私のため、他人のための一念は異なる結果をもたらす
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文/河北省の大法弟子  

 【明慧日本2021年1月13日】数日前のある朝、いつものように自転車で法輪功迫害の実態を伝えて人を救うために出かけていました。最近の道は雪で滑りやすく、私は不注意にもずいぶん派手に転んでしまいました。地面に座って考えてみたのですが「私は法輪功修煉者なので、人を救わなければなりません、私は大丈夫です!」と思いましたが、ゆっくりと立ち上がって体を動かしてみると、足に少し違和感がありましたが、自転車に乗れたので、また自転車で走り続けました。1時間以上、迫害の実態を伝えたことで8人が共産党組織から脱退しました。

 家に着いて間もなく、知り合いから電話がかかってきました。夫にミネラルウォーターを取りに来てくださいという話でしたが、その時、夫は料理をしていたので、私は「それなら私が行きます」と言いました。私が服を着て出ようとしたら、夫が「あなたがまずミネラルウォーターを家まで持ち帰り、夜に私が唐さんに送りますから」と言いました。私は夫の話を聞いて「この水は家のものではないのですか? ならば、私は行きません」。そこで着替えをして、夫に「私は今日、自転車で転んで足がまだ痛いので、外には出られません」と言いました。

 そもそも足は大丈夫だったのですが、そう言った途端に痛くなってきて、どんどん痛くなり、すぐには立ち上がれなくなってしまいました。ズボンを下ろしてみると、膝の両側が腫れていて、しばらくすると痛みがひどくて我慢するのがやっとでした。

 この時、私は自分が間違っていることを知り、慌てて内に向かって探すことになりました。師父は私たちに教えてくださいました。師父は「さらに皆さんに教えますと、実際には、皆さんの以前の本性は、自らのため、私のためを根本としたものだったのですが、今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです。それゆえに皆さんは、今後何かを行ない、何かを口にするときにも、ほかの人のため、ひいては後世の人のために考えなければなりません!」と説かれました。自分を振り返ってみると、自分の家の水なら取りに行きますが、自分の家の水じゃないなら行けない、これって明らかに私心ではないでしょうか? 師父に心から懺悔しました。「師父、私が間違っていました!」

 本当に不思議ですが、自分の問題点を認識してからは、足の痛みが軽くなり、徐々にむくみが引いていきました。翌朝、料理をするためにベッドから降りることができ、今ではまた毎日自転車で街のあちこちを回って人を救うことができるようになりました。

 「修は己にありて、功は師にあり」 [2] 。今回、転んだことで、師父はさらに私の悪い物質を取り除いてくださいました。修煉者の一つ一つの思いや考えが大切で、本当に上達したいなら、しっかりと修煉しなければならないということを学びました。師父は「法を学びて、法を得る 比して学び、比して修す 事々対照し 做すところ到るは是れ修なり」とおっしゃっていましたが、私は法の中で自分自身を正していきます、本当に大法弟子のように、師を助け法を正す道で、さらにしっかり三つのことを行っていきたいと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟』「実修」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/1/9/418131.html)
 
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