米しました。二十数年修煉してきて、師父が法を正すことを手伝い、衆生済度の中で、自分の誓約を果たしています。大法を得た初期、風邪で熱の症状があった記憶がありますが、その後は、ずっと健康状態は良好でした。

 しかし、2020年になって、突然やってきた病業の迫害で肉身を奪われそうになりました。

 2019年12月中旬、私はテキサス州・ダラスに行き、神韻の宣伝を手伝い、主な仕事は会社に神韻の資料を送ることでした。その1週間後、臀部に大きな血まめが出てきました。その次の週、足の付け根のところにもう一つの大きな血まめが出てきました。しかし、私は神韻の宣伝の仕事を辞めず、続けました。

 3週間後、ダラスの仕事を終え、神韻の宣伝のため、協調人にテキサス州のオースティンに行くように言われて行きました。オースティンに着くと、その二つの血まめから、血が外へにじみ出ているので、ズボンに浸透しないように1時間ごとに紙を交換しなければならなかったのです。夜になると、血が多く出るので、寝るときに数枚の紙を重ねることにしました。オースティンでの3週間、毎日このように繰り返しました。

 その後、神韻の宣伝で協調人は同修3人と私をオクラホマ、マッカレン、サンアントニオに行かせました。仕事を終えた後、ヒューストンに戻され、2週間休ませてくれました。大量に流血した私は、同修に黒砂糖と牛乳を多く摂るように勧められました。あれから、私はご飯と同じように、よく黒砂糖を摂り、牛乳を飲みました。

 2月末、私は市民権の試験を受ける準備のためニューヨークに帰りました。しかし、その時の私は全身に力が入らず、ご飯を食べられなくなりました。

 その4日後、私は突然、意識を失い、倒れてしまいました。妻と同修が救急車を呼んできて、私を病院に搬送しました。私は病院のICUで救急手当を受け、4日後にやっと目が覚めましたが「糖尿病」と診断されました。1週間後、普通の病室に移され、髪の毛と髭がみな白くなって、極度に痩せている自分の姿を鏡で見て「これは私?」と自分でも驚いたのです。2週間後に退院できました。「絶対インスリンの注射と薬を飲むのを忘れないで」と医者に言われました。

 帰宅して、私は薬を飲まず、インスリンの注射もしませんでした。2日後、私は入院する前と同じように、全身に力が入らず、常に水を飲みたくなる症状が現れ、少量のお粥しか食べられず、肉や卵、魚、米飯、中国の蒸しパンなど、全然食べられませんでした。例え爪の大きさの蒸しパンを口に入れても、もぐもぐするだけで、なかなか飲み込めなかったのです。しかも、味覚も失ったことに気づきました。発正念のときにも手を立てられませんでした。それに、立つことができないため、煉功もできなかったのです。2時間でお腹が空いたように感じて耐えられないので、食べようとすると、食べ物は喉を通らなかったのです。私のことで、妻同修は非常に疲れてしまったのです。

 その2週間後、私は再度、昏迷状態になり、妻が同修に頼んで、救急車を呼びました。病院で救急手当を受け、2日後に目が覚めしました。私は退院を強く求めました。1週間後の退院のとき、医者はまた「家に帰ったら、絶対インスリンを注射してください」と言いました。帰宅して、私はインスリンの注射をしなかったのです。前の退院のときと比べると、体の状態が少し良くなったと感じました。それは師父が私のために多く受け持ってくださったとわかっています。少しの力が出たため、私は断続的に煉功し始めました。しかし、あまりにも体が虚弱し、業力が山のように体に押し付けられたと感じ、煉功を続けられませんでした。私は意志の強い方だと思っていましたが、結局耐え切れなかったのです。それから毎日、ベッドで横になって動けませんでした。妻と大家である同修がいろいろな工夫をして、私に少しでも多くの食べ物を食べさせようとしました。私はたまにベッドから降りて歩いてみましたが、綿の上を歩いているように感じました。用事で私を連れて出かけなければならないとき、妻はいつも、敷物を持って行ったのです。少し歩くとすぐに疲れを感じた私は、妻が地面に敷いてくれた敷物の上に横になったのです。

 やがて、私の視力は低下し、顔をパソコンの画面にくっつけても、字が良く見えなくなりました。しかし、私はその仮相に騙されず、自分に「私は病気ではない。すぐに治る」と、絶えず言い聞かせました。私の足も酷く腫れ、皮膚が少しでも傷つくと液体が出てきたのです。そのような状態に対しても、私は自分に「これは業力だ。病気ではない」と言い聞かせ続けました。

 視力の問題で大法の本を読めなくなったので、師父の説法の録音を聞くことにしました。時々、妻は大法の本を読み聞かせてくれました。魔難の中で、私は自分の内に向けて「どこに漏れがあって、邪悪に隙に乗じられたのか」と探し続けました。そして、闘争心、顕示心などなど、探し出し、これらの執着心を取り除く努力をしました。しかし、体の状態にあまり変化はありませんでした。

 7月末、私は3回目の意識を失いました。妻が再々、同修に頼んで、救急車を呼んで病院に搬送されました。目が覚め、医者は通訳を通して「あなたはもう昏迷状態になってはいけない。死ぬかもしれない! とても危険な状態だ」と言ってくれました。帰宅して、あまり体が弱っているため、私は暫く、医者の言う通りにインスリンを注射しました。そして、煉功できるぐらいの力が出てきました。しかし「ある部分の経絡が業力によって塞がれたのだ。業力のせいだ。病気ではない。煉功を通じてきっと経絡を貫通できる」と明確にわかっていました。

 それから私は、毎日「これは病気ではない、業力によるものだ。三度も気を失ったので、死を恐れない。煉功の目的は大法を実証するためである」と、心に留めていました。そして、煉功の初日、体が弱っているので、第一式の功法を煉って休憩し、また第二式の功法を煉って休憩し、このように断続的に五式の功法(2時間)を煉りました。翌日、気分がよくなり、朝早くから功法を煉り始め、また断続的に一から五式の功法を煉りました。午後になって、もう1回、断続的に一から五式の功法を煉りました。3日目、体の状態がだいぶん良くなってきました。早起きして、朝早く煉功し始め、一気に五式の功法を煉りました。暫く休んだり寝たりした後、また功法を煉りました。その日、私は一から五式の功法を3回煉りました。3回煉功した後、血糖値を測ってみたところ、正常値より少し低いことがわかりました。

 5カ月間の魔難を経て、やっと煉功することができて、心から嬉しく思い、煉功が好きになりました。煉功できて4日目から、私は第二式の功法を1時間煉ることにし、毎日、3回煉功(1回に2時間半)することにしました。以前、元気だったときは、煉功をあまり重視せず、特に第二式の功法を煉るとき、30分でもきついと感じていました。しかし、病魔の妨害を取り除くため、煉功を強化しなければならないとわかり、煉功すればするほど、やる気が出ました。1週間後、血糖値が正常に戻り、皮膚も褐色から白くて赤みがさし、カサカサな肌からすべすべで、きめ細かくなりました。

 1週間前、痩せこけた私は、以前の状態にまで回復するには、多分数年はかかるだろうと思いました。しかし、予想外にも私の太もも、腕は空気を注がれたかのようにほぼ以前の状態まで回復できました。このすべては退院して1週間以内に発生したことで、毎日みるみると変化していました。自分も驚きながら「本当に不思議だ、大法は本当に素晴らしい!」と、感嘆するばかりでした。その3日後、私は妻と一緒に、建設現場に仕事に行きました。仕事で時間が少なくなったので、私は功法を1日に2回煉ることにしました。朝1回と午後1回にしました。3週間後、第二式の功法を1時間半にしました。その2日後、第二式の功法を2時間煉ることにしました。しかし毎日、学法と他のことをやらなければならないので、第二式功法を2時間にして、一から五式の功法を1日に1回煉ることにしました。ちょうどそのとき、息子が引っ越しをするので、手伝いに行きましたが、20代の息子は50代の私の体力には及びません。しかも、私の視力も完全に正常に戻りました。

 1カ月後、私は中国にいる親戚とビデオ通話をしました。親戚たちが私の完治した姿を見て、感激して泣き出しました。1カ月前、親戚たちは極度に痩せている私を見て、悲しくて泣きましたが、今は喜びの涙です。2番目の姉は「母さんと叔父2人、叔母の4人は糖尿病だった。父さんの叔母も糖尿病だった。母さんと父さんの叔母は2人とも糖尿病で亡くなった」と話しました。「え、母さんは脳腫瘍で亡くなったのでは?」と私が聞くと、姉は「いいえ、母さんは糖尿病で亡くなったの。医者の叔父は遺伝性糖尿病は完治できないと言ったわ。叔父自身も糖尿病で、ずっとインスリンを注射して維持しているの。だからこの前、一番上の姉はあなたはもう治らないと言ったの」と話しました。しかし、私は完治できました! 私は親戚たちに「あなたたちは大法が超常的だと思わない? もう納得した?」と聞くと「納得した、納得した」と返答しました。

 医者は私の糖尿病が遺伝のもので、医学的にいうと完治する可能性はないと断定しました。しかし、私は短い間に回復でき、法輪大法の素晴らしさを証明しました。実質的に言うと、師父が固く修煉していくという心を持っている私を見て、私のために受け持ってくださったということです。そうでなければ、私はすでに死んでいたと思います。師父が毎回、大きな業力を取り除いてくださったとき、私は感じ取っていました。特に3回目、病院から帰宅して、師父がほとんど、私の業力を取ってくださったと感じました。それで残りの業力が少なかったので、私は乗り越えることができました。師父の佛恩に感謝いたします!

 今回の魔難で、絶えず自分の内に向かって探し、執着心を取り除き、自分を正しました。魔難の中で、師父を信じるかどうか、大法を信じるかどうかと、ずっと試されていました。以前、私は煉功をあまり多くやらなかったのですが、今は、煉功の重要性を認識できました。ですから、病業の中の同修に「絶対多く煉功して本体を変えてください。どんなに大変でも師父と大法を信じ切ってください」と言いたいのです。

 以上、私は今回の魔難を経て、浅い認識をしたものですが、不適切なところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/13/415003.html)
 
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