文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年1月10日】私は自分の修煉を振り返ると、肉体的な疲労と精神的な苦しみを感じることもありましたが、収穫もたくさんありました。この一年近く修煉して直した体験を師父に報告し、同修の皆さんと交流させていただきます。
一、気持ちよくいられないことは、実に良いことである
私は2012年に法輪大法の修煉を始めてから、今年で9年目になりました。
私は修煉する中で、しばしば身体の具合が悪くなると、心が苦しく感じることが増え、怠慢、劣等感、抵抗、不愉快な気持ちが生じることがありました。「自分は懸命に修煉してきたのに、なぜまだこの状態なのだろうか?」と、マイナス思考に陥り、さらに気持ち良くいられなくなりました。
例えば、第二式の功法を煉る時、最後まで続くことは出来ますが、いつも疲れを感じ、煉功を恐れていました。内に向けて探すと、苦しみや疲労感を恐れる心のほかに、最後まで続ける自信がありませんでした。ある日、「頭頂抱輪」の動作をしている時、疲労感と辛さに襲われました。その時、突然頭の中に師父の法が現れました。師父は「修煉者の理は常人の理とは相反するものです。人間は気持ちよくいられることが良いことだと思っているのに対し、大法弟子はこれが向上にとって良くはなく、気持ちよくないことが向上にとって良いことだと思っています。この根本的な観念を変えたのでしょうか?」[1] と語られました。
どうして自分は気持ちよくないことを悪いことだと思うのでしょうか? 私は常人の理を踏まえたからです。「私は修煉者だ。気持ちが悪いこと、気持ちよくいられないことは良いことだ」と心の中で繰り返していると、煉功はそれほど難しくなくなり、疲労感もなくなり、煉功の音楽も長く感じませんでした。1時間の抱輪椿法を初めて気楽に煉ることが出来、続いての坐禅も同様でした。これまで、坐禅の最後の10分間はとても長く感じましたが、今回は時間を感じることもありませんでした。
それから私は「気持ち良くないことは良いことだ」という意識を強め、常人の観念を変え、日常生活や仕事の中で修めるようになりました。
サラリーマンの私にとって、朝の時間はとても忙しいのです。ある朝、娘が開けっばなしにした引き出しに腕をぶつけ、私はすぐに怒り、文句を言っていましたが、「そうだ、気持ち良くないことは良いことだ。娘は私が心性を修めることを手伝っているのに、どうして怨むのか? 感謝すべきだ!」と悟りました。その瞬間に、腕の痛みもなくなり、心が穏やかになりました。
ある時勤務先で、突然同僚たちが私を無視するようになり、陰で私の悪口を言う人もいました。私は普段から皆にやさしく、思いやりの心で人のことを優先に考え、他人より多く働き、そして謙虚に人の意見を受け入れるようにしています。それなのに、どうして皆が一斉に私を孤立させようとしたのでしょうか? 最初はこの現実をとても受け入れ難く、ひと晩眠れませんでした。深く考えてみると、このような辛さと苦しみは、私の経験の中で何度も味わったことがありました。これらは執着心であり、取り除くべきことだと思いました。
しかし、すべてが試練であり、皆が私の修煉を手助けしていると分かっていたにも関わらず、なぜか受け入れようとしない自分に心を痛めました。朝起きた時には数々の人心が生じ、気持ちが沈みやる気がなく、法の暗唱も出来ず、煉功も怠り、心の許容量が限界に達しました。
心が落ち着いてから、私は「これこそ良い事ではないか? トラブルもなく和気藹藹な環境で、どうやって修煉できるのだろうか? まだまだ多くの気持ち良くない、気持ちが悪いことがあり、うまくいきません。何が間違っているのだろうか。これは『自我』という執着心に触れられたので現れたものだ。この『自我』は見つけて捨て去るべきだ」と思いました。
師父は「あなたに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」[2] と説かれました。
私は修煉者である以上、常人の中の「快適さ」と「心地よい満足」を得るためではなく、執着心を取り除くために修煉しているのです。他人の良し悪しを見るのではなく、具体的には自分自身にどのような執着心が現れたのかだけを見ます。その中には、怨む心、闘争心、嫉妬心、劣等感、恐怖心、依存心、物事を行う上でしっかりした見解がなく、名誉を求める心、顕示心、虚栄心、人に軽蔑されたくない心などたくさんの執着心が含まれています。
これほどの執着心を見つけ出すことは、素晴らしいことではありませんか? これらの執着心がなければ、同僚たちの「芝居」も見なかったでしょう? 見つけた以上、取り除かなければなりません。私は発正念を強め、絶えず執着心を取り除くと、心身ともに軽くなりました。同僚たちは私を助けてたくさんの執着心を取り除いてくれました。怨むどころか、むしろ感謝すべきだと思いました。
二、苦しみをなめることは楽しいことになる
師父は「悪者は嫉妬心によって、私のため、怒りのために、自分が不公平だと言います。善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです。覚者は執着心がまったくなく、幻のために迷っている世人を静かに観ています」[3] と説かれました。
修煉者にとって、身体と心に現れる「気持ち良くない」ことは、すべて自分自身の業力によるものだと分かりました。そのような状態になった時に、一つ目は、内に向けて探し、執着心を取り除くことです。二つ目は、それは師父が私たちの借りを返すために按排されたのであり、平然として受け入れるべきだと思いました。肉体的にも精神的にも不快で、非常に辛い、疲れて、耐え難いと感じる時には、怨む心が生じることはあります。師父の大法に照らして考えると、それは業力を滅しているので、忍耐強く耐えることが出来れば、業力がなくなります。素晴らしいことではありませんか! このように思うと、悩みに苦しんだ自分の顔に微笑みが現れました。その瞬間、私は「憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです」[3] の法理を体験しました。
三、自分を修め、家族や親友が次々と法を得た
法輪大法を修煉した私はその素晴らしさを体験し、周りの人々に伝えました。私が法を得てしばらくして、夫と娘も大法の修煉を始めました。
9年間、私はすべての良い機会を掴み、家族や友人、同僚に大法の真相を伝え、「三退」を促しました。最初は私の修煉に理解せず、私を軽蔑したり、叱ったり、罵ったりしていましたが、少しずつ大法の真相を受け入れ、さらに修煉に入る親友もいました。彼らは皆私と縁のある人で、法を得るため、済度されるため、師父に按排されて私と縁を結んだと信じていました。ですから、私は厳しい環境と圧力の中でも、善をもって真相を伝えてきました。現在、母と姉のほかに十数人の親友が師父の説法録音を聴いていて、五式の功法を習う人もいます。
今年83歳の母は説法録音を聴き、煉功をしてから6カ月後、40年以上も苦しんでいたリュウマチが治り、糖尿病、高血圧、脳梗塞の症状もなくなりました。上の兄は体に3個の腫瘍があり、学法をしてから2個がなくなり、残りの1個も小さくなりました。2番目の兄は白血病を患っていましたが、説法録音を聴いてから治りました。叔母は60年以上の喫煙歴がありましたが、説法録音を聴いてから軽々とやめ、数々の症状が改善されました。
修煉してから9年間、師父のご加持をいただき、一歩一歩歩んできました。その中には苦しみと辛さもありましたが、価値では計れない素晴らしさも体験しました。大法の中で受益した親友を代表して師父に感謝します! 限りのある修煉の道で、私利私欲と自我を放下し、三つのことをやり遂げ、師父のご恩と衆生の期待に背かず、約束を果たして師父について真の故郷に帰ります。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『2005年サンフランシスコ法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「境界」