急いで人々を救い 誓約を果たす
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2020年12月17日】私は田舎育ちです。身体が弱く、入退院を繰り返すことは私にとって日常茶飯事でした。私は内気で、人見知りの激しい性格でした。法輪大法の修煉を始めて間もなく、全ての病気が治り、人が変わったかのように、心身ともにエネルギーに満ちあふれています。同級生や同僚は私の変化を目にして、皆、大法は素晴らしいと思い、その内の2人が大法の修煉に入りました。

 2017年10月、私は県の中心部に転居し、身の周りの人たちにだけ、真相を伝えていました。絶えず法を学んでいくうちに、心性も向上し、こんなに素晴らしい大法をもっと多くの人々に正々堂々と伝えるべきだと悟りました。そこで、同修に助けられながら、私はついに家を出て、見知らぬ人々に真相を伝え始めました。毎日同修と協力して、日に数人から、時には十数人に達したこともありました。

 ある日、バスを待っている夫婦に真相を伝えました。奥さんは「あなたは本当に素晴らしいです。あなたの言われる通りにします」と言いました。「私が素晴らしいのではありません。私は大法を修めており、私たちの師父が無私無我で、他人に対してより良い人、さらにより良い人になるようにと教えて下さったのです」と私は答えました。この夫婦は喜んで三退しました。また自分の住所を教えてくれ、機会があればぜひ家へ寄るようにと念を押しました。私はこのことで、毎日出かけて縁のある人々に真相を伝える自信が強くなりました。

 またある日、同修と真相を伝えに出かけました。60代の男性が路肩の石段に坐って涼んでいました。私たちはその男性に声をかけ、真相を伝えようとしましたが、彼は「無神論」に毒害され、「反対もしないが、同意もしない」と言いました。別れる際に、私が「もし真相をお知りになりたければMP3を一台差し上げます」と告げると、男性はそれを受け入れ、翌日、約束通り彼に渡しました。

 半月後のある日、私たちは真相を伝えるために出かけ、信号待ちをしていた時、電動バイクに乗った人がいて、半月前に私たちがMP3をあげたあの男性だと気づき、彼に声をかけました。「あれを聞いてどうでしたか?」と尋ねると、彼は「いいです。とてもいいです」と会心の笑みを浮かべながら答えました。一人の無神論者が観念を改め、幸いにもこの生命は救われました!

 2020年の初め、中共ウイルス(新型コロナウイルス)が世界中に急速にまん延し、各地で都市封鎖が実施され、外出が制限されました。2月中旬、私の住宅地区も封鎖され、ゲートは24時間厳戒体制となり、出入りする際には許可証を提出しなければなりません。以前のように毎日出かけて活動することができなくなりました。私は途方にくれました。「常人のように家に閉じこもっているの? 人々は大法弟子の救い済度をどれほど必要としているのか? 今まで、自分の住宅地区で真相資料を配ったことがなく、恐れる心が遮っていたからだ。今の状況下で、どうすればいいのか? 身の周りの人々を救わないのか? 法を実証しないのか?」と自分自身に問いかけました。師父は「各地区の大法弟子は基本的にその地区の衆生が救われる希望であり、しかも唯一の希望です」[1]と説かれています。私たちは師が法を正すことを手伝いに来ました。自分の誓約を果たさなければなりません。この住宅地区の人々は私と最も縁があり、そして、さらにその人々を私は救わなければなりません。

 そこで、大法修煉者の姉に大法に関する資料を印刷してもらいました。私たち2人は自分の住宅地区で明慧の定期刊行の小冊子を2回配りました。資料を配る前、隣のビルの上の階の窓に、いつも中国共産党(以下、中共)の赤い旗がぶら下がっていたのですが、資料を配って3日目、赤い旗がなくなっているのを発見しました。資料の中に、ある風水師が中共の赤い旗について解説した記事が載っています。きっとそのお宅はその記事を読んだのだと思います。世間の人が真実を理解し、本当に嬉しいです! 

 自分の家の近くで真相を伝えるだけでは足りないと思い、歩いて別の住宅地区に出かけました。今まで賑わっていた街の中には人がちらほらしかいませんでした。街の封鎖がかなり厳しいようです。しかし、まだ周辺の住宅地区に入り込む隙を見つけることはできます。私は毎日、朝から晩まで、雨にも風にも負けず、資料を持って住宅地区に入り、それを家のドアに掛けました。人々がそれを読めば、災難に遭遇しても、どのようにすれば自分が助かるか分かるようになります。

 都市封鎖の最も厳しいころ、『明慧週刊』を同修の手元に届けることにしました。同修の住宅地区に忍び込んで届けると同時に、その地区の人々にも資料を届けようと思いました。しかし、現地に着いてみると、ゲートは厳重に封鎖され、その周辺にも入り込む隙がありませんでした。私は一周して、鉄の配管をよじ登って入れる所を見つけました。私は『明慧週刊』を抱えてよじ登り、同修の手元に届けることができ、また、資料をその地区の人々にも届けることができました。帰りも鉄の配管を伝って下り、出てきました。東北の3月はまだ寒さが厳しかったので、雪が降ったりやんだりしていした。地面に着いた時にズボンの膝が泥水で汚れたので、道端の雪で泥を落とし、歩いて家に帰りました。私はすでに60を過ぎていますが、法を正す時期の師父の大法弟子になることができ、これこそ最高の栄誉です!

 師父の慈悲なる救い済度に感謝し、これからも三つのことを しっかり行い、師父と共に家に帰りたいと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『2004年ニューヨーク国際法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/10/414865.html)
 
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