疫病の何を恐れるというのか
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文/彦明輝

 【明慧日本2021年1月31日】昔から、一定の地域で、広範囲に渡って人間の規範が乱れ、道徳が崩壊すると、往々にして疫病が発生します。 疫病が現れるたびに、人間は泥のように一面に倒れてしまいます。ですから、人々が疫病を恐れるのは一般的です。では、疫病の何を恐れているのでしょうか? 実は、疫病は何も怖くないのです。「怨恨には必ず仇敵がおり、借金には必ず債務者がいる」というように、それは報いを受けるべき「債務者」を探すだけで、自分の仕事の範囲内でやっているのです。あなたがその「債務者」ではない場合は、すれ違っても気づかずに通り過ぎるのです。

 自分が「債務者」であるかどうかはどうやって分かるのでしょうか? この場合の債務とは、つまり人が悪い事をして生じた黒い業力です。疫病は巨大な業力をめがけて来るので、普通の病気と違い、治療できる薬がないことが多いのです。 明の時代の呉又可氏は著作『疫病論』の中で、「疫病とは風・寒・暑・湿による病気ではなく、天と地の間にある異気による病気である」と論述し、その「異気」を「疫病の気」と呼んでいました。「疫病の気」とは、今日の言葉で言えば、ウイルス成分を含んだミクロな物質のことです。修煉界の言葉を借りれば、ミクロ世界の悪霊生命体です。これらの命を脅かす霊体を追い払うためには、超常的な能力を使わなければなりません。

 魔法の文字

 古代中国では、数千年来の佛道修煉文化が受け継がれ、人々は真を修め善に向かい、道徳心を高めてきました。そして、修煉者である僧侶や道士は、往々にして超能力を持つことが多いのです。また、ある地域の人々が善良で神を敬畏するならば、天は必ず危難にいる人たちを助ける能力者を遣わして下さいます。同じく、苦しい時に神佛への信仰心を生じれば、その人も守られるようになり、災難を幸運に変えることができるのです。

 宋代の『夷堅志』の中に、次の物語があります。豫章(現在の江西省南昌)の南側に数十里にわたる「米渡」という渡し場があります。南宋乾道元年3月8日の朝、川を渡る一人の僧侶が来て、渡し場を守備する役人に「もうすぐ、籠を担いで黄色のシャツを着た5人の男たちがやって来る。彼らを止めて絶対渡らせてはいけない。渡らせてしまえば大きな災が起きる」と言いながら、普通の人には読めない不思議な三文字を書きました。僧侶はそのメモを役人に渡し、「どうしても止められないなら、この文字を見せなさい」と言って去りました。

 役人はあまり信じていませんが、不思議だと思いました。正午になると、政府の官員のような黄色の服を着た5人の男たちが、本当にやってきました。それぞれが二つの大きな籠を担いで船に乗り込もうとしました。役人はその人たちを止め、両者は戦う覚悟で長時間論争しました。その時、この役人が僧侶の書いた文字を取り出して5人に見せたところ、それを見た5人は急に慌てて逃げ出し、あっという間に姿を消しました。持ってきた10個の大きな籠は川の岸に放置されているままでした。役人が籠を開けてみると、500個の小さな棺が入っていました。役人はすべての棺を燃やし、僧侶が書いたお守りを住民に教えました。

 当時、豫章地域の各家庭では、その字符を祀っていました。その年、江蘇省や浙江省では疫病が蔓延し、数え切れないほどの死者が出ましたが、「米渡」の地域だけは無事でした。その5人は疫病の使者で、僧侶はその地域の人々を救うためにやってきたのです。

 この物語は、修道者が災害を予見できることを示しています。おそらく、「米渡」の人々は、素直で善良であるため、災いにあってはならないので、修行する超能力者が彼らを守ったのでしょう。

 薬ではなく口決にあり

 明代の末期には疫病が発生し、明軍は戦力を失いました。山東省、河北省、江蘇省、浙江省では多くの人が感染し、10室のうち9室が感染している(ほとんどの人が死んでいるの意味)ほどでした。明の将軍・孫伝庭氏は、危機時に民間医の呉又可氏を起用しました。呉氏は漢方薬「達原飲」を処方し、 患者が服用すると、すぐに疫病が鎮まりました。その後、呉氏は『疫病論』を執筆しました。

 漢方薬「達原飲」は本当に効き目があるか?

 呉氏の疫病を治すトリックは、実は薬ではなく口決にあったのです。「達原飲」はただ普通の薬ですが、エリクサーを加えることで不思議な力を持つようになります。あなたは民間の高人や、高い境地にいる修煉者に出会えば、呉又可氏が道家の修行者であり、薬のエリクサーはその法門の口決で、つまり「真言」であることを教えてくれるでしょう。 患者は誠心誠意に「口決」を唱えれば、その法門の神の加護を求めることになり、それから薬を飲むと、守護の神が加護して下さるのです。

 その加護はお守りのような印を付けることで現れ、疫病の神がお守りの印を見ると、その人を追い越して困らせることをしません。すでに感染している人はお守りがあれば、そのウイルスは取り除かれます。その時には、免疫力の弱い人でも徐々に回復していきます。

 呉氏の口決と「達原飲」を公にすれば、今日のコロナウイルス感染症にも有効ではないか、と考えている人がいるかも知れません。そうではありません。なぜなら、一つは、古代中国では、秘伝の技の伝承は口頭で伝え、文字にしないため、『疫病論』にも書かれていませんでした。もう一つは、時代が変わり、当時の修行者と神は、当時の管理すべきものだけを管理し、権限外のことに一切関与しません。

 背水の一戦

 以下は、遼寧省の女性が語った2020年の旧正月の出来事です。

 夫は70代の退役軍人で、転職して警察官になりました。 無神論に影響され、神佛を信じず、「食べ物がなければ生きていけない、お金がなければ生きていけない」という人生の哲学だけを信じる夫は近年、体調が非常に悪く、百病に悩まされていました。最も深刻なのは肺気腫で、気瘤が大きいので、二つの肺は良いところがありません。一年以上も階段を降りられなくなり、年に十数回入院したことがあるため、病院の常連になりました。法輪大法の素晴らしさを何度も伝えましたが、頑固で石のように聞く耳を持たず、信じないのです。妻は夫に「私は法輪功を修煉した後、病院で治らなかった病気がすべて回復したのを目で見たでしょう」と言うと、夫はただ何も言わずに黙って抵抗していました。

 2019年の冬、夫はほぼ病院で過ごし、旧正月の直前に退院しました。2020年の旧正月の新年には、夫は体力的に支えられなくなりましたが、「今日は、新年の日で、子供や孫が帰ってくるから、みんなの楽しみを台無しにしてはいけない」と思い、一日中我慢したそうです。翌日、容態は悪化し、呼吸もできず、座ることもできず、横になることもできず、目は大きく開き、39℃の高熱を出しており、危篤状態でした。

 新型コロナ感染症が拡散している時期なので、病院に行ったら武漢肺炎として扱われるはずで、家族全員も隔離されることになります。2日目の朝1時頃になると、夫は熱が下がらず、息ができずに今にも死にそうな状態でした。妻にあるアイディアが浮かびました。「背水一戦を聞いたことがあるよね?」と夫に聞きました。「何の意味があるの?」と夫は言いました。妻は「病院を当てにしない方がいいよ。もう他の方法はない、心からの文字『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』を心から唱えるしかなく、大法の師父に助けをお願いしてください!」と勧めました。

 夫は自分の置かれた状況をよく知っており、生きたいという思いから、心の底から「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい!」と震える声で叫び、 また、「李先生、私を助けてください!」とも言いました。共産党に深く洗脳された頑固な夫は、ついに無神論の束縛を破り、生死の分かれ道で法輪大法の心からの九文字を唱え続けました。

 朝4時、夫は大量の汗をかき熱が下がり、胸の痞えもなくなり、息もできるようになって、こんなに気持ちいいのは久しぶりだと言いました。夫は法輪大法を完全に信じ、大法の師父が人々を救うために来られたと興奮しました。 その後、徐々に回復しました。

 法輪功は、法輪大法とも呼ばれ、「真・善・忍」を原則として、高いレベルの生命双修の佛家修煉大法です。「天安門焼身自殺事件」は、中国共産党(以下、中共)が憎悪を生み出すために捏造した偽りの事件です。2020年に発生した武漢肺炎に感染した武漢市民が心からの九文字を念じ絶望から生き延びた実例は、上記の事例だけではありません。中共の虚言がなければ、もっと多くの人が助かっていたと予想されます。

 2020年を過ぎた今、武漢肺炎が収まる気配がなく波状に上昇し、世界中に急速に広がっています。この未曾有の大流行の中で、恐怖に打ち勝ち、理性的に守護の神を見つけることによって、災難を乗り切ることができるのです。法輪大法の素晴らしさを内心から本当に理解できれば、災難を乗り越える最も確実な方法だと思います。

 「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」を心に刻んで下さい。時間があるときに心の中で唱えてください。この言葉は、あなたの業力を減らすだけでなく、いざという時には命を守ることができるでしょう。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/1/20/418800.html)
 
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