今生は大法を修煉するためこの世に来た
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本ト2020年12月29日】私は1997年より法輪大法を修煉し始めました。若い大法弟子から中年に入った現在に至るまで、この23年の修煉の道のりを振り返って見ました。好奇心と探究心を持って大法を修煉し始めてから、徐々に大法に溶け込んだ後、真に理性的に大法を理解するまで、私は修煉を始める喜びと不思議を感じました。

 現在、この喜びをより多くの親戚、友人、クラスメートや、同僚たちと一緒に分かち合いたいと思います。私と同じように、人生の真の意味と本来の目的を感じて頂ければ幸いです。

 振り返って見て、修煉を始めた時は、私にとって最も幸せな時期でした。

 私は毎日、学校の同修らと朝早起きして、広場に昇る太陽に向かって、穏やかな音楽に合わせて煉功し、夕方には、自習し静かに『轉法輪』を勉強しました。寮に戻った後も、同修、クラスメート、球技のチームメイトらと、自分の修煉体験について話し合いました。また、遠く離れた故郷と他の街にいる先生やクラスメートに手紙を出して、法輪大法を紹介しました。

 学校の同修と私は「新華書店」に出かけた時に『轉法輪』を手に入れました。当時、通学していた街のどこに煉功場があるのか、まったく知りませんでした。

 何度も紆余曲折を経て、諦めかけた最後の瞬間、私たちは5キロ離れた大きな工場の煉功場の担当者の家を偶然、探し当てました。その後、ほぼ毎週末、学校の同修と、近郊地区の煉功場に歩いて行き、グループ学法と煉功に参加して、修煉体験を通じて交流しました。

 北方の冬の夜は、気温が0度からマイナス10度を何度も下回ることが多くありました。しかし、みんなが輪になって煉功して、寒さを感じなかっただけでなく、ジャケットを脱いだ後も全身が暖かだったのです。

 時々、同修らと一緒に公園へ行って、グループ学法や大法を人々に伝えました。故郷の両親も同じ時期に修煉を始めました。多くの村や町が煉功場を設けました。冬休みに故郷に帰ると、老眼鏡をかけた母や父と、ストーブの周りに集まって一緒に大法を勉強して、家族みんなが大法に溶け込んでとても幸せでした。修煉を始めた頃の懐かしい思い出は、今でもはっきりと目に浮かびます。

 修煉を始めた最初の頃、師父がほぼ毎日私の体を浄化して下さるのを感じることができました。前額、下腹部や腕など体中の至るところで法輪が強く回転しているのを感じることが出来ました。胃の病や不眠症などの慢性病が無くなり、勉強も元気一杯励んでいました。

 大法の優れた道理や不思議は、私の人生観と価値観を徐々に変えて行きました。私は、敏感で傲慢、偏狭な少年から、他人に誠実で、優しく、寛容な人へと徐々に変化しました。修煉の過程の中、一人の良い人、より良い人にしてくれました。

 苦難に直面し、真に大法を修煉する

 1999年「7.20」、江沢民政権が中国共産党(以下、中共)を利用して法輪功に対して狂気じみた迫害を始めました。迫害は天地を覆い隠す様に始まりました。私は迫害が始まった頃、大法を深く理解していなかった為、常人の心が強くありました。父が迫害で亡くなったこともあり、私は茫然自失に陥り苦しみを経験し迷いました。

 しかし、慈悲な師父は私のことを諦められませんでした。師父がご指導して下さったお陰で、翌年の初め、私は済南のバスの中で1人の若い同修と知り合いました。私は彼と他の同修の助けによって多くのことが理解できました。江沢民と中共は大法と師父に嫉妬しました。4.25、天津で起きた(警察の)暴力による(学習者の)逮捕事件を解決するため、1999年4月25日、学習者が中南海へ平和的な陳情に行きました。正々堂々と中南海へ平和陳情に行った大法弟子を中共は陰謀として罪に陥れました。私は理性的に考えた後、最も堅い決意をしました。「大法をしっかりと修煉し、永遠に裏切ることはしない!」という事でした。

 師父は弟子が決めた一念を分かり、大いに加持して下さいました。その後の私の修煉の道において、大法の真相を伝える時、多くの困難がありました。中共に洗脳された人々から、皮肉ったり口汚く罵られたり、何度も連行され刑務所で魔難に出会ったり、かつて最も親しい友人や愛する人たちにしきりに哀願されたりしました。居場所を奪われて落ち着く先もなくなりました。「610」、国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)、公安警察、地域社会、警官などからの脅迫や嫌がらせを受けました。私は師父の大法をいつも心に覚えています。「大法を堅く修め心動かず 次元の向上こそ根本である 試練に直面し本性を見る 功成って圚満成就し、仏、道、神となる」[1]。私のこの一念は、つねに金剛より堅くありましたが、修煉の道において順風満帆でなく、時々挫折を経験し、前へ進めず、ひいては過ちを犯してしまいました。私は師父のご加護とご指導のお陰で今日まで歩んでこられました。

 旧い勢力を否定し、自分を昇華させる

 迫害が始まった頃、私のよく知っていた故郷の何人かの同修は、外から情報を取り入れる機会が比較的少なく技術力が不十分で、外へ出て大法の真相を人々に伝える力も不足していました。師父が導いて下さったお陰で、私は、ばらばらになっていた同修と連絡が取れて、彼らが提供してくれた技術と資金のお陰で、インターネット上で明慧ネットを利用出来ました。2003年に、故郷の町で一つ小さな資料拠点を設けました。ピラミット式の印刷機で、古い町の賃貸アパートで、「風雨天地行」、「偽火」など大量のCDを作り、後で他の資料も作りました。

 真夜中、夜明け、風、霜、雨、雪の中、一つ一つの瞬時に消え失せてしまう機会に、みんながこれらの資料を、学校、地域社会、田舎、工場、政府機関、警察署やその寮などへ届けました。その中で、遭遇した無数の危険な状況はすべて師父のご加護のお陰で好転しました。ある朝の2時頃、私はバッグを背負い、市の刑務所の警官らの住む住宅地へ資料を配りに行きました。配り終えて住宅地のゲートを出ようとすると、暗い場所でタバコを吸いながら話をしている監視役の2人の警官がいました。私は心で正念を発して、彼らのそばを通り過ぎました。彼らは、まったく私が見えなかったようでした。

 その瞬間、師父が守って下さったのだと、私は分かりました!

 大学生は新しい知識を受け入れるのに興味を持つという特徴があり、私は大学生の身分で各大学を自由に出入りすることが出来ます。そこで、私はこの便利な状況を利用して、一番最新のインターネットアドレスをみんなに提供できるように大学の求職募集情報コラムや寮の出入り口に貼り、また、一番最新な「翻壁」(中共のインターネットに対する封鎖を突破する)ソフトウェアを、身近なクラスメートに配りました。

 これらの一番最新なインターネット・アドレスを縦形でA4サイズに印刷し、龍形に髭の様にカットをして、一本ごとに一番最新なインターネット・アドレスがあり、それに、一番上の部分に「空気は自由で、水は自由なのに、ネットはどうして自由になれない? 「翻壁」ソフトウェアで一番最新の国内国外のホットな情報を見ましょう」の文字を加えました。

 その時、一部の大学生は、既に個人のパソコンを持っていました。次第に、「翻壁」は古い町の大学生の中で新しい流行の一つになりました。ますます多くの若い大学生はいわゆる「中南海を囲む」、「天安門の焼身自殺」など事件の真相に対して探究し始めました。その数年間、自分の心はとても純粋で、毎日真面目に大法を勉強し、正念を発し、どのように多くの真相を伝え、人を救ったらよいのかばかり考えていました。その中で、何度も危険な状況に晒されたことがあったのでが、すべてが師父のご加護のお陰で乗り越えてきました。そして、ばらばらになっていた何人かの同修を探して連れて帰ってきました。自分の大学専門課程も怠らず、比較的難易度の高い中級会計士のテストに合格しました。私は同期のクラスメートの中で最初に合格した人でした。これらのことは後に、より理性的に人々に対面し真相を伝え、大法を実証するための基礎を築きました。

 修煉し、真相をよりよく伝えるための基礎を築く

 私が大法弟子であることが知られ、中共が私を捕まえようとしたので、私は南方へ行き新たな会社で働かなければなりませんでした。数カ月後、同修が私に北京へ行き、元旦に天安門広場で大法を実証することを頼みました。私が仕事を辞めたとき、上司は、とても動揺して、理解してもらえませんでした。私は彼の何人かの部下の中で一番よく働き、一番真面目な人間だったからです。

 私は、江沢民が法輪大法を中傷することや、大法を修煉した体験を彼に告げました。「私はかつて大法の恩恵を受けた弟子で、どうして自分が安全と利益のみ考えて、勇敢に大法や師父のために公平に言えないですか?」というと、上司は大法弟子の正念に感動し、「 あなたがもし無事に戻って来られるならば、この会社はいつでもあなたを歓迎します」と私に言いました。私はこの事を、今でも鮮明に覚えています。

 昨年、私は長年会っていなかった古いクラスメートの家族に会いました。この古いクラスメートは私が既に忘れていた一つのことを、私の妻に話しました。20年前、彼と私は一緒に、学校の黒い水が溢れて詰まった下水池を通りかかりました。私は袖をまくり上げて池の下水道を手で掘りました。それで汚水池の汚水は流れだしました。その時、「もし私が大法弟子でなければ、今日はこのようにはしません。それは 私とは関係ないでしょう? 師父はどこでも良い人になりなさいとご教示されました」と彼に言いました。その瞬間、このクラスメートは本当に法輪功は素晴らしいと信じました。

 その後、仕事や勉強、さまざまな社会環境の中で、私は出来る限り人に優しくし、損をした時や苦しめられたとき、動揺しないようにしました。まじめにこつこつと仕事をよくし、個人の損得など計算に入れたことがなく、同僚や友人を自分の能力に応じて助けてあげました。彼らが大法弟子を肯定的に理解した上で、また彼らに真相を伝えれば、効果は特に良かったのです。

 数年前、私は招請に応じて、北京の有名な大学に所属する会社に行って、グループの財務業務を担当することになりました。ここの同僚は、高学歴やよい職歴を持つ人が多く、皆、比較的自信を持っていました。私は税制に関する政策を研究して、会社に合計200万元前後の総利益をもたらすことができました。このことは会社全体を驚かせました。大法弟子の優秀な仕事の業績とまじめさ、信頼できる人柄は、話の信頼度を増しました。

 後で、向かい合わせで真相を伝えた時、私は自分が大法弟子であることを正直に伝え、彼らも真相を受け入れ、また、法輪功を修煉したことで彼らの友達が迫害されたことを告げました。ますます多くの人々が中共の悪に気づき、大法弟子の信仰を肯定的に理解できました。

 私は再び連行されました。国保が当時の会社へ行ったとき、会社の同僚は、皆、私がよい人であると言っていました。(これは、国保が違法に私を尋問した時、話してくれたことです) そして、私が家を離れていた間、会社は私の家族に多くの支援をし親切にしてくれました。

 私が家に戻った時、会社の上司は私に仕事に戻るように伝えました。

 大法の真相が分かった一般の人々は、彼達のやり方で大法弟子を助けています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨(二)』「真性を見る」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/6/25/408141.html)
 
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