文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年12月4日】私は、今年68歳になりました。父は身体障碍者で、家は貧しく、兄妹が多く、学校に通ったことはありません。11歳から山で力仕事をしました。一日中辛くて、自分はまるで荒野に生えている一本の野草のようで、結婚するまで耐えぬきました。しかし、29歳の年に尿毒症を患い、全身に水腫の状態が顕れ両足が黒く変色し、立つことも、歩くことも出来なくなりました。その当時、夫と、生まれて6カ月の子供の3人で東北で暮らしていました、まるで天が崩れ落ちてきそうで、生きていけない気がしました。医療費がかかるため、家の貯蓄は底を着き、食料も買えないため、止むを得ず借金をしてその日を送りました。
私の病状は日に日に悪化していきました。望みを失った家族は、担架で半死の身体で横たわる私を担ぎ、実家へ送ることにしました。実家に戻った私を助けるために家族は、親戚や友人にお金と食料までも借り尽くし、絶望の 崖っぷちをさまよいながら、ぎりぎり生きていました。
学法して10日後に奇跡が起きた
1997年の1月1日に隣近所を通じて、私は大法の修煉に加わりました。その時から、私の運命に大きな転機が訪れました。不思議なことに修煉して僅か10日後、私の身体に奇跡が起きました。身体の全ての病状が消え、身体に力が付きました。数十年来、はじめて身体が軽やかになり、無病状態を感じることが出来ました。
それ以来、私は病院に通うことがなくなり、病の苦痛を味わうことも無くなりました。二十数年修煉して、注射も薬も要らず、身体はまるで若者のように、いくら働いても力が湧いてきました。間もなく70歳になりますが、夫と広さ1ヘクタールほどの果樹園を管理しています。私は心の底から師父に感謝し、大法に感謝しています。私の実体験から大法は非常に不思議であり、超常であることを実証できたのです。
さらにもっと不思議に思ったことがあります。修煉してから、師父は私の知恵を開いてくださいました。一字も読めない私に、大法の本を通読することが出来るようにしてくださいました。初めは、同修と法を読むとき、私は少し遅れて同修の後について読んでいましたが、直ぐに皆のスピードについていけるようになりました。今では、50数冊の大法の本を全て通読することが出来ます。これは正に奇跡です。大法の超常な威力が、私の身に起きたのです。
大法の超常 危険から好転するまで
修煉を始めて間もなく、夫と一緒に仕事をすることが出来るようになりました。ある日、夫が運転する車の荷台に乗り、市場へ向かいました。途中、車が曲がる時にスピードの出しすぎで、私は荷台から振り落とされ、地面に叩きつけられて気を失いました。夫は気付かずに、車を運転したまま行ってしまいました。通りすがりの人が夫を追いかけ、私が荷台から落ちたことを知らせました。夫が引き返して来ましたが、私はまだ気を失ったままでした。その場にいた人たちは私たちを囲み、「奥さんを早く病院へ連れて行くように」と催促しました。夫も大法の修煉者なので、私のことは無事だと確信して、私を連れて家に戻りました。4、5時間後に私は目が覚めました。大法のご加護があるからきっと無事だと思いました。師父は「物事の善し悪しは人間の一念によるものである」[1]と説いておられます。結局、何事もなく、頭に大きなこぶが出来ただけで、痛みもありませんでした。数日後には完全に回復しました。
また、果樹から3回も落ちたことがあります。一番酷かったのは、梯子から落ちて、意識を失いました。頭の傷口から血がぶくぶくと湧いてきていました。目を覚ますと、きっと無事だという一念しか持ちませんでした。義理の妹が私の様子を見て、直ぐに私を病院へ連れて行こうとしました。「何回も落ちたが、無事だったから安心して、私は直ぐ治るよ」と彼女を慰めました。学法と煉功を通じて、7日間で怪我は治癒しました。私の身に起きたことから、親戚や友人は、皆大法の不思議を身をもって知りました。
ここ数年、関と難に遭遇するたびに、私は大法に対する揺るぎない信念を以って乗り越えてきました。修煉者は正念を以って正しく行なえば、大法の不思議と超常が顕れて来るのです。
大法と師父のご恩に対する感謝の気持ちは言葉で表せません。私はただひたすら精進して実修し、師父が要求された三つのことをしっかり行い、自分を良く修めて、多くの衆生を救うことです。師父に合格の答案を呈し、師父のご恩に報いることが出来るように尽力するしかありません。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』