正念で関を乗り越える
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2021年1月5日】1998年後半に、私は法輪大法を幸運にも得ることができました。私は修煉で、師父の教えに従って自分に厳しくしてきました。師父の保護のもとで私は正しい念を持ち正しい行いをするため、今日まで歩んできました。私が修煉の中で出会った二つのことを同修たちに伝えたいと思います。

 一、魔難に遭遇した時、心を正しく持つべし

 修煉とは空論ではなく、堅実に心を修めなければなりません。一度、車を運転して帰宅している時に突然左手がハンドルから滑り落ち、左半身に感覚がなくなったことがありました。この時点で、これは魔が妨害しており、私に危害を加えようとしていることに気がつきました。私は法輪大法を修煉していたので、彼らは私を破壊して修煉を妨げようとしており、旧勢力の按排を認めてはいけないので、すぐに急ブレーキをかけて、ゆっくりと車を道路脇に寄せました。

 正念を発し、師父に加持をお願いしました。私は「師父、魔は私に危害を加えようとしています。しかし、私は修煉したいのです、師父について家に帰りたいのです、魔の思いのままにはさせません、彼らを解体します」と言いました。右手を使って左手をハンドルにかけたのですが、しばらくして左手が落ちてしまいました。その時、私は「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[1]師父の法をが思い出しました。そこで、私は法を正す時期の大法弟子であり、全ては師父が按排してくださり、師父の一存で決まります、それ以外のものは認めません。再び左手をハンドルにかけ、しばらくすると、危険もなくゆっくりと車を走らせて帰宅しました。

 帰宅してから気づいたのですが、左足の歩き方にも問題がありました。そして、「私は大法弟子であり、師父は私のことを見守って下さっています。家族全員に隠しているので分からないようにゆっくりと自分の部屋に行きました。私は、師父の写真の前に座って、旧勢力の按排や邪悪を取り除く、それを認めず、と正念を発しました。夜はいつものように煉功しました。

 次の日、体の状態は元に戻っていました。いつものように、再び車で出かけ、途中で車を止めることはありませんでした。師父が私を守ってくださっているからだと思いました。法輪大法を修煉していなければ、何が起こるかわかりません。今後しっかりと修煉し、精進していきたいと思います。

 二、正念が十分であること

 以前、同修と交流していた時に、同修が「法を書き写すことはとても良かったです」と言ったことがあります。私も法を書き写そうと思い、紙とペンを買ってきて、『轉法輪』を書き写す準備をしました。いざ書こうとしたとき、手は震え、眼前は茫然として、頭は濁っていました。私は落ち着いて静かに考えました。これは私に法を書き写させない旧勢力の妨害です。私は大法弟子です、どうして旧勢力に支配されるのでしょうか? それはいけません、正念で悪を取り除きます。全て師父の一存できまります、しっかりと法を書き写さないといけません!

 このように、最初ペンが持てない状態から書けるようになり、ミスしていた状態からしなくなりと変化していき、だんだんと文章が上手になり、前向きな考えが強くなってきました。 師と法を信じる心がある限り、どんな困難も私を止めることはできないと思いました。

 今日の私は、私にすべてを与えてくださった師父のおかげです!  法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! 大法に感謝いたします! 師父、ありがとうございます! 今後の修煉で、必ず精進し、師父と一緒に家に帰りたいと思います。

 適当でないところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/12/15/416530.html)
 
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