文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年12月23日】私は1997年に大法の修煉を始めました。その頃、私は疾病を患い、命が尽きるところまで歩んだと感じました。私を地獄から掬い上げ、私に健康な体を下さり、私の家族まで大法の恩恵を受けさせて下さったのは師父でした。師父のご恩に感謝を申し上げます!
今日、私は修煉の道を歩み始めてから、同修と大法の資料を配り、人々に真実を伝える中で、忘れられない一幕、一幕を交流したいと思います。
人を救う中で恐れる心を取り除く
大法が陥れられ、大法弟子が魔難に陥った当初、私は大法の資料を背負って、迫害の実態を伝える時、パトカーを見ると緊張していました。一周廻っても、資料を配ることが出来ず、また背負って家に戻ってしまいました。迫害の真相スティッカーを貼る時や、資料を配る時には常に心臓がバクバクして、自分の耳にまでその音が聞こえるほどでした。
迫害の実態を伝えることは大法弟子が行うべきことですから、自分のこの状態は良くないと悟りました。暫くの錬磨を経て、真相を伝える事を多くこなすにつれて、段々と恐れなくなりました。
ある日、大法の資料をビルの上の階から下の階へ向かって配りました。二階で配った時に、資料の入った袋を一軒の家のドアノブにかけるや否や、ドアが開きました、一人の男性が中から出てきて「何をしている? 法輪功の何かを配ったのか?」と大きな声で私に言いました。その場を去ることが間に合わなかったので、落ち着いて厳粛な態度で彼に「そのように言わないでください、法輪功は無実の罪を着せられて、迫害されているのです。法輪功は佛法を修める大法です、資料を配っているのは人々に真相を伝えているだけです」と男性に話しました。師父のご加持の下で何事もありませんでしたが、私は本当に怖く感じました。
一正が百邪を圧するです! その男性は黙りました。私は急いで階段を降りて、次の場所へ向かい資料を配り続けました。
見知らぬ女性に送り届けられる
時々、同修と町から離れた辺鄙な村に大法の資料を配りに行きます。ある日、同修とバス停を探していたら、警官に目をつけられて尾行されました。同修と大量の『共産党についての九つの論評』の小冊子を持っていたので、裏の路地に入りました。一軒の家を通り過ぎた時に、その家で飼育されたたくさんの鶏が飛び上がり、鳴きやみません。一羽が塀を飛び越えて、とても緊迫した状況でした。
その時、一人のおばあさんが私達の目の前に現れました。彼女は背中に大きな荷物を背負っていて、私達に「何処へ行くのか?」と聞きました。バス停を探してると答えました。すると彼女は自分に付いてきてほしいと言いました。私達は話しながら、直ぐに大通りに出ました。丁度その時、一台のバスが来て、しかも私達の乗るバスでした。同修とバスに乗り込みましたが、先程のおばあさんは乗りませんでした。彼女は私達に「私はあなた達を送り届けに来たのです」と言いました。しかし、そのおばさんは見知らぬ人でした。
老人は見えなくなるまで私達を見送る
ある日、同修Bと農村へ大法の良さを伝えに行きました。私達は自転車に乗り土手を走っていると、土手の下側にある一軒の家を見つけました。私達は、土手から降りてその家を尋ねました。家に一人の老人がいました。老人は私達の話に興味を示し、よく私達の話を聞いてから、中国共産党(以下、中共)から脱退しました。帰りに、老人は名残り惜しそうに「くれぐれも道中お気を付けて」とその言葉を繰り返しました。私達は土手の道に戻り先を急ぎました、老人はまだ家の前にいて、ずっと私達に手を振りながら私達が見えなくなるまで見送ってくれました。
またある日、同修Bと農村のある家で大法の良さのを伝えました。その家の前で、一人のおばあさんが洗濯をしていました。おばあさんに真相を伝えると、連れ合いが病気で寝たきりで、彼に真相を話してほしいと言いました。私は正念を発して、同修Bが先に家に入ると、老人は私達を見て直ぐに身体を起こし「ようこそ」と声をかけてくれました。彼は真剣に同修Bの真相を聞いて、中共から脱退しました。
老人はまるで同修Bとは昔からの知り合いのようで、彼女が真相を伝えに来るのを待っていたかのようでした。帰りに老人は「またいらして下さい」と言いました。
真相を伝える中で、危険な場面もありました。罵ってくる人、私達を追い払う人、警察に通報する人、様々な人がいました。派出所の警官に不当に連行されたことも数回ありました。ここ数年、自分はつまずきながら修煉してきました。師父のご加護のお陰で今日まで来ることが出来ました。
同修と互に励ましあう
二十数年間、修煉してきました。法を学び、法を暗記し、正念を発し、大法の資料を配り、迫害の実態を伝えて、三退を勧め、真相が書かれている紙幣を使用する等、三つのことをこなして、自分の修煉状態は悪くないと思いました。しかし、いったん身体に病業状態が顕れると、ようやく内に向けて真剣に探します。自分はまだよく修煉ができておらず、心性を重んじて修めることが出来ていないことに気付きました。トラブルが起きた時に、いつも無実の自分が同修から不当な扱いを受けていると考え、心が傷つき、無念な気持ちで一杯でした。しかし、自分が同修と言い争いをしなかったことは、忍の境地に至っていることであり、度量のある顕われだと考えていました。
師父は仰いました「これに対して、われわれはねらいを定めて、本当にその心を指摘し、その心を取り除くわけですから、修煉がきわめて速いのです」[1]自分は悟らず、内に向けて修めておらず、トラブルに遭遇した時に、そのトラブルは自分の心性を高めるためのものだとしか考えていません、なぜ自分にはこのようなトラブルが起きるのか、私はどの人心を取り除かなければならないのかについて考えていませんでした。このような出来事は頻繁に繰り返され、今ようやく分かるようになりました。実は、トラブルの発生は私に深く隠されたその人心を見つけさせ、取り除かせるために起きたのでした。
自分の修煉は悪くないと常に思っていました。しかし、トラブルにに遭遇する時に全て、内に向けて探していませんでした。これは自分の心より魔を生じることではありませんか! どんなに危険なことでしょうか?
「少なからずに休み自省して、正念を強め 不足を明かにして、再び精進す」[2]と師父が明示されていますので、同修の皆さんと互に励ましあいたいと思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『転法輪』
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「理智 醒覚」