明慧法会|拷問を受ける時も、善の念を保つ
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​文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年12月7日】

​ 尊敬する師父、こんにちは。

 ​同修の皆さん、こんにちは。

 ​第17回明慧ネット法会に参加できて嬉しく思います。​今年のウイルス流行期に私は連行されました。監禁されている間に観念を変え、善意と心性を守って、77日間で留置場から釈放された過程を同修の皆さんと交流したいと思います。

 連行される

 ​2020年の正月から新型コロナウイルスが猛威を振るい、武漢から次第に全国各地もロックダウンし、皆は家から出られなくなり、今までのやり方で真相を伝えることがほぼできない状態でした。それにしても、真相資料や小冊子などを多く作ってポスティングすれば、同じく真相を伝えられるのではないかと思いました。地元の同修の手元に紙などの材料はあまり残っていないため、ある日、私と2人の同修は材料を補充するために市内に向かいました。

 当時はどこに行っても緊張した空気に囲まれていました。高速道路を使用する時は、身分証の確認が必要になります。​私は何回も不法に拘留されたことがあるため、警察に前科記録が残っているので、身分証を渡すと、すぐ法輪功学習者(以下、学習者)だと知られてしまいます。実はその日、私はあまり材料を買いに行きたくありませんでしたが、材料がなければ資料を作れないので、無理に行くことにしたのです。​今振り返って思うと、当時は旧正月を迎える時期で家事や雑用が多く、修煉状態があまり良くないので、無理に市内に行くべきではありませんでした。行くこと自体は少し冷静さに欠けた判断でした。

 私は2人の同修と車を運転して高速道路に乗りました。​高速を降りる時、出口に複数の警官が立って、身分証のチェックを行っており、​私の身分証をチェックする時、警察官は私たちを指差して「この3人は法輪功の人だ!」と言いました。彼らは私たちの車を検査して、トランクから2冊の『中国共産党についての九つの論評』を見つけ、それを理由に私たち3人を不法に拘留しました。

 もうすぐ迫害に遭うという恐怖感に心を掴まれて、師父に救いを頼むことも、警官らに真相を伝えることも忘れていました。また、自分の冷静でない判断や無理な行動で2人の同修を道連れにしてしまったことを、とても後悔しました。最初からこうすれば良かった、ああすれば良かったと思って、正念が足りず警官らの邪悪さを圧制することも当然できませんでした。

​ やっと、師父のことを思い出して、心の中で「師父、どうしたらいいですか」と思いました。ただそう思っただけでまるで師父が私のそばにいらっしゃるような気がして、すぐ頭の中に「生死を放下できれば、あなたは神ですが、それができなければ、あなたは人間にほかなりません」[1]という言葉が浮かんできました。少し頭がすっきりして、私は大法弟子なので、衆生を救い済度する使命を背負っており、ここに閉じこめられるわけにはいかないと考えました。また師父の言葉、「いかなる妨害に遭っても、具体的な出来事に深入りせず、自らを妨害することのないようにしてはじめて、妨害を振り切ることができ、しかも威徳はさらに大きくなるのです」「2」を思い出し、これ以上後悔に陥ってはならない、邪悪な留置場の中で正念をもって正しく行わなければならないと思い、すっかり冷静になりました。

 「私は正法時期の大法弟子なので、迫害されるために世に来たのではなく、衆生を救い済度するためにこの世に来たのだ。ふだん留置場で真相を伝える機会はないが、今日から、ここの職員の背後にある邪悪な要素を除去して彼らを救うのだ」と考え方を変えました。その時点から、本当に警官らを救うために、法理を踏まえて物事を考えるようになりました。​警官に尋問される時も、法理に符合することしか答えないように気を付けました。​77日間の監禁の中、私はずっと昼間に発正念をして、夜は『轉法輪』の暗唱をしました。

​ 邪悪に妥協しない

 ​最初は、身上調査の記入を言われて、私は断りました。彼らは何年煉功したか、あとの2人の同修とはどんな関係なのかを聞き、​私は「私がやったのは合理的で合法的なことです。あなた達に教えないのは、本当にあなた達のためで、あなた達に悪いことをさせないためです」と答えました。​77日間の中で取り調べは2回あり、2回とも「何のために外出したのか」と聞かれて、​私は歯を食いしばって資料用の材料を買うために外出したことは話しませんでした。2回目の時、「私には罪がないので、家に帰らせてください」と言ったことを、彼らは忠実に記録しました。

 時々、彼らが来て、「他の2人は全部喋った、お前も白状しろ! 口を割らないと、最後にお前だけを刑務所に入れる」と言い、〇〇は何を白状した、〇〇は何を言ったと、まるで同修の2人が本当に私を裏切ったかのようでした。威圧、虚言、誘惑、騙し、様々な方法を使っても私はただ心が動じないようにしました。​他の2人は恐れる心により何か吐いたかもしれないと思うと、恨む心が生じないように私は自分に言い聞かせました。

 師父は「大法に対する態度が良くない人、大法弟子に対して凶悪な態度を取った人、こういう人は実に気の毒です。中共がでっち上げた虚言に毒害されたので、このように行ったのです。もちろん、金銭欲に駆り立てられた人もいます。いずれにせよ、私たちが救える人なら、こういう人も含めて、全て救うべきです。その人が今、凶悪そうに見えても、当初は神聖なる天上の神で、この世に来て人間になり、この法を得るために来たのだ、ということがあなたには分からないのです」[3]と説かれました。

 私が何も言わず協力しないので、彼らは本当に力を入れて私を殴り、私の左耳の聴力も失うほどでした。どんなに殴られても私は怒らない、恨まない、協力しないという原則を徹底しました。

 ​師父は「皆さんに教えますが、全世界の全ての人々はかつて私の親族でした。(拍手) それらの最も悪い人も含めます。でなければ、彼らはこの時に人間になる機会もありません」[4]と説かれました。​警官らもかつて師父の親族だったので、今、迷いの中で旧勢力に騙されて悪事を働いています。なんと可哀想な人たちでしょう。どんなに聞かれても、どんなに殴られても自供しない、警官らに悪事を働く機会を与えないと私は心に決めました。

 ​どんな時も善の念を保つ

​ 法輪大法に対する信仰を放棄させるため、留置場は市外から、かつて法輪功を修煉していたが、迫害が発生した後に邪に悟った3人(男性1人、女性2人)を呼んできました。警官も彼ら3人の指示に従いました。3人は事実を捻じ曲げて法輪大法を誹謗中傷しました。また、彼らが今信仰しているある宗教を私に勧めました。

 数日経って、彼らの「理論」はまったく私に効果がないのを見て、手段を暴力に切り替え、私を終日鉄製の椅子に縛り、手錠と足枷を使いました。一番長い時は連続8日間、200時間近く鉄の椅子から一刻も解放しませんでした。​お尻もぼろぼろになってしまい、鉄の椅子に座るととても痛かったのです。最後に両足は足枷にも入らないほどパンパンに浮腫んで、ようやく解放されました。

 発正念をする時に、とても良い状態にあって入定できれば、本当に師父がそばにおられるように感じ、自分は最も幸運な人だという気持ちになり、自然に笑みが浮かんできました。​どんなに残虐なことをされても、私は全然動じることなく、ただ内に向かって探しました。彼らが師父と大法を敬わず、罵るのを見て、自分も家で学法する時に急な用事があると『轉法輪』の本をぞんざいに扱ったことがあり、自分にも師父と大法を敬わない行為があることを思い出して反省しました。​彼らの横暴な態度を見て、自分にも同修に強い態度を取る時、同修からの指摘を受け入れない時があると反省しました。

 なかなか私を「転向」させられず、私の口をこじ開け欲しい情報も聞き出せないため、彼らはさらに残虐な拷問を始めました。私の両足首をロープできつく縛り、足元の辺りに「転向」させるための本を数冊、師父の写真3枚を置きます。​膝の後ろに2冊の本を挟んで、手錠で両腕を鉄椅子に固定しました。そして、私はしゃがむ体勢を長時間保つように強いられ、同時に顔を上げなければなりませんでした。顔を上げないと、彼らは本で私の顔を叩きます。体の痛みで窒息しそうになりました。​この拷問はあまりにも残酷で、痛くて死にそうでした。​時間は1分1秒と過ぎていき、「転向」しないと2時間もこの体勢のままの状態が続きました。

 師父の写真を見て、「死んでも私は転向しない」と決心しました。一緒に連行された同修の中の1人は、この拷問に耐えられず「転向」に同意したそうです。昼食の時間になると、彼らは「この姿勢を保って動いたら駄目だ」と言い残して食堂に行きました。私は、その後倒れました。私を監視するために残った人は仕方なく手錠と足首を縛った縄を外してくれました。​私は地面に置いているマットレスに這っていき、上半身がマットレスに上がった瞬間に寝てしまい、下半身はまだ床についたままでした。​夜になってようやく目が覚めました。

 ​翌朝、眩しい日光に照らされて目を覚ましました。突然、天目に透明なピンク色をした巨大な蓮の花が見えました。大きい葉の長さは2メートルほどあり、鮮やかで​美しく、​私はとても喜びました。これは師父からの励ましだと分かっていました。

 昼間はずっと発正念をして、警官と邪に悟った3人の背後の邪悪を除去しました。どんなに私を拷問しても、私は彼らを親族として思い、救わないといけない相手だと思い、他の考えは一つもありませんでした。彼らのしたことは、すべて背後の邪悪に惑わされてやったのです。

 天目の中で、警官らが制服を脱いできれいな白いシャツを着て、「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいました。筆で書かれた大きな 「縁」 の文字が目の前に浮かび、衆生が救われて法輪大法に感謝する場面も見ました。

 「悪いことを良いことに変える」という法理を悟りました。修煉者として​は物事を考える出発点が大事です。人の観念に立って物事を考えるか、それとも正念を踏まえて考えるかで、結果も大きく違います。人の観念で考えると、私は何年かの実刑を受ける結末になると思い、正念で考えると、大法弟子は師父に守られているのできっと大丈夫だと気持ちが明るくなります。断食で抗議して、私の体調が急激に悪化して釈放されました。

 感謝

 ​​師父に感謝するほか、地元の同修たちにも感謝しています。私は何回も連行されたので、同修たちに多大な迷惑をかけました。​特に今回は、私を探すために50キロも離れた留置場まで何回も足を運んで、​公安局や検察庁に私の釈放を求め、​関係部門に私の無実を訴える手紙を送り、隣接の県の同修に応援を求め、留置場の近くに来て近距離で私のために発正念をしてくれたり、また留置場の外で発正念をして、座るところもなく、​ウイルス流行のため水も食べ物も買えない寒い日に、飢えに耐えて発正念を続けてくれました。今回、私が77日間で出所できたのは、同修たちのおかげです。

 注:
 ​[1] 李洪志師父の経文:『オーストラリア法会での説法』
 ​[2] 李洪志師父の経文:『波紋を呼んだ副元神に関する文章について』
 ​[3] 李洪志師父の経文:『2015年ニューヨーク法会での説法』
 ​[4] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/22/415004.html)
 
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