文/黒竜江省の大法弟子
【明慧日本2020年12月13日】師父は「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」 [1] と説かれました。最近、私の妻が亡くなった時の出来事から、私にはまだ取り除いていない人心がたくさんあることに気がつきました。
妻が亡くなった時、地元の親族にしか死亡通知を出していませんでした。私の妹は外地にいるため、本人と連絡が取れなかったのですが、息子には知らせていました。しばらく経ってから、妹から息子に電話があり、うちに遊びに来ると言っていました。 息子は妹に「皆さんに、母の死を知らされました」と言いました。妹は知らないと言いました。その後、妹とは音沙汰なしになってしまいました。
息子と私は同居しておらず、二人とも私に知られないように電話で話していました。
その後、私は「昔、妹が経済的に余裕がなかった頃、何度もお金を送って助けてあげたのに、妻が亡くなってから連絡もしてくれないなんて、なんて良心がない人間なのか」と心の中で憤慨を感じていました。
法を学んでいる中で、自分の考え方が間違っていることがわかりました。 この件ですが、自分を修煉者の基準にしていなかったので、常人の理ではどう考えてもわからないのです。そこで、法の基準に沿って自分の執着心を深く掘り下げてみました。
一つは常人の情を取り除くべきなのです。私はあなたによくしているから、あなたも私によくして欲しいのです。これが人心であり、修煉者は何も求めてはならないはずです。二つ目は利益の心を取り除くべきだということです。私はあなたのために物を与えていましたが、あなたも何かを私に与えなければなりません。しかし、修煉者はお返しを求めてはいけません。三つ目は、嫉妬心です。心のバランスの崩れは嫉妬があるからであり、それを取り除かなければなりません。
自分の執着心を知った後は驚きました。25年も修煉してきたのに、いまだにたくさんの執着心を持っているなんて、とても恐ろしいことです!
修煉の時間はあまり残されておらず、自分を修め、他人を救い、しっかり最後の道を歩んでください。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』