文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年11月29日】21年間の大法修煉の間、私には恨みの心があり、また「慈悲の心」 [1] 「穏やかな心理状態」 [1]を保つことが出来ていないことに気づきました。この恨みの心を取り除くことに注意を払っていくと、実際に自分自身に変化が見られました。例えば、自分の言葉の調子が低くなり、自分の考えを穏やかな声で表現できるようになったなど、だんだん恨みの心が少なくなったと感じていました。
意外なことに、最近、この心に触れるような状況に遭遇したとき、この心は別の形で現れていました。それは夫婦の間のトラブルです。夫と喧嘩はしていないのですが、心の中では夫の良くないところを考えています。修煉前「子供が大きくなったら、この人と離婚しよう」と考えていたのです。ですから、子供が大人になった今、私はこの人と別れることができます。
家庭を持ってから初めて夫とのトラブルがあった時、私は「この人とは一緒には暮らすことができない、同じ志を持っていないため、離婚しなければならない」と思っていました。この思いは長年、私の心の中に植え付けられていました。人々に法輪功迫害の実態を伝えるとき、私は「もし私が大法を修煉していなかったら、とっくに離婚していました」とよく話しています。また子供たちには「今の幸せな家庭を与えてくださったのは大法です」と、理解させています。夫も私の言い方を認めてくれたので、長年、中国共産党(以下、中共)の迫害の中で、夫は中共の迫害に自主的に抵抗し、何度も大法関連のものを守ってくれて、夫は健康で、経済的にも、ますます良い状況になって福の報いを受けることができました。
大法に基づいて修煉することによって、私は夫との葛藤に向き合うことができるようになると、だんだんと、恨みが少なくなったかのように、平然として我慢できるようになりました。ある同修が生死の関を乗り越えている最中に、同修の夫は同修に対して至れり尽くせりでした。私はそれを見て「模範的な夫だ」と褒め称えることで、無意識のうちに自分の恨みの心を刺激していました。あるとき、自分の気に触るようなことがあって、私は夫に「合意で離婚しよう、私は何も望んでいないので、慰謝料としてすべての財産はあなたにあげます」と言いました。そのような言葉が私の口から出てきました。
夫は「あなたはこの家庭で修煉しなければならない人です、あなた1人では修煉はできないのです。考えてみてください、今あなたは真・善・忍に沿った行動をしていますか? あなたがどこへ行っても、私はついて行きます。私がいなければ家族とは言えない、私にはこの家族が必要です。どうやって離婚することができますか?」と私に言いました。夫の言葉に言葉を失った私は、師父が夫の口を借りて私を導いてくださっていることは分かっていました。彼は私に何も頼んでいないし、無理強いもしていませんでしたが、その時考えていたことを口に出して本音を告白するのは、彼にとっては辛かったのです。それでも、私は人心で夫のことを考えていました。「あなたの目の前に離婚届を出したから、仕方がなくそう言ったのでしょう」
夫の本音に耳を傾け、頭の中で師父の説法を思い出してみましたが、しかし、離婚したいという思いがどうしても排除できなかったのです。しかも、その思いを必死に掴んで、手放せないでいることに気づきました。私はこの思考がどこから来て、どのように私を支配しているのかを冷静に考えていました。探してみたところ「求める心」から来ていることがわかりました。[1]
結婚してから、夫は責任感がなく、私を優しく扱うこともできず、私の機嫌をとることもできず、女性にとっては安心できる存在ではないと思っています。なぜかというと、家庭内の大きなことも小さなこともすべて私1人でやっていました、夫は手伝いをしてくれても、逆効果で、子育ても同様です。子供の大学受験前の保護者会にしぶしぶ参加してくれたのは、本当は私に時間がなかった時だけでした。私の心の中では、彼は私の重荷です。「子供がまだ未成年だから、子供には両親がいる家庭が必要だから、この無意味な生活を我慢するしかない」と考えていました。この怨恨が、私の頭から足のつま先まで、内臓から皮膚まで行き渡っていたため、私は病気になってしまいました。
その後、大法を修煉するようになってから、私は一新して心身ともに健康になりました。21年間、体の異常で倒れたことはありませんでした。しかし、この恨みの心は修煉とともに奥深く潜んだままで、私は一度も見つけ出したことがなく、この恨みの心は時々飛び出して、夫と対立させるようになり、20年以上修煉してきた私は、実際には、それまで口にしていただけの離婚届を出してしまうほどになりました。
邪悪の要素も、機会を利用しこの心を膨らませました。その日の夜、同修と会って別の話をしているとき、同修の借りた部屋は今誰も住んでいないことを知り、まるで私のために特別に用意されたかのようで、私は家を出たいという気持ちが強くなりました。
その時、私の頭の中では真我と偽りの私が競い合っていて、真我はこれが法に反した執着心だと知っていたのに、偽りの私はどうしてもこの家から出たいのです。すると、私は夫に「半年間、別居しよう」とまで言っていました。もちろん、最終的には自分を支配し、主張しなくなったのは真我でした。内に向かって探してみたら、やはり、彼に愛されたいと願う心が、今回の自業自得のトラブルの原因だとわかりました。
師父は「恨みの心ですが、つまり褒められたい心、良いことがあれば嬉しいという心が養われたのです。さもなければ、恨んでしまいます」 [2]と説かれました。
私は心の中で師父に、この求める心を取り除いてくださるようにお願いしました。しばらくすると、本当に落ち着き、何も考えなくなり、恨みの心が消えてしまいました。
慈悲なる師父はこの心を取り除くことを手伝ってくださいました。夫に何を求めているのかを考えなくなり、早く大法の修煉に入ってほしいという念だけです。その後、夫は本当に別人のように私を気遣ってくれるようになりました。これは求めずとも自ら得るということでしょう。
この恨みの心を取り除く過程を書き出したのは、自分をさらけ出し、同修たちと交流したいと思ったからです。この恨みの心の裏には気づきにくい様々な人心があるかもしれないのです。根源から恨む心を取り除くことで、慈悲の心で修め遂げることができると思います。
個人的な体験です、法に基づいていないところがあれば、同修のご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の経文:『二〇一八年ワシントンDCでの説法』