【明慧日本2021年1月26日】中国共産党(以下、中共)はいわゆる「ゼロ行動」を行い、同修達に対する嫌がらせ、迫害の程度も地区によって異なります。法を正すことはすでに最後の最後になり、私達は自分の修煉に対する要求ももっと高くなるはずで、私達は益々「神」のようになるべきです。
表面空間に近づくにつれて、邪悪の妨害は益々強烈になるはずです。修煉していない、いかなる人心と執着心も、長期にわたり意識していなければ、それが邪悪の嫌がらせと迫害の口実になるかもしれません。邪悪のゼロ行動というのは邪悪(訳注:中共)のやりたがっているものであり、しかし私達はこれをよい事として考えることができるかどうか、逆にそれを利用して私たちの自分の人心を払拭することはできるでしょうか?
中共のいわゆるゼロ行動から見ると、(迫害)関係者の主な振る舞いは煉功者にいわゆる保証書を書かせて修煉を諦めさせるなどが常套手段の方法です。私達自身から見れば、根本的にまだ大法の修煉に対してしっかりしていないのではありませんか? あるいは法を正す修煉の法理に対してはっきりしていないのではありませんか? あるいは普段正念を発することが少なく、あるいは正念の品質がよくないのではありませんか。
私達は大法によって修煉している大法弟子で、私達の評価の基準は大法の法理で、旧勢力や邪悪な迫害とは少しの関係もなく、しかも人の考えを抱いて放さないということは私達にはできません。人間から出ていく機会が永遠にあるとは限らないのです。
私たちの家にやってくる中共の人員に直面して、彼らの迫害に協力すべきではなく、同時に真相をはっきりと伝えて彼らを救わなければなりません。しかし結局のところ受動的なので、これは邪悪の按排です。もし私達がただ彼らに真相をはっきりと伝えるためだけであれば、必ずしも嫌がらせや迫害する方法で(邪悪が)彼らに私達と接触させるとは限りません、私達は邪悪に対して協力的でない中で迫害を否定すると同時に真相を伝えて彼らを救い、それが修煉者としてすべきことです。
単に「ゼロ行動」という言葉だけから言えば、本当に徹底的に私達の執着心を取り除くべき時期で、特に様々な根本的な執着心です。大法に対してしっかりとしているかどうかの問題、色欲の執着の問題、常人社会で意識していない名、利、情の執着の問題に対して、私達はすべてよく考慮すべきなのです。法を正す修煉の進展について行き、厳しく自分の考えを要求し、正々堂々として自分をしっかりと修め、人を救う事をしっかり行えば、邪悪に引きずられてしまうことはないのです。
どんな圧力の前でも、私達はそのすべての圧力を利用して根本的な執着心を取り除き心性を向上するために用い、同時に人を救うことを本位とし、そうしてはじめて旧勢力のすべての按排を否定することができるのです。大法に符合して行い、法を正す進展についていき、十分に正し行いさえすれば、師父は必ず私達の為に決定してくださるはずで、私達は主導的になっていくのです。
「ゼロ行動」を利用して、自分の内側をしっかり探し、自分自身を見て、同じく私達の人心の執着をもきれいに整理しましょう!
以上は少しばかりの個人的な認識です。
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2021/1/11/189859.html)