師父の守り 難の遭遇から瑞祥が現れる
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文/山東省の 大法弟子  

 【明慧日本2021年1月11日】私は1998年に法輪大法を修煉し始め、すでに22年になりました。もし師父の慈悲なるご加護がなければ、弟子の今日は無かったでしょう。今生で師父の弟子になれて、私は比類なき光栄です。

 一、難に遭い瑞祥(ずいしょう:めでたい事の兆しとなるしるし)が現れる

 2015年7月、私は電動自転車をこいでいるとき十字路でタクシーと衝突しました。数メートル飛ばされ、地面に顔を打ち付けました。タクシー運転手の女性は急いで車を降りて私を起こしました。私は頭がふらふらしていて、右の顔がひりひりと痛み、口には砂がいっぱい入っていて、顔を地面に激しく打ち付けたことで、前歯も折れました。

 運転手の女性は私を抱えて彼女のタクシーに乗せました。彼女は怖がり、手も声も震えながら「一緒に病院へ行きましょう」と言い、このとき、私はやっと我に返り、彼女に言いました。「あなたは今日良い人にぶつかりました。私は法輪大法の真・善・忍を修煉していますので、問題を起こすようなことはしませんし、病院に行かなくても大丈夫です。またあなたにお金を要求したりもしません」

 続けて、彼女に大法の真相を伝え、三退を薦めました。彼女はどれにも入っていないと言いましたが、私は彼女に家族の人が入った事があるかを聞くと「私の娘は少年先鋒隊に入ったことがあり、よければ娘のために脱退してください」と言いました。私は彼女に「帰ってから必ずあなたの娘さんに教えてくださいね」と言うと、彼女は爽やかな返事をくれました。再度彼女を見ると、顔の恐怖は消えて、手の震えもなくなっており、彼女に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を覚えるように言いました。彼女は心からうなずいて、同時に再度私に病院に行って検査をするようにと言いましたが、私は「何事も起こりませんので安心してください。家に帰ります」と言いました。また電話番号を渡しましたが、私はもらいませんでした。彼女は私が車から降りるのを手伝ってくれ、私は変形した電動自転車をこいで家に帰りました。

 道半ばまで走ったとき、1人の果物売りの青年が私の顔をみてどうしたのかと聞きました。私はタクシーに衝突したと言いました。果物売りの青年は「どうして運転手から金をもらわなかったの?」と言ったので、私は「法輪功を修煉しているから大丈夫です。人からお金をもらうようなことはしません」と言いました。青年は感心して「あなたたち法輪功を修煉する人は皆良い人です」と言いました。私は彼に法輪功の真相を伝え、彼はとても気持ち良く資料を受け取りました。

  家に帰ってから鏡を見ると、飛び上がるほどびっくりしました。私の顔は右半分がひどく腫れて青紫になり、下顎は穴が開いてまだ血が流れていて、右手の手のひらに2カ所血だらけの傷がありました。しかし、1週間後、傷口は完治し顔には何の傷跡も残らず、私は心から喜びました。今回の事で、師父は私の歴史上の命の借りを返済してくださり、また大きな業力を消して下さったのです。

 二、硫酸に浸食されない

 2005年、私は労働教養所から出た後、仕事と家庭を失い、心は非常に辛かったのですが、私は倒れませんでした。なぜなら私の心には大法があったからです。親戚が私のために仕事を探してくれ、検査センターの化学室で化学検査の仕事をすることになりました。普段は、化学検査室の仕事量は多くないので時間があれば三つのことをしていました。

 ある時、検査センターの上層部は化学検査室に対して技術検収を進めて、毎日残業していました。私の仕事は大量の化学薬品に触れ、特に強い酸や塩基(えんき:酸と対になって働く物質のこと)の類の薬品です。普通化学薬品が衣服についてしまえばすぐに穴があき、皮膚に垂れれば、肉はすぐに腐食します。

 その日、私は軍手をして実験していましたが、突然左手の指が焼け付くように熱くなったので、私はすぐに酸が手指を浸食したのだと分かり、慌てて軍手を外して見ると、手指の肉にすでに浸透していました。私は急いで水道水で洗い流しましたが、すでに遅く、手指は水ですすいだ後も焼け付くように熱くて我慢できないぐらいでした。それは本当に10本の指が繋がっているようでした。私は居ても立っても居られず、どうすればいいのか分かりませんでした。

 夜6時の発正念の時間が来ても、激痛で全く痛みは治まりませんでした。その時突然、私は師父を思い出し、心の中で師父に助けを求めました。このように思った瞬間、指は少しも痛くなくなりました。私は感動して涙が溢れてきました。師父は弟子に替わって苦痛を受けてくださったのです。少し落ち着いてから発正念をしました。

 三、交通事故からの脱出

 2008年北京オリンピック開幕の前、邪悪が狂気じみていた間、全国各地の多くの大法弟子が嫌がらせを受け、不当に連行されました。当時、私は1人で賃貸に住み、固定の住所は無く、当地の610弁公室は私がどこにいるのかを知ることが出来ませんでした。

 ある日の午後、私は自転車で学法小グループに行って学法し、帰り道で交通事故に遭いました。その時どのように交通事故に遭ったのか、私の記憶では今になっても空白のままで、何にも分からず、気が付くとすでに次の日でした。私は病院のベットの上で、下着は全て切られ、鼻に酸素吸入のチューブを入れられて、下半身には尿管が通され、手には点滴がされており、枕元には2人の警官が立っていました。私は頭が真っ白になりましたが、すぐに何かが起きたと分かりました。邪悪はこの方式を利用して私を迫害しようとしていますが、私は絶対に認めません。私は心の中で師父に加持を求め、絶えず発正念をしました。警官は私が目が覚めたのを見て集まって来て尋問しましたが、私は一言も言わず、彼らに協力しませんでした。すると、彼らは去っていきました。

 私は病院にいてはいけないと思い、家に帰ろうと思いました。医者が来て、私は彼らに私の考えを言いました。医者は同意せず、必ず家の人が来てサインしてから許可すると言われました。私は兄の電話番号を教え、兄と妹は直ぐに来ました。警官は兄と妹を呼び出して、彼らに何を言ったのか分かりませんが、兄と妹が戻って来た時、表情が少し変でした。私は必ず家に帰らなければと思い、一切は師父が決められるので、師父にご加持をお願いしました。同時に発正念で大法弟子を迫害する全ての邪悪生命と要素を一掃しました。

 夕方になって兄と妹が迎えに来て「家に帰ろうか」と言いました。病院の正面玄関を出る時、市の610のボスが私の側に来て言いました。「本来ならあなたを学習班 (洗脳班)に送るはずだったが、もう家に帰っていいですよ」。迫害を実行しようとする邪悪が解体され、師父が弟子のためにこの難を取り除いてくださったのだと分かりました。私の心は師父への限りない感謝でいっぱいです。

 慈悲で偉大な師父はどんな時でも私を見守って下さるだけでなく、魔難の中でも私を守ってくださり、関を乗り越える中で私が悟るようにして下さいました。

 師父、ありがとうございます!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/1/6/418181.html)
 
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