つまずきの石と踏み石から感じた事
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2020年12月26日】先日、ある同修と話していたのですが、自分の修煉における魔難や妨害を、自分の道の躓(つまず)きの石として見るか、それとも自分を向上させるための踏み石として見るか、という話をしていました。

 それをつまずきの石と見たら、それにつまずき、頭が割れて血が流れ、立ち上がれなくなるかもしれません。つまずかなくても、小心翼翼しながら、それを避けたり、警戒したりしなければなりません。修煉の道には様々なつまずき石があり、正々堂々として乗り越えなければいけません。

 そして、あなたがそれを踏み石として見た場合は、それがあなたの修煉を向上させるための助けになることができるように、踏み石の高さを利用して登る。踏み石が大きければ大きいほど、あなたは高く登れます。他に何があなたの修煉の道を遮ることができますか?

 実際、全てが師父の言葉通りで、「これはとても良いことではありませんか? ですから、良いことにあっても、悪いことに遭っても、大法さえ修めていれば、全ては良いことです。これは揺るぎのないことです」 [1]

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/12/16/416576.html)
 
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